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幸せな夏のこと

2019-07-23 | 随想

昔の人の常として、実父は兄弟姉妹が多かった。いとこ達も多い。

夏休みはいろんな家に遊びに行って、とても楽しかった。宿題は「夏休みの友」みたいにな薄い宿題帳。それに絵が一枚、工作一つとかそんな感じだった。絵日記はなかった年がおかったけど、私は絵や作文書くのが好きで、自主的に書いて出していた。先生は迷惑だったかも。

昔のことだから、大したイベントがあるわけでなく、きょうだいで遊んだことや、親戚へ行ったことが中心。

中でも楽しかったのは、小1の夏休み、祖母に連れられて、祖母の妹の嫁ぎ先へ行ったこと。ふだんあまり行き来する家でなかったので、格別珍しかったのだと思う。

電車の駅から、半島の中腹の砂利道を歩いてだいぶ行った。松の間から青い海が見えていた。6歳の私の記憶は断片的なのが残念だけど、離れで祖母と寝て、近所の子と海で遊んで、小さなフグは捕まえようとすると腹を膨らませて死んだふりするのでいくらでも捕れて、砂浜に作った池に浮かべたり、ヤドカリをたくさん拾ったり、それは持って帰って箱に砂浜の絵を描いて入れていたけど、すぐ死んだ。巻貝に脚があるのが不思議だった。

車のない時代は暑くても歩いて行く。いや、今ほど暑くはなかったはず。祖母もとうになくなり、その親せきにはもう一度行く機会があったのに、私は友達の家に遊びに行っていて行きそびれた。とても残念。

大人はみんなのんびりと優しかった。祖母はグレーのスーツに手提げ袋、先割れの靴下に草履履いていた。洋服なのに。今の私よりあの時の祖母の方が若いと思うけど、私も祖母をしのんで、洋服に草履履こうかしら。受けるかも。

夏になるとよみがえる思い出がある。

しばらく続けます。

どこかで探して来た故郷の町。

元のサイトが分からないので無断でお借りします。ごめんなさい。

昭和40年から50年の頃でしょうか。

この付近は宇高連絡船が廃止になって広い土地ができ、再開発で一変しています。

左端は国鉄高松駅。これは新しい駅舎で、木造のレトロな旧駅舎は五年生か六年生の夏休み、火災で全焼。黒い紙のかけらが我が家付近にも降ってきました。

右は玉藻城。

 

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ああ、たまには一人になりたい

2019-07-22 | 随想

 

芸北町、八幡湿原で 2016年8月


きのう機織りを頑張ったせいか、今朝は腕と肩、腰も痛かった。動いているうちにだいたい治ったけど。

数日前から風邪気味、寒さがこたえるのに、夫は「蒸し暑い!!」とエアコンの除湿機能と扇風機の二段構え、見るだけで震え上がる。

この私、夏も冬もエアコンが大の苦手、夏は手縫いのワンピース一枚で、冬は冬山へ行く格好で家の中で過ごしている。夏は家を開け放ち、冬は陽の差し込む部屋で過ごす。

がしかし、同居する人がいるとエアコン嫌いとも言っておれず、不自然な温度に身をさらす。これがとってもストレス。

ストレスと言えば、きつい光に大きな音も大の苦手。朝起きて台所へ行ってみると、夫が大音量で、朝の情報番組見ていたりすると、女性タレントの、脳天突き抜けるようなけたたましい笑い声に眩暈のする思い。

野球放送も苦手。騒々しすぎる。野球は好きでも嫌いでもありませんが。でも外ではカープの勝敗が気になるふりをする。これもこの広島という土地で生きていくための知恵。軽いストレス。

温度、光、音。これを自分の好きな状態にいつも保っておくにはもう一人でいるしかないわけですが、同居する人がいる限りそうも言っておれず、広くもない家をシェアして住んでいるわけです。

ああ、一人になりたいなあ…毎日の食事の支度も、一人なら斜め向かいのコンビニへ財布一つ持って走って行って、おにぎりとサンドイッチ買って来て済ませる。洗い物もなし。パック容器のゴミもなし。文句言う人もいないし。

