神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

字新田2

2019-06-11 06:01:45 | 谷端川・小石川3

 蛇子橋(寂法橋)で合流する水路を追っての二回目です。合流地点では都電荒川線と重なっていた谷筋ですが、旧中山道と交差する先端部分は、荒川線の東側にズレています。そこで今回は、ズレたところから旧中山道にかけて、谷筋にある路地をさかのぼりますが、水路跡かは不明なのでいつもの青点線は書き込んでいません。なおタイトルの新田は巣鴨村大字巣鴨の字で、谷端川左岸から旧中山道までがその範囲でした。「新編武蔵風土記稿」によると、慶長寛永頃開拓されたところで、小名としては上、中、下の新田が収録されています。

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

1226b 1226a

    1. 巣鴨新田駅と庚申塚駅の中ほどの都電荒川線です。左カーブの線路と分かれ右手に向かいます。 

1226d 1226c

    2. 荒川線と王子道の間にそれらしい路地があります。 

1226e

    3. ここはクランクです。ただ、地図類で未確認なため青点線は書き込んでいません。

1226g 1226f

    4. 旧中山道に出たところです。庚申塚まで数十メートルで、「是から石橋迄廿六間」とも付合します。

 <庚申塚>  「庚申塚 中仙道の東側にあり、碑に明暦三年三月吉祥日と鐫れり、当所は中仙道の建場なれは庚申塚の名高くして此辺地名の如く土人唱へり」(「新編武蔵風土記稿」) 「遊歴雑記」によると当地には元々、文亀2年(1502年)建立の庚申塔が祀られていました。それが明暦3年(1657年)の大火後、近隣から集まった復興資材が道沿いにあふれ、その一部が倒れたはずみに石碑が粉々になってしまいました。そのため今の庚申塚を再建し、文亀二年の碑をその下に埋めたようです。(「江戸名所図会 / 巣鴨庚申塚」は→ こちらです。右端の石碑が庚申塔、中央の道標には「王子稲荷大明神」とあり、王子道の行く先を示しています。)