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穏やかな連休三日目

2019-11-04 | 随想

やれやれ、神戸激安新幹線ツアーで大阪へ出かけた夫は、日付が変わって、駅近くに停めてたチャリンコで帰宅。

土産話を聞き、こちらの話をして、ついでに録画していた「一軒家」見るうち、深夜二時ころ寝た。

話しながら、夫土産の、鶴橋のキムチでご飯食べてお酒飲んで、名古屋の友達が送ってくれた寿やの栗きんとんも食べて、今朝は体重がちょっと増えていた。

いけませんねぇ。

朝からいいお天気。きのうこのお天気ならよかったけど、雨に降られなかっただけ良しとしよう。

しばらくはいいお天気が続きそうで、無駄にせず、有意義に過ごしたいものです。

名残のビッチュウフウロ。10/22 八幡湿原で

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首里城全焼が悲しすぎる、、、

2019-10-31 | 随想

再建した沖縄の首里城が、本日全焼。

とても悲しいです。

7月に沖縄旅行して、見学させてもらいました。

https://blog.goo.ne.jp/kawashima134/e/43ac85b280163bb8711286d777922282

沖縄戦で全焼し、1992年に再建。

沖縄は本土から見ると日本の端っこのようですが、中国や台湾との中継貿易で栄え、建物も中国の影響を受けながら、中国そのものではなく、沖縄独特の立派なものでした。

首里城は沖縄の人たちの誇りで心の支えだったことでしょう。

展望台から正殿を振り向いたところ。

写真、もっとたくさん撮っておけばよかった。内部の展示も立派でした。まさか焼失するなんて思わないので。

ご冥福をお祈りするというのは建物には言わないと思うけど、今はそんな気持ちです。

今朝起きたら夫がもう起きていて、大変なことになったと言うその言い方が、中程度よりももっと強く、本当に大変な感じに近かったので、何ごとかと思ったのです。

沖縄旅行、暑くて大変でしたが、私の大切な思い出の一部も失われたみたいで、寂しいです。

二度までも火で失われた宮殿、次はちょっとの煙でもスプリンクラー全開で、放水銃がすぐ始動して、すぐに消えるような設備を取り入れていただきたいものです。

合掌。

 

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好天の土日、忙しかったー

2019-10-28 | 随想

土曜日は午前中、孫の学校へ。

午後は何してたかな。休んだり、機織り準備したり。

日曜日は友達お嬢ちゃんのフリマ出店に便乗して、おばあちゃんたち、一部大学が残る公園で遊ぶ。

お店の手伝いと、あとは各自で持参した重箱を木の下で広げて、ピクニック。

人様の作ったもの写真撮るのは遠慮して、思い出すままに。

栗ご飯のおにぎり(重箱がひっくり返ったけど、一個ずつラップにくるんでいたのでセーフ)、煮しめ、大根の煮物、サラダ各種、ウインナー各種、チキンのオーブン焼き、栃餅、生姜飴、おやつ各種。

私たちは店は殆ど手伝わず、後方で賑やかにしている。そうするとそれに吊られてお客さんが来て、品物よりお弁当が気になる模様。

全然知らない人♂がうらやましがるので、煮しめ食べてもらった。二年ぶりくらいだそうで。家で作らんですけんね。とのこと。お嫁さんと同居?

食品は売ってはいけないので、残念ですが、お弁当売ったら儲けるかも。

いや、以前はお弁当売ってたけど、何か問題があったのかな。

昨日の話題は遺言書、縁談、年寄りに優しい医院の受付のあり方など、またまた多岐にわたりました。

木陰でおしゃべりしながらおいしいもの食べる。年寄りのレジャー、これに過ぎるはなし。お金かけずに楽しく遊ぶ。

ついでに昨日のお買い物、チュニック丈のセーター100円、ワンピース500円、米2合150円など。お米は玄米あるけど、精米するのが面倒でとりあえず一日分だけ。

で、本日は代休の孫娘が遊びに来ています。

宿題して、公民館で本借りて、買い物して、今は一人で本読んでます。

公園のシーソーしながら、力は重さと支点からの距離の組み合わせ、前後にいろいろ移動して教えるばあちゃんでした。バッグをどこへ置くかで変わるでしょ。まっすぐなるところ(平衡するポイント)を探してごらんと、教えたがりのばあちゃんでした。

 