たまには一人で涼しい高原を旅したいなあ。木陰を歩きたいなあ。湿原に出会ったら、その周りをしっかり歩いて、山野草をしっかりと見たいなあ。

体を動かして、どこへでも一人で行けるのはもうあと10年くらいでしょうか。

夫が家で仕事しているので、遠慮しつつ(のつもり)遊びに出るけど、ツアーでなくて海外を旅行したり、京都や信州に10日くらい滞在して、暮らすような旅がしたい。軽井沢の植物園にも行ってみたいなあ。

と、願望ばかりがが膨らむ。ホームページのころからだと16年、昔のホームページは転送のPW分からなくなって、保管できなかった。写真も消滅。残念。

私はやっぱり信州の高原が好き。軽井沢より、人の少ない追分辺りで過ごしたいなあ。。。。


地元の友達の話では、いつも集まるメンバー、自分やご家族の不調を抱えている人が複数との話。また前みたいに我が家に集まりたいのですが、先ずは体大切。

私の思いは後回しでいいんだけど、老いの波は誰の身にもひたひたと押し寄せているのを実感。

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自分に戻る夏

2019-07-16 | 随想

クサアジサイ 2015年8月 北広島町 滝山峡で


梅雨はまだ明けないけど、少しずつ暑くなってきた。

こういう時は、特に用事のない限りは家で籠るのが好き。

昨日は車運転して、とても暑かった。高速道路は遠く行けるけど、景色が単調でつまらない。つまらないことにちょっと疲れた。

今朝はいいお天気なので、洗濯して掃除して、家の窓全部開け放ってとっても気持ちがいい。

窓を開けると、わずかな風の流れがあり、その流れの中に身を置くと、とても気持ちいい。

着ているのは、手縫いの木綿のワンピース一枚。しっかりした生地で、襟、袖なく、裾を大きく取ると涼しい。同じ型紙でもう5、6枚縫った。

朝の用事が終わって、しばしの休憩の時には涼しいところで横になって本を読む。

しみじみと、ああくつろぐなあと思う。そして、こんなことでくつろぐ自分の来し方にしばし思いを馳せる。

最近特に、子供時代にしていたことが、結局は懐かしく、心や体に無理がないと実感している。

そして、今は好きなことして自分の時間が使えることを、しみじみとありがたいと思う。

家も普通に住めれば十分。広い家は管理に大変。庭もしかり。

服もバッグもアクセサリーも要るものを少しだけ。

マンションの間の空を見上げて、あの時、この時の楽しかったことをしみじみと思い出す。祖父母や親やきょうだいや友達が、この私にしてくれたいろいろに心の中で感謝する。

おっと忘れていた、同居している人にも感謝する。息子たちにも、たくさんの楽しいことをありがとうと心から感謝する。

ここまで思うと、自分の心の中のモヤモヤが、微風とともにどこかへ去ってしまったように錯覚する。

長い人生を歩いてきたけれど、これからもう少しだけ時間はありそう。つまらないことにくよくよせず、拘らず、健康に気を付けてやっていこうと、夏の朝は少しだけ殊勝になる。

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人の薄毛を笑うのはよくない

2019-07-13 | 随想

広島市立中央図書館付近/2015年7月


と私は思います。人の身体的特徴を公共の場で笑いものにするのは、同じことで悩む人の気持ちを考えたら、人権侵害とさえ思います。

以前はテレビ番組などで、滑稽なキャラクターとして、薄毛を設定することがよくあったと思います。さすがに最近では見ませんが。

太った女性を揶揄するのも少なくなったかもしれません。本人がそれを芸の一部として前に出しているのは(渡辺直美ちゃんのように)、私のようにふくよかな人間は太っててもいいんだと気が楽になり勇気を貰えますが、他人が笑いものにするのはやはりよくないと思います。

放送ではどういう規定があるのかと、ちょっと調べてみました

https://www.bpo.gr.jp/?page_id=1291

放送倫理・番組向上機構のホームページには、放送するにあたって守るべき倫理基準が網羅されています。この中の(56)項では「精神的・肉体的障害に触れる時は、同じ障害に悩む人々の感情に配慮しなければならない。」とあります。薄毛は障害(障碍)とまでは言えないかとも思いますが、そのことで悩んでいる人が、大勢が見ている場面で笑いものにされて嬉しいはずがない。嫌な感じを持つと私は想像します。

