「吉水山宗慶寺 同所三丁ばかり西北にあり。朝覚院と号す、浄土宗にして伝通院に属せり。・・・・相伝ふ、伝通院の了誉上人、応永22年(1415年)乙未此地に至り、隠栖の地を卜し草庵を葺きてこゝに居せらる、側に清泉あり、洛陽の祖跡を追慕し是を吉水と号く、則当寺是なり。・・・・極楽水、境内本堂の前にある井を云、上に屋根を覆ふ、吉水と号くるもの是なり。此辺をすべて極楽水と唱ふるは、此井に依て名とすといへり」(「江戸名所図会」)
- ・ 吉水山宗慶寺 当時と違って直線で上る吹上坂の中腹にあって、直接坂に面して建っています。背景の高層マンション辺が松平播磨守上屋敷旧地です。
一方、「御府内備考」は「町内(橋戸町)里俗極楽水と唱来申候儀は、松平播磨守様御上屋敷内に了誉上人古跡、極楽の井有之候に付唱来候儀と奉存候」と書いていて、極楽水の所在場所は宗慶寺境内なのか、松平播磨守上屋敷なのかは問題です。「御府内備考」は別のところで、「宗慶寺地所の儀は寛文ニ年(1662年)壬寅四月廿九日御用地に被召上、松平播磨守様え同様御拝領地に被下置、宗慶寺は同所吹上下の方え引移、当時字極楽水と相唱候処に罷在候」と書いています。どうやら、元は極楽水=宗慶寺だったものが、湧水の地に松平播磨守の上屋敷ができ、近くに移転した宗慶寺の井戸もまた、極楽水と呼ばれるようになったようです。
- ・ 極楽水跡 高層マンションの敷地内にありますが、通り抜けのできる道が設けられていて、見学可能です。残念ながら湧水を見たことはありません。