物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

「ラメの定数の導出」

2019-01-05 16:04:25 | 日記

「ラメの定数の導出」のエッセイがほぼ完成した。今回は最後までやり抜くつもりではあったが、なかなか難航した。なにせ計算が面倒なのである。

もちろん、すでに計算を何十年も前にしてはいるのだが、それをチェックして間違っていないことを確かめなくてはならない。それに式の番号を入れるのに苦労した。一度紙にプリントして式の番号を確認した上で文章中の式の番号を入れる。それでもどこがどこだったかわからなくなる。

そういうことで、とうとう年末には片がつかず年を越した。これを「数学・物理通信」8巻10号の原稿にしようと思ったからである。

それも完全に出来上がったというわけでもないが、まあほぼ終わった。やれやれ。これでようやく8巻10号の編集にとりかかることができる。

(2019.1.15付記) 地球物理学者だった竹内均さんの『弾性論』(裳華房)を古本で購入した。ラメの定数という語はこの本の中にはないが、ちょっとちがった導出が述べられていそうである。

まだまったくこの点については読んではいないが。

  • (2020.1.14付記) 「ラメの定数の導出」は実は岩波講座『現代物理学の基礎』の古典物理学のIだったかIIだったかに載っている豊田利幸さんの書かれている内容を逐一フォロウ―したものである。
  • 私のオリジナリティはまったくない。しかし、ここまで「ラメの定数の導出」を追ったものはないであろう。テクストにはこういうことは書くことができないから。

ルビンのツボ

2019-01-05 14:35:03 | 日記

「戦場のピアニスト」のブログを書いたとき、もう一つ書きたい話題をもっていたのだが、それが何か思い出せなくて困っていた。

それが雑誌「窮理」第11号の中に載っていた「ルビンのつぼ」という語で思い出した。これは最近NHKの「まいにちドイツ語」講座で講師の田中雅敏さんが話の前景と背景というコンテクストで言及していたことである。

話のトピックは背景(場面設定)であり、その主題についてのコメントは、見る人・聞く人の意識に訴えかけてくる前景である(聞き手にとっての「新情報」)

という説明であった。

こんなところでルビンのつぼに再会するとは思ってもいなかった。ルビンのツボとは黒地のところをみていると白地のつぼに見える。ところが、背景を白地のところだと見ると黒地のところは二人の人の顔が向かいあっているように見える。要するに二義的に見える絵である。

私がそのことを知ったのは物理学者の渡辺慧さんの岩波新書を読んだからであった。この著書の題名は忘れてしまった。『情報とパターン』であったろうか。渡辺さんはこの心理学的な絵を量子力学の波動性と粒子性との二重性の説明に使っていた。

田中雅敏さんはドイツ語の文頭におかれるのは文の主題がおかれるという。その文で言おうとする内容や場面設定が行われるという。

例として次のような文をあげられている。

Gestern war es kalt, aber heute ist es sehr warm.

(昨日は寒かったが、今日はとても暖かい)

英語とちがって文頭に主語が出てくる割合はドイツ語では少なくなる。それでも主語も文頭にくることも多いが、それはそれが文の主題となることが多いからであろうと田中さんは言っておられる。

ちなみに田中さんは私の出た大学の同窓生ということである。


日本の将来

2019-01-05 08:54:04 | 日記

を悲観する人もいる。

先日もらった年賀状で、日本の将来を悲観している方の感慨が書かれてあった。それで、私などはその人の話を聞いて見たいと思ったのだが、妻は拒否反応を起こしたようだった。

この方は法律家であり、原発反対運動を行っている方でもある。その方がどなたかの本を読んでその中に「日本の経済は四流で政治は六流」とあったと書かれていたという。

確かに、現在の日本は大学も学校も先生方にはひどい状況である。大学では運営交付金が年々削られていき、研究するどころではなくなっている。また小、中、高の学校では先生方は加重労働で教え方の研究にはほとんど時間をとれなくて、書類づくりや親御さんへの対応やまたクラブ活動の指導に明け暮れている。

年金生活者の私たちは今後の生活がうまくいくのか不安を抱えているし、若い人は十分な定職につけない人も多い。いわゆる非正規雇用者である。

そのくせ少子高齢化社会で働く人が減ってしまうなどと心配もしている。また、70歳を超えても働かなくては生活ができない人もいる。

確かに、近年ノーベル賞の受賞者を少なからぬ数だしてはいるが、これは数十年前の日本の遺産の結果であり、現状からすると数十年先には中国ばかりが、ノーベル賞を独占するという時代がくるのであろう。

そういうまったく希望のない時代に生きている私たちが活路を見出すことができるにはどうしたらよいのか。

また、防衛費はだんだん増えていき、平和国家とはもういえない状況になりつある。そういう悲惨な状況ではあるが、どこかに活路を見出さなければならない。そう考える日本人はもういないのか。

妙案はあまりないのかもしれないが、それでもなんとかする方策を見つける努力をしなくてはならない。