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いゃあ、びっくり

2019-10-28 | 随想

22日は家にいなかったので、全然テレビも見てないのですが、どこかのサイトで、当日の服装についてのご意見がありました。

膝の見えるミニのドレス・・・

まあ何着てもいいと言えば話はそこでおしまい。でもドレスコードあったらしいので、無視したのか知らなかったのか。

正式な場所で女性がドレス着るのは大変。ドレスに見合う宝石が必要。宝石はピンキリだけど、あまり安いものつけられないし。

でも着物なら宝石要らないし、皇居なら五つ紋の色留袖と決まってます。よそでは着る場面ないけど、あとで紋を減らしてもらってもいいし。

服装による自己表現はどこかほかの場所でしてもよかったのでは。僭越ながらそう思いました。


ご主人様の方は敷居踏んで万歳三唱なさっておられます。

一世一代の晴れ舞台、上がってしまったのでしょうか。

敷居と鴨居は日本家屋では神聖な部分。敷居は鴫居だそうで、上下の水鳥で家の中に火が入るのを防ぐ意味だとか。

びくりというか、がっかりですね。

その場にふさわしい服装と、敷居や畳の縁を踏まない。私も気をつけようっと。

 

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身近な人がガンになったら

2019-10-11 | 随想

私の友人の何人かはガンの経験者。または闘病中。

今はガンも治療して治る場合が多いので、皆さん、昔ほど深刻ではないけれど、それでも知った時には気を遣う。

どう言えばいいのかと。

その答えを探すうち、こんなブログにたどり着きました。

https://numphoto.com/2017/06/23/omimai/

ガンが完治した方の体験談です。

遺影のつもりで写真撮ってもらったら、その笑顔に自分自身が元気づけられ、病を克服、写真を通じて人が元気になる活動をされている女性の方です。

前向きに生きる姿勢に元気をいただけます。

何よりも、ガン患者の人に寄りそうにはどうしたらいいか、体験者ならではの心の機微に分け入った話が参考になりました。

この私も、一昨年、ガンかもしれないといろいろ検査したことがあり、初めての経験で、いい年して動揺してつい人に打ち明けたりしたけど、人の反応はいろいろ。言わなきゃよかったと思うこともありました。

自分の方からの言い方にも工夫が要るんですね。いきなり言われたら、言われた方も困るし。

人はいずれ死ぬ。ガンになろうがなるまいが、いずれこの世からいなくなる。そういう風にできている。ならないに越したことないけど、なれば淡々と治療するだけ。

先日の食事会のおばあちゃんたち、配偶者のいなくなった経験を乗り越えて今の穏やかな生活がある。それだけで尊敬してしまう。

当たり前の暮らしが未来永劫続くわけではない。年寄りの日々はつるべ落とし、一日たりとも無駄にせず、自分が幸せと感じられるような暮らし、周りを幸せにできるお手伝いもできればいいなと思う。

と最後はきれいにまとまりました。


夜になって少し削りました。悪しからず。

しかしまあ、ノーベル賞貰った人に対して「また新しいことにも挑戦してくださいって」…勉強の、学問の何かが根本からわかっていない人間の頓珍漢な発言。

ノーベル賞の受賞者に今さら何をせよと。失礼だと思った。

記者会見中に電話して自分アピールして、あれって迷惑電話だと思う。

日本国中のおめでたい気分に水ささんで欲しいものです。

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今日の一日をいい日にするために

2019-10-07 | 随想

最近、少し思うことがあり、いつこの世からfade outしてもいいよう、なるだけ用事を後回しにしないよう決めた。

といってもこの私のことなので、計画通りに行くはずもなく、朝決めたことで夕方まだできていないのは、

先月分の通帳とレシート、各種領収書、請求書などの整理。

給料のファイルを夫からもらう。これは7月に夫のPCが突然起動しなくなり、大変だったので。最近は夫に給料計算お願いしている。その心は、25日に家にいるとは、日本にいるとは限らなくなったので。

それと服の整理などです。

夜はだいたい26時ころまで起きているので、できないことはないけど、さてどうしますか。


 

波佐見焼のマグカップは、土曜日に福屋八丁堀店で買いました。

今使っているのがヒビが入って夫から苦情が出たため。

年取ったので、最近この言葉が多い、もう好きなもの使っていく。

来客用のマグカップも新しくするつもりで、近所のイオン、港のおしゃれな雑貨屋3軒と歩いてリサーチ。イオンに気に入ったのがあったので、次に買う予定。

転写紙で絵付けしたのは10年以上使ってさすがに飽きたので、どこかへ片づけるかゴミに出すか。持っているといつまでも人生の次のステージに踏み出せないので、捨てるかな~

