作家の高橋源一郎さんが今日の朝日新聞に書いていた。「インテリゲンスとは対話できるということではないか」と。
これは最近の高校とかなどの体育のクラブの活動での暴力が問題になっているからである。暴力も問題かもしれないが、インテリゲンス、すなわち、対話がないということではないか。もしそうなら対話のなさは教育的な指導である得るはずがないと。もちろん、高橋さんはそれだけではなく、最近の政治家の質の低下も書いている。
しかし、これは政治家にそのような緊迫感もたせるような質問や要請をしてこなかった、私たちの現状の結果ではないかと高橋さんはいう。
そうだとすれば、政治家の質の低下の問題は単に政治家の問題ではなく、そういうふうに政治を扱ってきた、私たち自身の問題である。
高橋さんのいうことは道理である。政治家の質を低下していると単にいうことはやさしいが、その結果は私たちの責任だと思うと気を引き締めなくてはならないと自覚をする。
ときどきの広い意味の文壇時評で作家の高橋さんの考察に教えられることが多い。