以前、某呉服店でセミオーダーの夏着物作ろうとしたとき、「女性の体型を6タイプに分けて作ります。お客様だと小柄でふくよかなタイプですね。言葉は悪いですが」と言われて、私的にはたいそう受けました。言葉は悪いですがの部分です。

これをネタにしてあちこちで笑い取ってたんですが、それは言われた私が言うから皆さんも笑う。他の誰かがそれを聞いていて、大勢の前で言われたら私はとても傷つくと思う。小柄は遺伝的形質、ふくよかは遺伝的形質+食欲に弱いこの性格。性格は頑張れば多少直せるかもしれないけど、遺伝的形質なんて、直しようがない。

薄毛もそうですよね。これは本人の責任ではない。なるものはなる。それをあたかも人格さえ劣っているように笑う、同じことをしても身の程わきまえない出しゃばりとして笑うのは絶対よくないと私は思います。

先日、あるステージを拝見しました。全体にはとても素晴らしいものでしたが、薄毛の人物がコミカルな演技をして笑いを取る場面があり、とても嫌な思いをしました。観客の中で悩んでいる人がいたら、とても笑えなかったと思います。客席には子供の姿もありました。姿かたちの異なる人は笑ってもいいと思うような大人にならないかと心配です。


で、ここからは無神経な人への私なりの考え方。

人は誰でもコンプレックスがあります。大人になると、人の嫌なことは言わないよう気をつけるし、人から嫌なことを言われても相手にしない、そういう人から離れるという知恵がつくものです。

今朝の土曜版に美輪明宏さんの身の上相談がありました。子供が大学生になり充実した生活送っているのを見て羨ましい。貧しくて進学できなかったので、今からでも大学に行きたいとの相談。

大学に行くのを目的にしてはいけない。これからどう生きるか、そのために今どうすべきか考える。大学へ行かなくても教養は深められるし、友達もできる。子供の進学をうらやむのではなく、自分の勲章と思いなさいと。私もまったく同感です。

自分の学歴、子供の学歴なんて聞かれても答えないのが吉。私たちの世代だと四年制大学を出た女性は稀、自慢話と取られるのが落ち。それに、この私、そんなに勉強してないし。

まして子供の学歴においておや。心密かな勲章でいいのです。

長男が父親と同じ大学の同じ学部に進んだので、「嫁」としての責任は一応果たせたし、三男は私が行きたくて果たせなかった京都の大学へ進んで、自由の学風の下、とても楽しい学生生活だったようで、こちらも私の勲章としよう。次男は本人なりに頑張って、今も頑張っているので親としてはもう言うことないし。

コンプレックスはうまく飼いならし、誇るべきことは心ひそかに支えとする。身体的特徴をあげつらう人はこちらから軽蔑して近寄らない。自分はそういうことは決してしないと、まあそんなところでしょうか。

長話、深謝。

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賑やかな日でした

2019-07-13 | 随想

昨日、息子の家族(息子は仕事で来られなかったけど)と義妹、私で夕食食べて、食後はケーキやアイスクリーム食べてゆっくり話ができてよかった。


遊んだ後。仏像その他は世界遺産とのこと。


夫は地元交響楽団の定演に出かけて留守、女子供で盛り上がる。

下の孫が明日はお泊り保育だそうで、夕方、我が家の近くのホームセンター内にできた西松屋で服買ってきたり、家で羽化したカブトムシの餌も買ってきたりと、忙しそうだったけど、あとはゆっくりと話ができた。

下の孫6歳からの御下問

腎臓はどんな働きしているでしょう。

体の中の要らないものを集めてオシッコ作るところ。

細胞は何でしょう。

体を作る小さな粒粒

と答えると「なかなかやるじゃないの」とほめてもらえました。やれやれ。


工作各種


ローソンを巡って台紙にスタンプ押すとなんかもらえるそうです。

昨日は近くのローソンへ徒歩で→病院内ローソンへ電車で→ここで肝心の台紙を置き忘れ→病院裏門から見えるローソンへ徒歩で→あとは歩いて自宅までと暑い中、二時間くらい歩き疲れました。

孫は帽子が大嫌い、仕方ないので日傘差しかけて熱中症予防。途中で唐揚げ、ジュース、おもちゃも買う破目に。

何だかで激しく疲れ、解散後の宵の口寝てしまった。

まだまだ恐竜

 

