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沖縄2日目~3日目 名護から那覇へ

2019-08-02 | 旅行

瀬底島は最後はビーチへ

空模様が今にも降りそうで、早々に引き返し、今夜の宿のある名護市に向かいます。

案の定、途中、豪雨。でも着くころには上がりました。

宿に荷物置いてそこら辺を歩きます。

21世紀の森、ビーチと言うのは最近整備された海べりの施設。市役所のすぐそばで泳げるなんてびっくりです。

雨のあとで浜には誰もいませんでしたが、BBQを途中で切り上げた人が空を見上げていたり。

名護市役所。有名な建物らしい。ユニーク。ガウディ的、またはコルドバのメスキータを連想したけど、スペインのことは言わない約束、黙っていた。

今写真見て思うのは、沖縄の伝統的建築、赤瓦に漆喰のイメージかと思います。暑い土地で、日除けと風通しを兼ねた装飾でしょうか。

この日はとても歩いたそうで、ここまでで2万歩くらい。歩いてホテルに帰りますが、夫は食事を外でするとまた出かけました。私はホテルのレストラン2割引きのチケットでお寿司など食べました。

この夜も二人で一部屋。エアコンが寒くて何度も目が醒める。明かりがつけられなくて、トイレに座って持参の本を読む。辛いなあ~、こんなことがあるので、海外ツアー、人を誘えないのです。


しかしまあ、少々眠れなくてもすぐにどうこうはないはず。

次の25日は高速道路で那覇まで。高速だと沖縄的景色は見られないけど、本日のスケジュールいっぱいです。どんどんこなしていきましょう。

首里城の駐車場に車入れて、今から見学。朝から暑い。

広いです。

上がって来ました。

宮殿内は冷房完備。グループに分かれて説明してもらいます。

こちら王の玉座。中国風。

首里城は沖縄戦で破壊され、20年くらい前に?再建されました。

建物出て、龍が屋根にいます。

一番先の展望台から振り返ります。

ミニ紫禁城といった趣き。中国文化の影響が感じられます。

見学コース終えて、外へ出て公園まで下りると戦跡がありました。

32軍、司令部壕の跡です。

入り口

もう一つの入り口。

首里城は高い丘の上にあり、地下には壕がありました。

https://www.naha-contentsdb.jp/spot/652

戦争の記憶がまだ生々しいのが沖縄。戦争にならないようにするのが政治の仕事。お願いします。

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「ぼくは猟師になった」 千松信也

2019-08-02 | 読書

先日見たテレビ番組「ぽつんと一軒家」で、香川県で猟師をしている男性一家が紹介されていた。その番組を見るその瞬間まで、私は鉄砲持って動物を撃ち取るのが猟師とばかり思っていたけれど、それとは別に「罠猟師」と言うジャンルもあるそうです。

森の中にわなを仕掛けて動物をとらえるのも猟師で、著者もこちらの方でした。

親本の出版は2008年で、当時、京大卒の猟師として話題になった記憶がある。その時は京大まで出て、なんでまた鉄砲担いで山の中を走り回っているのかと、能力を他のことに生かせばいいのに、何か挫折でもあったのかしら、それとも究極のエコロジストと思っただけで、忘れるともなく忘れていた。

一昨日、読む本が無くなってゆめタウンまでチャリンコで。紀伊国屋で買ってきました。リアルの本屋も久しぶり。たいていはアマゾンの中古本をジャケ買いする私。たまには本屋へ行くと刺激がいっぱいあって楽しかったです。

子供のころから自然と動物が好きで獣医を目指していたけれど、ペットの医者になるのに疑問がわき、たまたま柳田国男の本を読んで民俗学に志望替え、一浪ののち京都大学へ入り、休学を四年もしてアジアを放浪、帰国後のアルバイト先で罠猟師の人と知り合い、技術を教えてもらい…と型にはまらない青春遍歴は読んでいてとても楽しい。