午前中に目標の1万歩歩いたので、午後はベッドで横になって本読むうち、一時間くらい寝てしまった。いつもこんな感じ。二回に分けて眠る私。

先日東京の義弟がフランスワインくれたのがとてもおいしくて、ほとんど私が飲んだのだけど、(夫は肝機能が悪くて二か月ほど禁酒していた)、いい肉と飲めばもっとおいしいはずと言われて、肉を買い、ついでに昼ご飯用の握りずし二人分買ってこれまた徒歩で帰宅。

熱いうどんがおいしいと、夫がしみじみと言うので、暑いと言いながら、やっぱり秋が来たんだなと実感した。

夫はお酒が好きでかつ強く、飲んでも顔色も態度も変わらない酒豪。大男なので、アルコールが廻らないのかしら。。。

しかし2か月前、ついに肝機能が悪くなりしばらく飲まずにいましたが、先週の血液検査で数値が改善していたと本人が申告して(私はデータ見たわけではない)、最近また飲み始めています。

いかんなあ。もう一生分飲んだのと違うの。しかし、体のことではめったに私の言うこと聞きません。

「お義母さんをお見送りする大事な仕事があるんだから、先にいなくならないでね」と言うしかない。

それと義母の使っていたところの壮大なゴミ、残してもらっても困る。話聞くたびにびっくりするようなものが出て来るけど、私はもうタッチしないと決めたので、早く捨ててもらいたいもの。

私から見ると、ゴミを出す速度が遅い。少しずつ、味わいながら。にしか見えない。そんなんじゃいつまでたっても片付かない。と思うけど、口出ししない。

義妹も来た時には片づけて欲しいけど、県内の某都市から新幹線で来るだけで疲れて、来たら横になっているので、無理は頼めません。みんな少しずつ年取っていくのが寂しいことです。


いい日にするためには、いつもより少しだけ頑張る。少しだけ機嫌よくする。少しだけ余計に感謝するということでしょうか。

相手を責めない。責めずに、してもらいたいことだけ、感情を交えずに言う。感情交えて話していいのは、愛の告白の時だけ。それ以外では冷静に話し、冷静に聞く。これだけのことだって難しいのです。

最近、知っている人が親の介護できょうだいがギクシャクしていると言うので、先輩としてささやかなアドバイスさせてもらいました。

 

 

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人の愚痴が聞ける人間になりたいけど

2019-10-03 | 随想

時々お邪魔するブログに、「愚痴は言っていいんですよ」という記事があった。

目からうろこの落ちまくり。私は常々、解決のつかない愚痴を垂れ流す人間には、なるだけなりたくないと思っていたので。

文意は小さな愚痴を小出しにして、大きく不満をため込まないようにしようというもの。

うん、それならわかる。

そして、私自身がそういう話を黙って聞いて、共感できるところはそう伝えて、相手の心が軽くなるお手伝いができればなおいいでしょう。

小出しの愚痴を黙って聞いてくれる人、そしてこちらも抵抗なく相手の話を聞ける。となると、(相続などで)利害関係のない遠縁の人とか、昔から知っている境遇のあまり違わない友達となるのでしょうか。

先日一緒に旅行した人は、お互いその任にはうってつけ。というか、彼女も私も、それがしたいために旅行している感じ。

彼女の姑様は10年以上前に亡くなったけど、なかなか強烈な姑様だったようで。嫁はうまく使ってこその姑、嫁を遊ばせておくのは姑の恥という人だったらしい。

驚くのは、遊ぶのには仕事に行くのも含まれていること。仕事に行って自分の自由にできるお金を儲けるのも遊びのうちという人だったそうで、あとは推して知るべし。

入院したらナースコールのボタンを5分おきにならして、あれこれ訴えてとうとう病院追い出されたとか。

同じ話を何度もするのは、話しても話しても気が済まないからでしょう。

で、そういう姑様に限って、たいして寝込みもせずあっけなくfade outされたそうで。

「だから私は姑さんのオシメなんて替えてない」と言うので「それはまた何と嫁孝行、息子孝行のお義母さんだこと」とほめて差し上げた。

本人はその苦労していないので、自分の幸運を喜ぶでもない。まあ、しなくて済む苦労なら、それでいいんじゃないでしょうか。


 うちの姑様は今年の秋で、オシメ歴4年になる。業界にだいぶ貢献している。

2015年、手首骨折して入院、入院してすぐ看護師さんから勧められると憤然と断り、結果、間に合わないこと再々。新築10日もしない新しい病棟の、差額ベッド代払う個室の最初の患者。やれやれ。汚した下着はその都度私が持ち帰って洗いました。

