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「ダーティ・ワーク」 絲山秋子

2013-06-19 | 読書

熊井という女性ギタリストと、高校時代バンドを組んでいた相手、遠井との関係を軸とし、その周りの人々もロンドのように物語の中で役割を果たす、凝った小説。

各編は初め全く別な話のように見せかけて、それぞれが少しずつつながっている。勢い、人はさまざまに視点から多面的に語られる。そう長くない小説だけれど、各章が重層的に響き合い、読後は長編小説を読んだようにずしりと来る。作者は言葉を極限までそぎ落とし、不必要な形容詞を多用しない。

錆びつきつつある私の頭では、読んでいて楽ではないけれど、必要な心理描写はあるので、それぞれの気持ちも納得できる。

で、思ったこと。ここにいる人たちはみんなつながりが希薄で、その希薄さが現代の不幸であるんだなと。最後に熊井が遠井の子供を妊娠し、やり直そうと決めるのはやはりこれも斉藤美奈子言うところの妊娠小説か。妊娠は全てを初期化し、またはひっくり返し、はたまた大団円に至る魔法の杖。

写真はいずれも周防阿弥陀寺で。


昨日は京都往復のバスチケットを買いに行った。新幹線の半額以下。節約、節約。バス、好きです。

寝られる。車内放送がほとんどない。などかな。夫は夜行バス大嫌い。窮屈だそうです。その昔、学生時代、サークルの旅行などで、夜行列車に乗っても、長い手足が邪魔で寝にくそうにしてましたね。体が小さいのもたまにはいいことあるんだあ。

最近発見したこと、夫は立ったままで風呂場の天井に手が届く。何だ、そうだったんだ。私が高い踏み台に乗って掃除していた長い年月は何だったの?これからは掃除してねと頼んだのに、今のところやる気配なし。

こういう場合命令ではなくお願いですよね。こちらも長年の言い方の癖がでて、うまく人を動かせられない。夫を使いこなせずしてなんぞ嫁を使いこなすべきや。いえいえ、昔の嫁は使ってなんぼの存在、嫁を遊ばせず次々仕事を言いつけるのができる姑。そんな姑、たぶん今や絶滅危惧種と思いますが。

君は今頃、幸せでしょうか。一度だけ街で見かけたけれど。アジサイまではまだ間があるから、こっそりと君の名を呼ばせてください。

毎年花は忘れずに咲くけれど、人の身の上は決して去年と同じというわけではない。捨てなければ前に進めないことだってある。普段は忘れているけれど、花を見るとまだまだ心が残っているのを知るのである。日本的抒情。

 

 

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