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「仏教民俗学」 山折哲雄

2021-12-05 | 読書

アマゾンのおすすめ本に出てきたのでつい買ってしまったけれど、何しろ講談社学術文庫、文庫とは言え、300ページ以上の大著で読むのにちょっと難儀した。

私の本の読み方は初め少しずつ、最後三分の一くらいは一気読み。最初からそうすればいいのだけど、その世界に入るのに時間がかかる。これも寄る年波の故か。

いえいえ、山折先生はまだお元気。

肺炎から生き返った私がいま思うこと 山折哲雄さん:朝日新聞デジタル (asahi.com)

私は今まで、仏教の信仰と民間の宗教的習俗は別々のものと漠然と思っていたけれど、両者は分かちがたく結びついている。そのことを具体的な例をいろいろ挙げて論考しているのが前半部分。

また各地の宗教的な習俗を丁寧に拾い上げ、なぜそこで生まれたか、仏教の影響はあるのかどうかなど、ちょっと難しかったけど、日本仏教の神髄に迫る論考として、素人ながらに面白く読んだ。

一部重なる部分があるのはいろんな場所に発表した論文を集めたからとやがて気が付く。

私的に面白かったのは「日本人のふるさと観」、「隠れキリシタンと隠れ念仏」など。薩摩藩では一向宗も禁止され、門徒はひそかに信仰する。カヤカベ教、それが高千穂峰の山麓、50戸ほどの集落などに残る。。。。知らんかったあ。。。。びっくり。

また東北では「善知識」と呼ばれる指導者の下の念仏集団があり、その結合が強いため本山寺院からは異端とされ、また仙台藩などは厳しい弾圧をしたとか。

始まりは親鸞の子、善鸞からという説も本書では紹介されている。善鸞は親鸞の教えに密教的秘儀を加え、自分だけ親から直接教えられたという分派活動(70年代用語)をして親鸞から義絶された人。

東北の地がそのようなものを受け入れやすかったということもあったのでしょうか。これは私の感想。親鸞は晩年京都へ戻るけれど、東国の信者がわざわざ、京都へまで来ていろいろな教えがあるけれど、

孫が来て中断、また後程、ごめんなさい。

ホントのところはどうなのかと聞いている。親鸞はそれに応えて念仏以外に何もないと答えている。(歎異抄より)

この本のテーマとは外れるけど、宗教においても思想においても社会活動においても、その内部につねに異端を内包しているのではないでしょうか。

正統が社会の動きに対応できなくなった時、必ずや新しい運動が起きるものです。あるいはまた、正統があまりにストイックな場合、ちょっと他の、楽でわかりやすい要素も取り入れてみる。東国での異安心(いあんじん)は、その流れかなと愚考するわけです。当時は中世、識字率だってうんと低い、人々は素朴、また民間信仰、習俗もうんとある。その中にあって、宗教はどんどん変容していく。それもまた自然の流れではないかと。

私ですか?

もう完全に習俗ですね。

神様も仏様も人間が考え出したもの、自分の願いが叶うようにいろいろな仏様が考え出された。そう思う不信心な私もお寺に行くのは嫌いではありません。その時だけ、何もしなくていいので心が落ち着く。祖父のことを思い出している。

そして私の実家のある高松では、冬の寒い時期、2月だったと思うけれど、各お寺でおときがいただける。老若男女誰が行ってもいいんです。ニンジンや大根がたっぷり入ったしっぽくうどん

しっぽくうどん 香川県 | うちの郷土料理:農林水産省 (maff.go.jp)

が、本堂でいただける。きょうはあのお寺、明日はあちらとごちそうになりました。今もその行事があるかは不明。

広島ではおたんやとか言うのかな。昔は魚屋さんが休んでたと思うけど、親鸞上人の命日かなんかだって、広島へ来てから知りました。

私の場合、お寺=祖父=お下がりのお菓子各種=寒い時期の熱々うどんということになっています。つくづく信仰心が希薄な私。いい年して、習俗としてのお寺との関り。


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