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歩く、食べる、話す、笑う。

2020-11-29 | 断想

今はクリスマス。

お正月には飾りを替える。


昨日会った友達、お店の配慮で斜め向かいに座り、お互いマスクなので話が遠い。遠いけど頑張って話をする。

暗い気分になる話はしない。前向きに、今していること、これからしたいことを話す。

まだまだ頑張ってやりたいことしようねと確認。それから10代の時のことを一昨日のことのように話した。同窓生の誰彼のことを。

頭いい人に限って美人なのよね。とひがんだ発言をする私。でもまあ、頭の中身や顔の良しあしも親から受け継いだ資産。限られた資産で生きてきたこの人生、今さら悔やむのはおかしい。私は私なりに。それはこれからも。


私は同世代や少し上の人との付き合いが多いのだけど、皆さんそろそろ、歩きにくい、あまり食べられない、正座しにくい、階段がつらいなど、不調を訴えるようになった。

その話聞くとちょっと寂しくなる。

うちの姑様は2019年の1月まで、エレベーターのないビルの四階に住んでいて、2018年の一月、年で言うと94歳に大腿骨を骨折するまでは、手すりに掴まりながらも、自力で何とか階段を上り下りできていた。

今思うと素晴らしい体力だったと思う。階段使えなくなったら施設に入るしかないと自分でわかっていて、必死だったのだろう。

自立心の旺盛な人なので、私たちの援助も受けつつではあるけれど、一人で暮らしていた。

夫は昨年の一月にぎっくり腰になってからずっと調子が悪い。昨年の五月にはあまりの痛さに歩けなくなり、私は旅行で不在、スタッフに車椅子押してもらって近所の整形外科を受診した。

本人は姑様の家での介護、特に中腰でオシメ替えて腰を傷めたのだと言っている。姑様本人の、家族の恥になるのでしょうか?こんなことは。いえいえ、自分自身への自戒として、書き留めておきたいのです。

私は息子が介護するといっても、断るつもり。一人で暮らせなくなったら住み慣れた家を卒業して、年寄りの寄宿舎に入り、同じ境遇の人と介護受けながら共同生活して最後の時を迎える。それでいいと思っています。

夫は体格がいいし、自分の体力を過信していたのです。しかし、一回ずつは大した負荷がかからなくても、毎日何度も繰り返すのがじわじわとダメージを与えたのだと思います。

そういうことにならないよう、今からしっかりと言っておかないと。認知症になって言えなくなる恐れもあり。

夫は、私が反対しても納得するまでお世話したはずだからもう何も言うことはないのですが、私の息子が介護の結果、不調をずっと抱えて老年を迎えることになったら、母親として悔やんでも悔やみきれない。無理はしないように、美談にしないようにと言い続けるつもり。

私は夫に、介護になるずっと前から、お母さんの介護はあんたがしてね。長男の嫁がしたのでは当たり前すぎて誰も目に入らないし、感動しない。息子がしてこそ世間は感動し、お母さんも喜ぶと言い続けてきましたが、今思えば悪いこと言ったなと後悔しています。

感動するような美談にしてはいけなかったのだと。義理の親なら愚痴も言えるけれど、実の親は黙って受け入れるしかないのだから。

お母さんの介護は専門家に任せて、しっかり話し相手になったりするのが大事って、なんで言えなかったのかと後悔している。

昨日の友達、お見舞いに行った友達のご主人に「頑張ってください」と言っていたけど、それは経験がないから言える言葉。私はとても言えなかった。「体に気を付けて、使える制度は使って少しでも楽に」と言うしかなかった。


話がタイトルとどんどんずれてきたけれど、元に戻すと、昨日の友達も食べるのも歩くのもゆっくりになり、合わせ鏡として自分の年齢も自覚せざるを得なくなったということです。

今日は自転車で外出して、以前ほど体の機転が利かなくなり、ちょっと危ない思いもしました。危ないと思えばもう自転車から降りて危険をやり過ごす。そうしたいと思います。

少しの距離でも歩く。三食バランスよく食べる。(食べられないという感覚が私にはわかりにくく、常に食べ過ぎ気味。反省)。誰とでも仲良く、楽しい話で盛り上がると、まあ年寄りの心得としては王道の数々を今日は強く思いました。


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