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映画「新聞記者」を見た

2019-07-11 | 随想

今年もニッコウキスゲの季節 2011年7月 日光霧降高原


先日夫が見て勧められたのもあって、本日午後から鑑賞。

広島では段原と西風新都のイオンシネマで上映中。私はチャリンコで段原まで。

14時台、館内ほぼ満席。ほとんどが年配女性。たまに男性。

年配女性って、群れて街歩いて騒いでと、とかく揶揄されがちだけど、こういう重いテーマの映画見る人もたくさんいるのだと、私が言うのはおかしいけど、心強く思った。

映画は最近起きた「首相のお友達を、政府一丸となって助けて学校作らせる」あの事件を下敷きにして、内閣情報調査室の外務省から出向してきた若き官僚、杉原と、東都新聞の女性記者が、毒ガス兵器を研究開発する大学の新設にまつわる闇を暴いていく。

外務官僚の良心と言えば「杉原」、その名前に象徴されるような、任務と自分の信念との板挟みに苦しむ姿を、松坂桃李が迫真の演技で見せていた。

韓国俳優シム・ウンギョン演じる女性記者も、ちょっとだけたどたどしい日本語が、一途さをいっそう際立たせる。

秘密を知りすぎて、結局は責任を負わされる実務の現場の官僚が自殺するのは、実際にもあったので、映画はフィクションと分かっていても、権力は恐ろしいとつくづくと思った。

最後、杉原は知ったことを全部忘れたら外務省に戻って外国に数年行って来られるようにしてやると条件を出される。

これは安部の妻の秘書が、いきなり外務省に出向になり、口封じで外国へ追い払われたのをもとにしている。

揺れる杉原。スクープ記事の出どころとして名前も出すと一度は決心するけど、若い妻と生まれたばかりの女の子。さあどうする…

映画は唐突に終わり、結末は見る人が考える仕組み。道路に飛び出して自殺するようにも解釈できるけれど、死なずに一個人として生きて行って欲しい。あの杉原千畝の戦後も大変だったけど、それでも早まらないで。

いえいえ、知りすぎた人物は「交通事故」などで不慮の死を遂げるのかもしれない。

サスペンスの要素もあり、飽きずに見られました。来週もやっているようです。

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夏のいろいろ

2019-07-09 | 随想

まだまだ梅雨は明けそうにないけど、7月もそろそろ半ば。もう若くはないけど、夏と聞けばつい楽しいことをしたくなる。

でも、さて、何する?

子供たちが小さい頃はホテルのバイキングやビアガーデンに行ったけど、もうそんなに食べられないし。

海水浴が何より楽しみだった小学生のころ。

お弁当作って、おかずも作って、近所の家総出で、電車に乗って海水浴場へ。初め、志度、のちに琴電塩屋、臨時の停留所ができていた。

高校生の頃はクラスで津田へ。楽しかった。家でお弁当作って、要るのは交通費くらい。楽しさの対費用効果抜群。若さとは何でも楽しめるの謂いかと。

スマホがなくても人は連絡を取り合い、きちんと会えていた。

手紙、はがき、家の固定電話に掛けて呼び出してもらう。

待ち合わせに遅れそうなら、相手の家に断りの電話を入れる。相手も待たされたら「**さんから電話なかった」と家に電話する。たいていの母親が家にいる時代はそれで何とかなった。

究極の業は駅に設置されていた伝言板。黒板で縦に行があり、日時、要件、自分の名前を書く。

例えば、「7/9 午後5時、**さん、二時間待ったけど来ないので帰ります。##より」と言う風に。

野口五郎の「私鉄沿線」と言う歌で、伝言板に君のこと僕は書いて帰ります。思い出訪ねもしかして君が・・・以下失念・・・って、今の人には何のこと???でしょう。

はっきり別れを言わずにわざと行かない。そして次第にfade outする。そんな手はやっぱりよくない。遠い夏を、自戒を込めて反省する。正直は何物にも勝る美徳。言いにくいこともはっきり言ってしまおう。そして次のステージへ。人生の残り時間考えたら、無駄な付き合いしている暇はない。って、今さら夫とは別れませんが。

