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練炭火鉢の頃

2020-12-15 | 断想

昨日あたりから急に寒くなった。本日、広島で6℃。新型コロナもあるし、年末だし、あまり出歩かずに、家でできることをしている。

昨日、来月展示する場所の現在の展示の様子を見に行った。ヒートンあり、スタンド型の看板あり、軽い作品は台紙に貼って、その台紙を押しピンでとめていた。

うーーーむ、姑様の藍染の大作、押しピンで穴開けるのは抵抗がある。それに布製品、何か所か止めても垂れてくるので、横棒入れた方がよさそう。

藍染めは和風なので、織の教室が解散するとき、先生のご主人が竹の暖簾棒で作ってくれた二本の綾棒が使えそう。

そのほかにはごく細いヒノキの丸棒、私の織りは太い丸棒の両端に、ろくろで切った木の飾りをつける。それは東急ハンズで買ってきた。

本日はもう一度作品を並べて、どんな棒がどれだけいるか考え、近所のホームセンターで材料調達、昼休みに夫に加工いろいろしてもらった。

午後からは織った作品の端を縫って、棒を通しやすくしたけれど、全然よくないので、裏から布を縫いつけることにした。

展示用に織ってないので、縁の平織りの部分が狭く、窮屈な感じ。

まだ日があるので焦らずに、毎日少しずつ進める予定。


この後、一年に一度の年末調整の計算がある。これは今年は曜日の配列がいいので、24日の夜までにすればいい・・・はず。

なんて暢気に構えていた7,8年前のある年末、姑様が敷居のわずか2㎝くらいの段差に躓いて転倒、電話があって夫と二人で行くと痛がっているので、翌朝、整形外科へ連れて行ったことがある。

手首、骨折していましたね。

一年のうち、いちばん何かがあったら困る日になんでまたと、思ったけど、でも何とかなったのでしょう。そのあとの記憶がないから。

まあ今年もダッシュで頑張ります。今年の売り上げはコロナの影響で、開闢以来の地味なものでしたが、来年はどうでしょうか。食べるに困らなければ、余分なお金は不幸の元、といつも負け惜しみを言う私。


寒いのが好きかと聞かれれば、もちろん好きではないけれど、冬本番になって、きりりと寒くなる最初の日には、遠い冬のあれこれを思い出して、寒さに喚起される思いがあるわけです。

息子が中学生だった30年くらい前、

「火鉢って何?」と聞かれたことがある。そうかあ、見たことないのでこの子たちは火鉢さえ分からなくなっているんだとしみじみしながら説明したら「そんなんで暖かい?」とまた聞かれた。

「暖かくはないけどね、手先を温めるだけ」

「ふうん」と納得しない風だった。


子供のころ、家に練炭火鉢と言うものがあった。火鉢型の練炭コンロ、縁が広くて平たく、食器置いて簡単な食事もできた。

真ん中には水炊きやすき焼きの鍋をかける。我が家は水炊きが多かったかな。台所の椅子を周りに置いて、食べていた。日曜日の夜は父がよく焼き肉をしてくれた。着ているのは母が縫ったウールの着物と羽織。

練炭置いてないときは、お盆乗せてテーブルに。我が家のクリスマスケーキは火のない練炭火鉢の上によく置いていた。

石油ストーブが普及すると、火鉢型のストーブを実家では使っていた。これは火が近くて煮炊きに便利、暖房もできるという優れものだった。近所のホームセンターに10年くらい前まであったけど、今日見に行ったらもう売っていなかった。残念。

台所が狭くなるし、何よりもダサいのでとうとう買わなかったけど、今になれば残念。

日曜日に焼き肉作ってくれた父は、性格は温厚でゆかいな人。

初め農業、途中から勤めに出て、土地の一部をつぶして貸家も建てて、時代の波に頑張って乗って行った人。

火鉢からいろんなとこと思い出したけど、今生きていたら、同じ年寄りとして話が合うような気がする。って、死んだ人はそこからは年取らないわけで、私もあと7年で父の年に追いつく。とりあえずは追いつくことが目標。

コメント (2)
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