プログレスの終刊といっても物理学を専攻しない人にはなんのことだかわからないだろう。
プログレスの正式名称はProgress of Theoretical Physicsという故湯川秀樹博士が創刊した理論物理学の雑誌である。
1946年の創刊であったが、2012年12月に128号6巻で発行を終えた。これからは後身のProgress of Theoretical and Experimental Physicsがon line journal として発行されるという。これからはプログレスの購読料を払う必要がまったくなくなった。だが、ちょっとさびしい。
1965年の修士課程の学生だった頃に購読を始めた学術雑誌であり、自分の学位論文になる論文を発表した、雑誌である。
私だけではなく、私の前後の研究室の学生だった連中はみんな、このプログレスに論文を発表して学位をもらった。
新制大学院の初期の先輩たちはプログレスに論文を発表して学位をもらわれた方もおられるが、むしろ外国の雑誌に自分の学位論文となる論文は発表されたように思う。
だが、私の学生の頃にはもうプログレスは十分に評価が確定していたと思うので、プログレスに論文が出ていれば、あまりうるさ型の他の分野の教授からも文句がでなかった。
学位をとる人はみんなレターといわれる短い論文をいくつか書いた上で、長いフル・ペーパーを最低一つ、多い人では3つまたは4つも書いていた(注)。
私などはそういうことはできず学位論文になった論文ともう一つのフル・ペーパーとあとはレターが2編の最低限で学位をもらった。
これは指導教官のYさんがO教授に強力に推薦してくれた結果であり、どうも自分の力で学位をもらったとは思っていない。
だが、いい指導教官には恵まれたと思っている。ただ、それ以後は自分の力不足であまり物理学者としては成功しなかったのはまったく言い訳ができない。
ごく最近は数学とか物理の教育に関心があるのは、研究が難しいということもある。しかし、研究は少数の人にしか関係しないが、教育はとても多くの人に関係することで重要と思っているからである。
もっとも研究もそれが普遍的な、いわゆる教科書に載るような知識にまでなるなら、これはとても多くの人に関係することになる。いや、社会的な貢献はとてつもなく大きい。その価値は測り知れない。
いずれにしても最近のノーベル賞の山中教授の言にあったように、真理の探求には自然のヴェールを何枚も何枚もめくらなくてはならないのであり、その最後のヴェールをめくった人の寄与だけが重要だというわけではない。というのはおそらく正しいであろう。だから、テーマがなんであれ、研究者がいることには大いに感謝をしなければならない。
(注) ペーパーとは日常用語としては紙のことだが、学問の世界では論文のことである。研究論文のことを仕事Arbeitという人もいる。
なお、上に挙げた学位審査の規準はいわゆる博士課程を終えた人の規準であるので、その課程を経ていない人はもっと多くの論文数が要求されるのが普通である。7~8編から10編くらいの論文がある方が普通であろうか。
それが私の昔の感覚であるが、博士課程を経ない、いわゆる論文博士も最近は論文数が少なくても取得できるようになっているかもしれない。
私などよりも4, 5歳も上の方々には研究ができれば、学位などには外国に行くことを考えるようになるまでこだわらない方も多くおられた。
それほど牧歌的というか優雅であまり競争的ではなかった。だが、だんだん大学とか研究所の教師や研究職につくことが難しくなってくると、そんな話は通じなくなっている。