神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

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巣鴨村用水

2019-06-03 06:53:03 | 谷端川・小石川3

 「谷端(ヤバタ)川 北の方瀧野川村より入、南の方小石川村に達す、是小石川の上流也、幅三間或は六間」(「御府内備考」) 「御府内備考」には収録されていませんが、雑司ヶ谷村境の字水久保には水窪川の水源が、西ヶ原、上駒込村境には谷戸川(藍染川)の水源があり、各々若干の田圃の灌漑用水となっていました。ただ、明治11年(1878年)の「東京府村誌」に、「灌漑ノ利ナク時々旱暵ニ苦ム」とあるように、これら用水への依存度はごく低いものでした。同「村誌」の数字では水田面積6町5段余、これに対し畑は82町7段余と、畑作中心だったことがうかがえます。 

 

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    ・ 「巣鴨村絵図」  「豊島区地域地図」第7集(平成21年 豊島区立郷土資料館)に収録された、享和元年(1801年)作成の「巣鴨村絵図」(東京都公文書館蔵)が元で、田用水を強調、道路などは主要なものだけをピックアップしました。 

 巣鴨村にかかわる谷端川の橋として、「御府内備考」は「橋四を架す、一は板橋にて王子道にあり藤橋と云長五間、其余は共に土橋にて上橋、寂法橋、東福寺橋の唱あり、何れも長四間」と書いています。一方、「巣鴨村絵図」に描かれているのは、滝野川村境のものを除くと七個ありますが、藤橋の一つ上流のものは、この「村絵図」にしかありません。他の六個は→ 「東京近傍図」とも共通で、うち藤橋と東福寺前にある東福寺橋は特定が容易です。

 

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    ・ 谷端川跡(都道436号)  大塚駅前で都電荒川線と交差、その先の信号が王子道で、藤橋が架かっていたところです。なお、王子道を左折すると、800mほどで旧中山道庚申塚に出ます。

 あと、藤橋と東福寺橋の間の橋は、「東京府志料」の橋梁リストに「熊野橋 同村土橋長四間幅四尺 橋傍ニ熊野社アルニ由テ名トス」とあります。同リストには上流から新土橋、仲野橋、真法橋、藤橋、熊野橋、松下橋がリストアップされ、真法橋の旧名を寂法橋、松下橋の旧名を東福寺橋としているので、「村絵図」の上流から橋名の大半を割り振ることができます。なお、明治末から大正、昭和にかけて定着していた橋名は、上流から上の橋、(中の橋)、宮仲橋、(葭山橋)、蛇子橋、藤橋、熊野窪橋、東福寺橋で、かっこ内は大正時代の架橋です。