これもこの世の行きがかり。誰からも礼とねぎらいの一言も言われなくても、放っておけないので私がする。これからもこういうことはあると思うけど、そういう場合はもう腹をくくる。

それで、私は初めて、家でも同じ状態だったことを知るわけです。そういえばと、思い当たることもそれまでにありました。まだ頭はしっかりしていたので、そこまで気が付かなかった私の落ち度でもありますが、それまでも姑様の衰えたことを指摘すると夫が怒るので、なるだけ見ないように、考えないようにしていたのです。

でももうそうも言っておれません。退院後、オシメにしたらと夫と義妹に言ったら、本人のプライドがどうのこうのと夫は抵抗しましたが、近所のホームセンターへ義妹が買いに行ってくれました。よかった。よかった。

オシメはねえ・・・燃えるゴミの日まで家で保管。これから経験する方、よほどきちんと包んでおかないと匂います。先輩から涙の忠告。

我家は夫が替えていたので、匂いのこと、きつく言えなかったし、保管のことも口出しすると機嫌悪いので、私が我慢していました。消臭剤を使ったら臭いとまた激怒されるし、もうお、どうしたらいいのよ。

子供って、元々、親の出す匂いは気にならないのかも。

時々行く姑様の施設、そういう匂いが全くしないので、さすがプロの仕事と感謝しています。そしてあれだけ頑固にこびりついていた匂いも、なるだけ開け放すようにしていたら、今は消えました。よかった、よかった。


で、しみじみ思うのは人生で体験することは何一つ無駄がないということ。

いやそうではなくて、どんな体験でもそれを次に生かすかどうかは自分次第だということ。

ささやかな介護の経験は、自分のこれからを考えるのにとても参考になったということ。ですか。。。。

おやまあ、ここでこんなに愚痴を書いてしまって。でもだいぶ心が晴れました。

もう一つ解せないのは、私の生んだ息子が国立大学の医学部に現役合格しても、おめでとうの一言も、祝い金の一円もなかったこと。

お金はともかく、おめでとうなんて、言うのに5秒もかからない。何で機嫌が悪かったのか謎。

私なら、孫がいい学校に入れたら、一緒に喜ぶけどね。

まあ、人のすることは謎だらけ。考えても分からないので気にしない。自分は同じことしないと決めるだけかな。

 

 

 

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私の美容院事情

2019-09-21 | 随想

人に体を触られるのが極度に嫌いな私は、美容院もずっと嫌いだった。

病院は割り切って、行くときには行くけれど、頭の方は以前は一日延ばしにしてどんどん変な髪形になり、どうしようもなくなってから行く。結果、いつも冴えない髪形に。

それにずっと行っていたところは同世代のオーナー、お客さんとコンタクト取るのがサービスというタイプの店。

そうですよね。昔はその時だけ、日常生活から解放される貴重な時間だったんだから。

ずっと行っていた美容院、諸般の事情で行かなくなった。あとはジプシーのように、街中の店へ行ってたけど、待たされるし、最近は日帰り温泉の中の店がいい感じ。

ご夫婦でしている。理容と美容の両方。口数多くないけど、手早くて無駄がない。お値段もそう高くない。

以前はカットも美容院でしていたので、話しかけられるのも面倒だったけど、最近はSMの中の千円カットに。とてもうまい人にあたるかと思えば、耳にハサミ当てる人に出会って、もう次からは行かない。私の耳の形が人と違っているからだと言い訳するなんて信じられない。抗議すればよかったかもしれないけど、ケンカは好むところではありません。

次からはパーマと同じ店にしましょう。

毛染めもやめたいけど、踏ん切りつかず、もういつから染めていることやら。もちろん自分でします。一度、美容院でしてもらったけど、やっぱり自分でできると分かったので、自分でする。コツは根元にしっかりつけて、ラップでしばらく巻いておくこと。

