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「いまも、君を想う」 川本三郎

2013-04-02 | 読書

評論家、川本三郎氏は若い頃、朝日ジャーナルの記者をしていて、過激派の活動家に取材範囲を超えて関わり、逮捕され有罪判決を受ける。懲戒免職のあと、記者時代に知り合った七歳年下の女性と結婚する。

2008年、妻が食道がんで他界するまでの35年間をエッセイ風に回顧したもの。随所にその妻への愛情と哀惜がちりばめられている。こういう作品はともすると女々しくなりがちだけど、ぐっとこらえて、今はいない妻がどんな女性だったか、丁寧に書いている。美人で、若くて、賢くて、センスが良くて、料理好きで、ユーモアがあって、お金の管理もきちんとできて、海外旅行の手配も一人でこなして、本当に素晴らしい方だったのだろう。

二人には子供がいなかったという。二人で食事に出かけ、映画やコンサートや旅行に出かけた二人、きっととても仲が良かったのだろう。悲しい話だけど、読んでいて、こんなに想われて幸せな人だったのだなあと思った。

我が夫、私のことこんなによく記憶していてくれるとも思わない。私も、夫のことこんなに礼賛できるだろうか。お互い配偶者がいて当たり前の暮らし、それが永遠に続くとは思ってないけど、近いうちになくなるとも思っていないから、平常心でいられるのだろう。

寒いね、暑いね、あの人がどうかしたらしいよ、という何でもない会話、その中に幸せがあったと川本氏は言う。そうなんでしょうね。先日読んだ「未亡人読本」の巻末に、同じころに配偶者を亡くした者同士で対談していた。男の方が家事の負担が一気に押し寄せてきて大変だなと思った。個人差もあるけれど、女の方が立ち直るのが早いのかなと思った。

男の方が大なり小なり抑圧的。それは男が悪いのではなく、制度的なもの。その重しが取れて、初めて自由になったという実感を持てる人もいるのでは?

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「未亡人読本 いつか来る日のために」 河治和香 

2013-04-02 | 読書


世の中には結婚している人が数えきれないほどいるし、ということは同時に亡くならない限り(近所の方で、事故ではなくて同じ日に亡くなられたご夫婦がおられた。奥様の病院へ行くために玄関で靴を履いた後で急死されたとか。前世からよほどの深い縁でむすばれていたのだろう。合掌)、どちらかが残されることになる。

未亡人、未だ亡ぜざる人・・・ほかに何かいい言葉はないものだろうか。

それはさておき、未亡人はものすごく多いし、その体験もあまりに有り触れているのでわざわざ本にするほどのことではないのかもしれないが、いざその立場になると、戸惑い分からないことだらけ。それを一冊にまとめた実用書でもあり、配偶者の死後、どのように生きるべきかという指針としても読んだ。

人は必ず死ぬ。どちらかが残される。その時の諸手続き、心の持ち方、参考になった。映画関係の仕事をしていた夫との間に子供がいないので、きょうだいにも相続権がある。結果としてはすんなりといったけれど、義母の前の結婚の時に生まれた子供(夫からは兄)を探し当て、事情を話して相続放棄の手続きをしてもらう辺りはスリリング。うまくいってよかった。

死後の手続きの煩雑さに音を上げながらも、夫が生前親しくしていた人たちから励まされ、力を借りて何とかこなしていく。悲しみは癒えないけれど、誰にでもやってくる不運をどう受け止め、咀嚼し、人生に生かしていくかで、幸運のチャンスも見えてくると著者は言っている。経験した人の言葉だけに重みがある。

そして巻末では、不安も、孤独も、年を取っていくゆくということも・・・逃れられないものであるなら、それぞれのいい面を探りながら、うまく付き合っていく。と結論がある。なんか私自身が励まされた気がする。いつかこの本が必要になった時、読み返してみよう。


絲山秋子氏の公式ブログによると、近所の中学校へ読書体験について話に行かれたとか。読書とは心の筋肉をつけること。その筋力があることで、広く物事が理解できて、柔軟に対応できる・・・というようなことを話されたとか。

心の筋肉、いい言葉だと思った。人の実際の見聞も大切だけれど、読書の体験はそれをもっと大きく広げてくれると思う。


昨日、電停で電車待っていたら、全然知らないおばさんが「着物がスっとるよ」と言いながらいきなり寄ってきた。

「えっ??」と戸惑う私。どうも着物の着丈が長いと言いたいらしい。わーーーん、わざと長めに着ているのに。常々、年配女性の着物、なんであんなに短く着るのかと思う私。歩くと足袋の上の生足が3センチくらい見えてる人がいて、ぞうきん掛けしていた昔の女中(←お手伝いさんに言い換え)じゃあるまいに。そういう人はたいていものすごくパーマの当たった短い髪。

紬は普段着なので短めにというのはtheory、しかし今はどんな種類の着物でも(浴衣は除く)非日常のものと私は思う。走ってもいいくらいに短く着るのはおかしいと思う。でもそんなこと、見ず知らずの人にわざわざ言いますか。言いませんよね。

あちらさんはアドバイスのつもりかもしれないけれど、着物のことになると途端に赤の他人につい口出ししたいのはなぜだろうか。それに地面を擦るほど長くは着てないのに。

要するに私が着物着ているのが気に入らないと。気に入らないから、何かあらを探して指摘して優位に立ちたいと。そう思うことにした。そこまで言ってしまうと、自分がものすごく性格悪い女になったようで落ち込む。

着物の定義その一、それはある種の人の感情を刺激する。その感情の攻撃に耐えるのも、着物を着る上では必要な覚悟。ということかな。こうして書いて気持ちに折り合いをつけて、それも手間のうち?

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