夏は母の実家へ。祖父母はすでになく、伯父夫婦がかわいがってくれた。

田舎は珍しいものばかり、山と池と同じ年ごろの子供たちといっぱい遊んだ。

18歳、相手も18歳。夏休み、故郷の街の私鉄の駅のコーヒースタンドで待ち合わせる。

後ろ向きの白いシャツの広い背中。自分がどんな服着ていたか、全然思い出せないのに。

何を話したか、そのあとどこへ行ったかもすっかり忘れているのに、その背中だけは鮮明に憶えている。

夫は昔も今も旅行好き。高速道路のない時代、子供たちを車に積んでどこまでも行った。

広島からフェリーで別府へ。やまなみハイウェイでようやくついた湯布院の宿で、4歳の長男が泣き始める。

「おうちに帰るーーーーおうち帰ってブロックするーーーー」

翌日、2歳の次男は「お腹痛いーーーー」と言った次の瞬間、車酔いで嘔吐。

まだまだ親が遊びたい盛り。子供には迷惑だったかも。

湯布院はブームになるはるか前、地味な町でした。

夏が来ると、去年の楽しさがよみがえると錯覚する。

でも、一つとして同じ夏はなく、毎日会っていた人さえ、連絡先も分からなくなっていく。

人は誰かにつながっていたいと強く思わない限りは、どんな人ともやがて離れ離れになっていく。

ずっと一緒にいる人とは、夫であれ友達であれ、少々の行き違いは胸に納め、今年の夏も、来年の夏も、ずっと先の夏も共に過ごすと腹をくくる。

思い出の中の世界は豊かで幸せで、私は若くて元気で、楽しくて。

いえいえ、これからだって楽しいことはいっぱいあるはず。

体に気を付けて、今年の夏を乗り切っていきましょう。

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呉に行ったんだけど・・・

2016-10-19 | 随想

昨日は好天だったので、呉へ行きました。一人だと高速つかって車で行くより、バスの方が早くて安い。パスピーで610円とかそのくらい。

我近くの県立大学斜め向かいから、蒲刈へ行くとびしまライナーに乗ると28分で呉駅前まで。

これは早い。JRだと・・・最近全然乗らないけど、一時間くらいかな?

で、とりあえず市立美術館まで行くと、なんと火曜日はお休みだった。

ガーン。気を取り直して、以前行ったことのある川沿いのイタリアンの店へ。おしいかったけど、野菜三種盛りパスタというのは本当に野菜しか入ってないのでびっくりした。パン一切れ半と野菜サラダはミニトマトを八等分してそのうち四切れが入っているという繊細な技。

インテリアなどは大変お洒落。

こんなもんだと納得して店を出て歩いていると、古い喫茶店でコーヒー付きピザ740円というのがあった。うわあ、こっちにすればよかった。また食べることもできないので諦めて通り過ぎる。食べもののことでこだわりの強い私でした。

バスは早いのはいいけど、帰りは15時台、本通り商店街で時間をつぶす。呉は駅に隣接して巨大なゆめタウンができて、中通ると大和ミュージアム迄濡れずに行ける。こちらへ人が流れるようで、商店街は寂しそうだった。こちらの気も滅入る。

書店に入ると、奥はずっと古書コーナー、その先はリサイクルブック。でもいくら探しても読みたい本がない。で、またまた気が滅入る。

デパートの小さなショップも欲しいもの何にもなくて、お手洗いだけお借りする。ガックリ。

考えてみたら気合入れて服着る場面とか、最近、ほとんどないですもんね。昔なら、子供の学校行事など。三男の時は高校三年間役員していたので、気合入れて出かけてましたもんね。人間、そう言う場面がたまには必要だということでしょう。


最近、気になること二つ。

それは水彩画の先生が、下手な人の絵は「面白いですね」と流すだけで、私の絵は指導たくさん。いつもいつも、描きすぎないように、塗り過ぎないようにと言われる。色が濃すぎるとも。

納得できません。

デッサンも色付けもきちんとできてから自分の描き方を探すのはいいけれど、初めからそれさえできないのは如何なもんでしょう。ああ、ここに書いて少しはすっきりした。

ピカソは10代には絵はすでに大家の趣。それから自分の描き方を次々と試し、探り、美術史の流れを変えるほどの大芸術家になった。初めからキュービズムじゃなかったのだし。

