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FUTON 中島京子

2014-11-05 | 読書

去年だったか、「小さなおうち」で直木賞を受賞した著者のデビュー作。

アメリカの大学教授で田山花袋の研究者デイブ・マッコーリーは、教え子の日系人エミに惚れ、二人は深い仲になる。デイブはちゃっかりした現代っ子のエミに振り回され、後を追って日本へ行き、再会を願って祖父の店に通い詰める。

それが一つの筋で、小説の中にはめ込まれたもう一つの小説は、研究者デイブが、田山花袋の蒲団を妻の立場から書き直す試み。題して「蒲団の打ち直し」。妻は女に大切なのは年頃になると親の言うとおりの結婚をして家庭を守ること、それを疑わない。

夫が若い女性に振り回され、親切にするのが面白くない。女性の図々しさにも呆れている。

これはこれで面白いと思った。というか、よく書けている。男は若い女が大好き、そんな男を妻が鼻白んでみている。これって古今東西、あまりに有り触れた話。

妻は生活者として、愛だとか恋だとかいうのが分からないし、結婚前に若い男女が旅行するなんてと仰天する。女々しい夫に対してたくましい。二年間使った蒲団、腹立つので捨てようと思うが、打ち直したらまた使える。と布団をひとたたき。この健康なところがとてもよかった。

で翻ってデイブである。こんな風通しのいい小説が書けるのに、自分の色恋のこととなると中年の分別を忘れて右往左往、ほんとにこの小説書いたの。作者の中島京子さんが書いたんと違うのと思った。

エミの祖父の若い彼女の話、祖父の介護をする女性とデイブの関係などはこの作品では枝葉。枝葉が最後で少し繁り気味かも。

しかしまあ、知性ある人もそうでない人も、若い女性の前では我を忘れるようで。若いというだけでこんなに人の心を惑わせると知っていたなら、もっといろんなことしとけばよかったのかしら。いえいえ、一つ年上でもおじさんと思っていた私は若さという資本をむざむざどぶに捨てたのでした。

誰でも若い時があるし、誰だって歳を取る。私にかぎって言えば、歳とったからといって特に賢くなった自覚もない。知っているはずの言葉がスッと出て来なくて、頭の中に白い霞がたなびいている。みんなこんなものだろうか。心配、、、、

 

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