私って、本当にお金使わない人です。これはもう持って生まれた性格と、育った環境、嫁いだ家の家風、どこをどうひっくり返しても贅沢と言う言葉が見当たらない。

と言い切ってしまっていいのかな…とも思いつつ。海外旅行も安い時期のエコノミーの席で。服も買わないし、豪華な食事もしないし、最近はデパート行くだけで気後れして上がってしまうので、洋服売り場などはまず行かない。

だんだん負け惜しみになって来たけど、何しているのが嬉しいかな。

部屋を片付けて、何もない部屋でボーッとして本読んだりしていると落ち着く。昔のあれこれ思い出すのも楽しい。

健康で、人に感謝しつつ、あと10年くらいは今まで通りの活動したいものです。

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理想の葬儀とは

2019-09-05 | 随想

と言うようなことを昨日は夫と話した。

義理で来てもらいたくないので、本当に近い親族だけで執り行う。

香典、供花は貰わない。

僧侶も呼ばない。

要するに、簡単に、親しい人だけでお見送りする。と考えているそうです。

誰のとは言いませんが、たぶん姑様、そして遠い将来の(そうであることを願う)自分を想定している模様。

お経は私が上げればいいそうで。

えっ!!

あんた、お経得意じゃろですって。

何を隠しましょう。いいえ、隠しませんとも。

わが実家では、寺でもないのに、毎夜、真宗の正信偈と、御文章各種、家の仏壇の前で唱えていました。全部終わるとだいたい30分はかかる。

小学一年生のころ、意味も分からない長いお経は退屈で、最後の方で漢文からやまと言葉になり、南無阿弥陀仏繰り返すところからがまた長い。

最後の四行、願以此功徳・・・往生安楽国で本当にほっとしていた。

それから御文章、これは二つくらいをセレクトして。

退屈なのに頑張っていたのは、毎夜、祖父がお小遣いを5円くれたから。今なら50円くらいの価値でしょうか。音頭取りだと10円、初めはもっぱら私だったけど、弟が字が読めるようになるといつも10円と言うわけにはいかなかった。

お金につられてお経上げていた私。

と言うようなことを、先日の通夜の席で思い出していた。

実家と同じ宗派なので、久しぶりに聞く正信偈は、なんだかとても懐かしく、しみじみとした。

それを私にさせようって。。。。

通夜は家でしたいそうです。

えええっーーー

じゃあ、あの部屋、片づけてね。それにビルの四階まで、どうやってお棺運び上げるの。

お茶出しは私?

湯呑出して、お茶淹れて、洗って、それも私?

近所で手伝い合う習慣がなくなっているので、結局家でするのは無理と、夫は気が付いたようです。

今、介護施設にいる姑様、一度家に連れて帰りたいと思っているのでしょう。その思いは尊いけど、業者にお願いして、なるだけ簡素にと言うあたりに落ち着きそう。

こんな煩悩まみれの私のお経では成仏できるはずがない。でも、ちょっとやってみたい気になったのも事実。

これはわが栄光の記憶(自慢話)なのですが、小学一年の冬休み、頼まれて、亡くなったばかりの隣のお婆さんの枕元で「白骨の御文章」読みました。旧仮名遣いに知らない漢字も多いのですが、家でよく唱えていたので、空で言えたのです。お経の本は持って読むふりだけしていました。

あのまま行けば賢い人間になったと思いますが、そこはそれ、5円につられてという不純な動機のため、そして生来の安きに流れるこの性格のために、今はこのありさま。


当地では市営の火葬場に付属して、直葬の施設もあるそうですが、あまりに簡素だと寂しくなるので、まあ私の場合は常識の範囲内で。お経もお坊さんに。自分の葬式に自分でお経上げられないし。


先日は久しぶりに親族が顔を合わせ、いい感じでした。私は生前に葬式して、みんなと楽しく飲み食いしつつ、送られるのもいいなと今ふと思った。何か、楽しそうじゃないですか。

 

 

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人生に必要なもの・・・

2019-08-28 | 随想

オミナエシ


毎日雨です。雨で家にいると、ばあちゃんもくだらないことから、困ったことまで、ついいろいろと考えてしまうわけで。

今朝は次の機織りの準備しながら、人生に必要なものって何だろうって考えていた。

ほらね、ぼうーーとしているように見えても、ばあちゃんも精神活動いろいろしてるんですう。


先ずは健康。ついで、暮らしていくに必要なだけのお金。たくさんはいらない(持ったことないのであくまでも想像)。

お金は自分で稼ぐなり、稼ぐ人にくっついているなり。私たちの世代では後者が多いと思う。

人生のパートナーは最低二人。一緒に暮らす異性(または同性)一人と、死ぬまで付き合える友達一人。これで充分ではないでしょうか。

パートナーは、真面目で働き者、または家庭の管理、子育てがきちんとできる人。容姿がいい方が連れて歩くとき見栄えがするけど、歳とったら美醜はそう変わらなくなるので、性格重視で。