長年やってもずっと同じ段階にいることこそ、却って難しい。と私は思う。

まあ、ささやかなサークル、筆を握って色塗るのは三歳児にもできる。私も肩の力抜いて、楽しくおしゃべりすればいいのかな。その気楽さが私にはないのかもしれん。

それもあって大昔、美術部止めたんだった。織りや絵付けなら楽しくできるのに、何で絵のことになるとむきになるのか、我がことながら不思議。

もう一つは姑様のこと。ケースワーカーさんとの対応は私の一存では出来ないので、夫担当。でも少しずつ、姑様がいろいろなことができなくなるのは自然の流れ。

夫との間で、この先どうするかなあという話になり、「施設入れるより、うちで見た方がいい。私なら狭い一室に入れられたくないし、じっとしていると呆ける」と私が話すると、夫は安心したのか、「お母さん、来るかなあ」と言っていっている。

おやまあ、急な話で。

「施設入れてよ。私は知らん」とは、一般論としては言えないことで、私もまた遠い先の一般論として言ったつもりだったけど、夫にしたら渡りに船だったのかな。

これまた一般論として、街でお年寄りが(自分もその仲間ですが)困っていたら、手助けできるのに、なぜ一番大切なお姑様のことになると素直に考えられないのかな。

これは多分、長年、嫁はして当たり前、年寄りはしてもらって当然という社会の慣習の為かも。嫁がお世話することなんて、晴れて降って風が吹いての自然現象と同じ。だれも気が付かない。目にも止まらない。

姑様はいい人で、図々しくないけど、ネックは夫ですね。自分の親のことしてもらってるんだから、ちょっとは私に気を遣ってね。礼を言うとか。

これが逆だったら、ものすごくできた旦那さんと称賛されるはず。息するみたいに自然な態度でいると、ちょっとどうかと思う。

夫が遠くのきょうだいたちにも様子を知らせて、たまには連絡するよう言ったら、お姑様は嬉しいはず。なんて言って、私は実母に全然電話しません。理由はいろいろあるのですが、いかんですねえ、ダブルスタンダード。

まあ、出来ることは出来るだけする。出来ないことは無理せず、みんなの助けを借りる。と、そんなことでしょうか

それよりも夫仕事場、一部姑様の名義。切って三等分しないのなら、先でいくらお金がかかるのかと戦々恐々。当事者の夫は何にも考えていないようですが。本人差し置いて私が心配するのも変なので放置しています。夫きょうだいは交流はそう頻繁ではないですが、仲はいいので、この先もずっと仲よくしてもらいたいと思っています。兄弟仲が悪くなるのは、だいたいが親の依怙贔屓とかわがままが原因。その点、うちの姑様はよくできていると思う。

書きながら、私の気持ちも筋道が立ってきた。書くことの効用、ですかね。やれやれ。

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文学賞について

2016-10-15 | 随想

2014年10月 香川県三豊市粟島で
 
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今年も発表になった。いつのころからか、日本人作家が下馬評に上がっているらしい。前もって候補者が公表されるわけではないので、候補だと言われてもご本人も迷惑だと思う。それとも期待しているのかな。
 
毎年、喫茶店みたいなところに何人か集まり、スマホの画面見てがっかりと言う映像。それ見るこちらもがっくり。選ばれなかったのにがっくりするんじゃなくて、他に映像ないんかい?とか思う。
 
小説は一人で読んで一人で感動するものだと私は思っているので、集まって語り合うのに多少の違和感が。そして、その場の雰囲気がもっと違和感が。いえいえ、私も若い頃、似たようなことしていたので、今見ると昔の自分を見ているようで冷や汗が出る。
 
男は女にもてたいがために文学がどうこう、女は男に認められたいがために、黙って言うこと聞く。ああ、恥ずかしい。

「最近行き詰ってて書けないのよね」・・・そりゃ、草野球の選手にもスランプはある。気取るんじゃないよとその時言えたらすっきりしたはず。言えなかった私も縛られたた。今思えば。
 
 
ええい、ついでに言わせてください。。あのテレビ映像には自分の人生が苦しくて、指針になる言葉が欲しくて、やっと探し当てた小説に助けられたという必死さがない。いや、そんな人はテレビには映りたがらんでしょう。いやいや、こんなこと言うのは前世紀の古い文学感かもしれない。
 
