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「日本人が忘れた季節に馴染む旧暦の暮らし」 千葉望

2016-10-12 | 読書

ハロウィンの飾りつけ 昨年秋、名古屋のホテルで


日本では明治初めまで太陰暦という暦を使っていた。新月から始まり、また元の新月に戻るまでの約28日を一月とし、十二か月で一年。それでは太陽が一巡りする一年とずれるので何年かに一度閏月を入れることで調整してきた。。。。と言うふうに私は理解している。

暮らしは太陰暦で営まれるので、昔の行事、文学作品なども太陰暦で考えると分かりやすい。生活の中に太陰暦の季節感を取り入れると、もっと暮らしが豊かになるというのが本書の考え。

今さら世界標準の太陽暦は捨てられないけど、季節の行事は太陰暦でしてもいいのではないかと、愚考する。

例えば七夕、梅雨のど真ん中、大雨が降ったりして、降らなくても曇ったりして星はよく見えない。これが旧暦だと立秋も過ぎ、少し涼しくなって空を見る余裕もできるというもの。

桃の節句も寒すぎ。モモの咲く四月になってからが好ましい。

そもそもお正月からして、新春と言うには冬至からわずか10日くらいで、暗くて寒い。これが旧暦だと2月初めころ、日増しに明るくなり、寒さは厳しいけど、日差しに春の気配を感じ、気持ちが前向きになれる季節。

そのことを知って暮らすのは悪くはないと思う。

私事ですが、私が10歳くらいまで、我が家では新暦の正月に続いて旧暦の正月も祝っていた。同じように餅つきをして、お雑煮食べていた。と言うか、お雑煮はたくさん搗いた餅で、新暦の正月から延々新暦の3月頃まで、朝食に食べていた。

祖父母の着ていた木綿の着物や、炭火や火鉢や、するめにミカン、凧上げなど今、セットで思い出したところ。

新暦の正月はシンショー、旧暦はキュウショーと言っていたが、どちらかと言うとキュウショーに重きを置いていた。農作業などの節目になっていたのかも。

祖父は何十年と日記をつけていて、天気、気温、その日の農作業、など書いていた。あの日記、今あればとても貴重だと思うけど、たぶんもう捨てたと思う。残念です。

勿論、実存の不安とか、世間への不満とかそんな記述はないと思う。近代的自我とは無縁の日記。そんなこと考える暇があったらさっさと寝る。ものすごく早寝早起きの人だった。暦に合わせて、太陽に合わせて生活していたのかな。

まことに健康的な暮らしでした。


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