友達は価値観が似ていて、若い時のいろいろも共有していればなお良し。家族に言えない悩み事も聞いたり、聞かれたり。

子供はどちらでも。子供がいると先で孫にも出会えるけど、それを持たない人に見せびらかすのは厳に慎みたいところ。自分は自分、自分を主語にして語れるものを持ちたいと思う。

その他に、人生の折々に出会う人たちは、気が合えば続いて付き合えるけど、場面が変わって連絡とるのが億劫になったら、無理しなくてもいいと思う。ひととき、楽しくお付き合いできたことを感謝し、いい思い出にする。

長い時間が経って、またそういう人に巡り合うのも人生の贈り物。高校時代の友達に再会するのはこれかな。高校時代、頭のいい人、きれいな人がいっぱいいたけれど、とりあえず健康で暮らしている。そのことだけで、繋がって行けるのも年取ったから。

パートナーは主食、ご飯やハード系の食事パンと同じ。飽きないことが大切。

親友はメインのおかず。おかずも大切。

その他の折々に出会う人は、小鉢とかサラダとかデザートとかかな。その時々でいろいろ替わり、ずっと以前のものが欲しくなったりしながら、人生に色どりと軽い刺激を与えてくれるもの。

子供や孫はオプション。ついのめり込みそうになるけれど、別人格。大きくなるまではいい子に育てる責任があるけれど、社会に出たら別人格。

最近の私は、子供と言うよりも別の大人として息子たちを見ると、それぞれ個性的で面白いのです。それを面白がるのが今の楽しみ。指図はしない。

というか、早くいたわれるようになりたいもの。こういう私なので、からかわれても労われることはほぼありません。

昨日も息子よりメールあり。その膨らんだお腹の弾力利用して発電して、地球温暖化を食い止めるようにと。

私が、夏の間ときどき息とめてCO2排出抑制したので、涼しくなったと自慢したメールへの返事です。

まったく、親子して何しているのやら。

 

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幸せに生きることが人生の目標

2019-08-23 | 随想

志賀島/福岡県 2015年9月


どこをどうクリックしたのか、あるブログが、いきなり現れたのでびっくりした。お寺の奥様らしい。拝読すると、内容は素晴らしいものばかりで、今の私の心が楽になった。

人の悩みは黙って聞く。目安は2時間って、気の短い私にできるかしら。アドバイスはそのあとだそうで、せっかちにあれこれ言うと、反発されるか心を閉ざすかのどちらかだそうです。

なるほど。実母が愚痴三昧だったころ、二時間くらい同じ話聞かされて、具合悪くなったけど、それは身内だから。他人の話は案外聞けるのかもしれない。

人の話を取らない。これは私はそんなにはしないけど(のつもりだけど)、ちょっとこちらから話振ると、人の結論待たずに、強引に自分の経験や自慢話する人っていますよね。ストレスたまるそんな人とは付き合わないのが吉。

それから同じ人と一緒に二時間以上いないこと。うん、これも分かる。夫婦でも二時間一緒にいるととうに話は尽き、気分変えたくなる。まして他人様においておや。

人付き合いは6分目くらいか丁度いいそうです。

それから、それから、より楽しく生きるためのヒントがいっぱい。ゆっくり拝読します。

何よりも「幸せに生きることが人生の目標」という言葉に励まされた。

さて、夏も終わることだし、なにか新しい出会いがあるといいなあ~

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大人の無視って・・・

2019-08-23 | 随想

些細なことのようだけど、けっこう人を傷つけますよね。

逆から言うと、このくらいは何でもないはずと、仲間意識で盛り上がって、誰かをのけ者にするって、小学生の、いえ幼稚園児から後期高齢者まで、やめられない快感なのかも。

30年以上、人に助けてもらって仕事していますが、女性同士のいざこざでやめた人も何人か。女性は一度こじれると、そこからの修復は難しい。給料もらっていれば、なかなか辞めるのは難しいはずだけど、それでも去る人は、こちらからは止めようがない。