猟師と言っても猟期は冬の三か月だけ、本業はちゃんとあるけれど、この本で紹介される猟の技術の数々を読めば、やはり猟師と呼んでいいと思う。

つかまえて、さばいて、肉を保存する過程が達意の文章で大変にわかりやすく、また猟師仲間の交流と宴会の様子も読むこちらも楽しくなります。

イノシシ、シカ、鴨、スズメの獲り方とさばき方、料理の仕方など、おいしそうです。そしてそこから今の食品の流通の仕方にも問題提起をしています。

いいなあ、猟師。いいなあ、宴会。

10年以上前、ホームページのオフ会で山陰の山に登り、山頂で、ある参加者が持参のイノシシ肉で鍋して、メチャクチャおいしかった。味が深くて、店で売っている牛肉なんかと全然違う。

この本の中では血抜きと内臓の取り出しかも詳しい。そこをおろそかにすると味が落ちて臭みが残るそうで。

著者は自分が食べる分だけを獲るそうで、それも一つのポリシー。真っ正直な生き方に共感しました。文章力も基礎学力があればこそ。

 

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夏籠りの日には

2019-08-02 | 随想

広島空港横 フォレストパークで。2017年8月。


あの夏、この夏のいろいろなことを思い出す。

六年生の夏休み、学校から三人、NHKラジオの公開録音に参加することになり、大変だった。そのことはぼんやりと憶えている。

それは香川県内の各学校から児童が集まって三日間くらい合宿し、最後に公開で歌ったり、楽器演奏したりするもの。確か「声くらべ腕くらべ子供音楽会」というタイトルだった。

当時はいい宿泊施設もなく、津田という海水浴場至近の小学校の教室に蚊帳を張って寝ていた。午前中は練習して、午後から一時間くらい海で泳ぎ、あとは何してたかなあ~細かいことは全部忘れた。

手足を動かすのが昔からダメな私が、ハーモニカの演奏する羽目になったのにどういういきさつがあったのか、全然思い出せない。

夏休みに二週間ほど、「松原遠く~」のあの小学唱歌の演奏を、当時、非常勤で放課後の音楽クラブに教えに来られていた先生のお宅へ三人で習いに行くのです。お礼は…学校から出したのかもしれないけど、少なくとも私たちは出していない。

電車の駅で待ち合わせて、二駅乗った瓦町で降りて、裏手のしもた屋風のお宅が先生の家。借家だったのかもしれない。座敷で、開け放して、小さな庭があって。毎日貰うお小遣いで、アインキャンデーやジュースを帰りに買うのが楽しみだった。ジュースは黄色いミルクセーキなど。

合宿の最終日は学校の体育館での録音。私は元々上手じゃないし、クラスも違う三人、結局銀賞だったかな。

その時知り合った小豆島や塩之江の子とは、他に通信手段のない昔だから文通したりしていた。子供だから尋ねていくこともなく、やがて付き合いも途絶えたけど。

楽しかったのかなあ~、きっと楽しかったのだと思うけど、楽器演奏はけっこうプレッシャーだった。それに私は場所替わると昔から眠れなくて、夜、友達と教室出ていたら先生にとても叱られた記憶がある。そりゃそうですよね。でも子供だからその意味も分からず。

夏のレジャーと言えば海水浴、他にはほとんど何もない60年も前の夏を、最近ふと思い出した。

夏になれば、久しぶりに縁が遠くなった人と会える気がする。きっとそれは、たくさんの夏の記憶がそうさせるから。

子供のころ、お盆に近所の墓地へ行くと、都会へ行った人、嫁に行った人に思いがけずに会ったり、暗がりで親が懐かしい人に声かけられたりして、今思えば、自分のルーツはそこらへんかなと気が付く次第。

年上の人達はだいぶあちらへ行ったけれど、私もいずれはそちらに参ります。あちらとこちら、若い時よりはうんと近くなっている気がする。ふとした弾みによみがえることがある。

9月になって、もう取り返しのつかないくらい季節が過ぎてしまったと気がつくまで、眠れない夜などに、しばらくは気持ちがあちらこちらへと浮遊している。これも夏の楽しみ。

フォレストパークで。2017年8月。

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