神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

大塚駅前2

2019-06-13 06:38:04 | 谷端川・小石川3

 「御府内沿革図書附図」を見ると、藤橋と十羅刹の間に三つの池があり、各々から谷端川に注ぐ小流れが描かれています。藤橋と十羅刹の間というと、現在の大塚駅にあたりますが、駅周辺はすり鉢状の低地になっており、かっては大きな沼地だった可能性があります。それが、耕地化の過程で縮小し、いくつかの池が点在するようになった、そんな想像を駆り立てられる描き方です。巣鴨の地名由来に関し、大塚駅周辺の地形を指摘したことがありますが、その傍証の一つとして、この古地図を挙げておきます。

 

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    ・ 「御府内沿革図書附図」(嘉永7年 1854年)に描かれた、巣鴨村内の谷端川とその支流です。書き込みは主要なもののみ、また道路は主要なもの、橋にかかわるものをピックアップしています。

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    ・ 大塚駅南口  南口広場のほぼ中央に、三つの池の真ん中のものがありました。その奥のビルの裏側は小高くなっていて、十羅刹(現天祖神社)が祀られています。 

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    ・ 大塚三業通り  南口広場の東南角で、谷端川を暗渠化して出来た大塚三業通りは、(宮仲公園通り改め)プラタナス通りと分かれます。  

 ところで、大塚駅周辺は巣鴨村に属し、それも「江戸名所図会」や「尾張屋切絵図」などによると、開村時の中心である本村でした。それが南に1~2kmは離れた王子道、現春日通り沿いに発達した町屋の名前の大塚が駅名となり、現行の行政区分では駅をはさんで豊島区北大塚、南大塚となるなど、駅名が歴史を無視してつけられた典型のような展開になっています。これに、本来の(小石川)大塚の方は、文京区大塚となって別個存続しており、また中山道沿いに発達した町屋、巣鴨町の方に巣鴨駅が設けられるなど、話をややこしくする要素が重なって、今や、大塚駅の周辺が巣鴨本村だったといっても、ピンときません。