これが趣味やお稽古ごとの世界だとどうなるのでしょう。うーーーん、義務も報酬も発生しない分、無理して続けることもないのではと思う。

そういう世界では何よりも仲間意識が大切。人の輪が大切。しかし、人間関係は常に流動的。みんな仲良くよりも、自分が中心にいたい人、人を軽く扱って平気な、とっても失礼な人って、たまにいますよね。昔、それでたいそう苦労しました。

そのサークルがしていること自体は好きだったのですが、いろいろとめんどくさくて、同じことする場所もできたので、やめてしまいました。

やめたのは事情の赴くところ、私の中では自然な事だったので全然後悔していませんが、最近、その人が「才能あるのにもったいない」と私のこと言っていると聞きました。

褒めてくれてるのかなあ。素直に喜んだ方がいいのかなあ。

でも、人に才能があるとほめたり、自分に才能がないと謙遜したり(その人はしないけど)って、神の領域ではないでしょうか?

それにもうこの年です。才能があればとうに世に出ている。ないからこうして何もしてない訳で。


仕事や学校は少々のことに目をつぶって我慢も要るけれど、趣味の仲間、縁が切れたと思ったら、とっととその場を離れること。若い時でもそうだし、まして年取ると、幼稚な意地悪する人とは離れるが吉。

人は誰しも、その人らしさに向かって成長し、ますますその人らしく年を取る。変えられないし、変えなくてもいい。自分らしさを完成させるだけ。

と言うようなことを最近考えた。

昨日、先生のアトリエで絵を描きながら、新しく自分の居場所ができたとおもうととても嬉しかった。

私は子供のころから絵を描くのが好きで、文章書くのも好きで、運動は大嫌いで、結局自分が流れ着いたのはここかなと思った。

先生はご高齢だけど、いつまでも元気でいていただきたいもの。

 

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夏籠りの日には

2019-08-02 | 随想

広島空港横 フォレストパークで。2017年8月。


あの夏、この夏のいろいろなことを思い出す。

六年生の夏休み、学校から三人、NHKラジオの公開録音に参加することになり、大変だった。そのことはぼんやりと憶えている。

それは香川県内の各学校から児童が集まって三日間くらい合宿し、最後に公開で歌ったり、楽器演奏したりするもの。確か「声くらべ腕くらべ子供音楽会」というタイトルだった。

当時はいい宿泊施設もなく、津田という海水浴場至近の小学校の教室に蚊帳を張って寝ていた。午前中は練習して、午後から一時間くらい海で泳ぎ、あとは何してたかなあ~細かいことは全部忘れた。

手足を動かすのが昔からダメな私が、ハーモニカの演奏する羽目になったのにどういういきさつがあったのか、全然思い出せない。

夏休みに二週間ほど、「松原遠く~」のあの小学唱歌の演奏を、当時、非常勤で放課後の音楽クラブに教えに来られていた先生のお宅へ三人で習いに行くのです。お礼は…学校から出したのかもしれないけど、少なくとも私たちは出していない。

電車の駅で待ち合わせて、二駅乗った瓦町で降りて、裏手のしもた屋風のお宅が先生の家。借家だったのかもしれない。座敷で、開け放して、小さな庭があって。毎日貰うお小遣いで、アインキャンデーやジュースを帰りに買うのが楽しみだった。ジュースは黄色いミルクセーキなど。

合宿の最終日は学校の体育館での録音。私は元々上手じゃないし、クラスも違う三人、結局銀賞だったかな。

その時知り合った小豆島や塩之江の子とは、他に通信手段のない昔だから文通したりしていた。子供だから尋ねていくこともなく、やがて付き合いも途絶えたけど。

楽しかったのかなあ~、きっと楽しかったのだと思うけど、楽器演奏はけっこうプレッシャーだった。それに私は場所替わると昔から眠れなくて、夜、友達と教室出ていたら先生にとても叱られた記憶がある。そりゃそうですよね。でも子供だからその意味も分からず。

夏のレジャーと言えば海水浴、他にはほとんど何もない60年も前の夏を、最近ふと思い出した。

夏になれば、久しぶりに縁が遠くなった人と会える気がする。きっとそれは、たくさんの夏の記憶がそうさせるから。

子供のころ、お盆に近所の墓地へ行くと、都会へ行った人、嫁に行った人に思いがけずに会ったり、暗がりで親が懐かしい人に声かけられたりして、今思えば、自分のルーツはそこらへんかなと気が付く次第。

年上の人達はだいぶあちらへ行ったけれど、私もいずれはそちらに参ります。あちらとこちら、若い時よりはうんと近くなっている気がする。ふとした弾みによみがえることがある。

9月になって、もう取り返しのつかないくらい季節が過ぎてしまったと気がつくまで、眠れない夜などに、しばらくは気持ちがあちらこちらへと浮遊している。これも夏の楽しみ。

フォレストパークで。2017年8月。

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高校の頃、一時不登校で

2019-08-01 | 随想

しばらく行ってなくて、でも行かなければと思って、やっと行く気になった時には教科書をどこに入れたか、どのクラスだったのか、教室のどの席だったのかも分からなくなっていて、焦っている私。

元々数学が不得意なのに、ますます分からなくなっているだろうなあ…と焦っている私、という夢を見ました。

暑くて寝苦しく、最近、真夜中から明け方に夢をよく見ます。

県人会で沖縄旅行して、いよいよバスで帰るとき、トイレへ行って戻ってくると、バスは出た後。あんなにたくさん人のいた空港は一人しか見えません。荷物もスマホもバスの中。焦る私。電話番号は実家のしか憶えていない。実家に電話しても、さてどうもならないと焦っている。

高校の時、物理と数学が全然だめで、その気分がいまだに残っているらしい。しかし、この年で勉強に悩んでいるなんて、成績の呪縛解き難し。

沖縄はね、バスで行ったりはしないでしょう。実を言うとあまり行きたくなかった。暑いし、暑いとちょっとしたことでお互いイライラして、ケンカになっても逃げ場がないし。

今ブログで少しずつ写真整理しながら、暑くてハードな日々を思い出しています。


その沖縄、昨日の朝日新聞関西版(広島までは大阪製作、山口県は小倉の九州本社から来る)に秋、三泊四日、往復飛行機、レンタカー乗り放題、一室二人から四人まで同料金で3万円というツアーを見ました。お買い得価格でおなじみのあの旅行社です。

ホテルだって立派なリゾートホテル。ロイヤルホテル沖縄残波岬。どこへ行くのも便利な場所です。

https://www.daiwaresort.jp/okinawa/index.html

広告みて、ビックリ通り越してショックでした。一泊一人2万円くらいからを、いったい原価はいくらで仕入れるのでしょう。

沖縄飛行機往復、ホテル三泊(バイキングは一部オプションとは言え)、レンタカー付で3万円って!!!

これなら関西まで新幹線で行っても先日の旅行よりうんと安い。ホテルをあちこち移動しないのも楽。うーーーん、次に子供たちと行くならここかな。時計を30年以上逆戻りさせて、行ってみたい

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家族の呼び方

2019-07-26 | 随想

屋上菜園のキュウリ/3年前。今年はうっかり水やりをしない日が続き、不作だそうです。残念。


先日の「チコちゃんに叱られる」で家族の呼び名を取り上げていた。

お兄ちゃん、お姉ちゃんというのになぜ弟ちゃん、妹ちゃんと言わないかって。

それは家族の中で最も小さい者を基準に呼ぶからだそうで。

なるほど。簡単なようだけど、そういう習慣なんですね。納得。

とすると、我が家は異端かもしれない。

息子たちはお互い名前を敬称抜きで。要するに呼び捨て。

私たち夫婦は、私は名前にさん付けで呼ばれ、私は夫を昔息子がつけたあだ名にさん付けで呼ぶ。

人前では先生が無難。名前だけで6つも音がある。面倒。

お父さん、お母さんとお互いを呼んだことは皆無。いえ、一度くらい呼ばれたかな。

「私はあなたのお母さんではありません。お母さんは**さん。産んでもないのに、あなたに責任取れません」とかわいくないことを、その時は言ったと思う。

だから、お爺さん、お婆さんと呼び合うこともない。


たかが呼び方だけど、その呼び方にその家のあり方が反映されている。

男女の別、長幼の序、我が家にはよその家より少ないかも。どの性に生まれるか、何番目に生まれるかは偶然。秩序を重んじるのは、そうして助け合って生きた時代の名残。かな?

自分の子供でもない人からお母さんと呼ばれると、とっても違和感ある私。この流れだと、この先、お婆さんと呼ばれるのかしら。孫でもない人から。

ああ、嫌だ嫌だ。私は私。名前で呼んでしい。そしてあたりさわりのない呼び方されないよう、これからも自分は自分と、誇りを持てるように暮らしていきたいもの。

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