文学にだっていろんな消費のされ方がある。しかし、かの賞は、民族の困難、時代の困難を人間としてどう乗り越えていくか、といったメッセージ性のある国民文学に与えられるものと私は思っている。
 
若い頃、私も読んでました。

都会に、おしゃれな生活にまだ憧れていたころ。でも小説の中の人は自分から状況に働きかけることをしない。時代の、都会の表層を漂っているだけ。生活の苦労も、家族の軋轢も何にも書かれていない。だから、それに苦しむ人間への救いの言葉もない。戦争もない。戦争に苦しむ人も出てこない。
 
ねじまき鳥なんとかという上下巻までは私も付き合いました。そして、もう読みたくないと思ったのでした。
 
構えの大きな作品、時代の苦悩をわがこととして書く作家、そういうのが賞にふさわしいと愚考しています。日本人では誰でしょうか、林京子と言う人もいますが、今はちょっと思い浮かびません。
 
スリーマイル、チェノブイリ、福島・・・時代の不安として、それでも未来を切り開く希望が文学的に昇華されるなら、あるいは・・・・
 

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選択的夫婦別姓について

2015-12-19 | 随想

選択的夫婦別姓の法案が、またしても流れた。私としては、大変残念である。私は夫の姓をもう長い間使っているけど、もし旧姓に戻ったら、頭の上が軽くなるような解放感を味わうと思う。私は私、と自信が持てる気がする。

結婚したら夫の姓を名乗るって、新しい民法になってもう70年近くなるのに、まだまだ旧民法の、家制度の名残を引きずってると思う。

私は今さら面倒なので今の姓で我慢するけど、選択的夫婦別姓を希望する人たちが一億総別姓を主張しているんじゃないんだから、したい人はしていいんじゃないの。他人様のご夫婦が別姓でも、私は全然困らないし、迷惑でもないし。何で反対するんだろ?不思議。

今の民法では結婚すると新しい家を作るはずなのに、新しい家も夫の姓を名乗ることで、旧来の、うちの家に嫁にもらったという感覚を補強することになっていると思う。


街のインタビューでは女性の「自分のidentyがなくなるようで」という意見が目立ったけど、女性の姓を選択した男性の意見はとうとう見なかった。こちらこそ本当に少数派。みんながみんな割り切ったわけではあるまい。口に出せない分男性の方が辛いかも。

家族の一体感が失われるって思うなら同姓でいいし、反対する人はよそ様のお宅の一体感にまで口出ししなくてもいいと思う。人それぞれ、放っておけばいいんではないでしょうか。

本音はきっと、私はよその家の嫁になって耐えて来たのに、夫の姓も名乗らずに自分勝手で我儘、許せないというものかもしれない。


昔の婦人公論にはよく、跡取り娘で好きな人と結婚できなかったという体験談が載っていた。好きな人が長男で、相手の親も自分の親も反対したとか、そんな話。それも夫婦別姓にすれば解決できるケースもあったのでは?

それに女性が、別れたらまた名前が替わるのも、結婚しなかったらいつまでも元の名前なのも、個人情報が筒抜け、私だったら嫌ですね。

たかが姓一つだけど、別姓も選択できたら、この社会はもっと風通し良く、家族のごたごたも少しは少なくなるかもしれない。

同じ姓がいい人は同じ姓に、違うのがいい人は違う姓に。話は簡単なのに、何で人のことが許せないのかな。不思議。

次の課題は選択的夫婦同性ですかね。これもしたい人はしてもいいんじゃないの?

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地域猫活動って?

2015-11-05 | 随想

今朝の朝日新聞、大阪本社版の投稿欄「声」に、大阪府の47歳、主婦の方のご意見として、野良猫と共生する地域猫活動を進めることで、猫も人も住みやすい街になるのではというのがありました。

地域猫という言葉は時折聞きますが、例えば広島市は行政として、こんな風に考えているようです。

http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1418348582481/index.html

猫に対していろいろな考えがあり、人によってすることは違うけど、野良猫を減らしたいという思いは同じというところに引っかかりました

野良猫に餌をやる人は、数を減らしたいと思ってるんでしょうか。私は絶対違うと思います。可愛くて、餌やるだけだと思います。だって減らしたいのに餌やるなんて矛盾してますもん。

これは市の立場として、踏み込んだきついことを言えないためと思います。含意は減らしたいなら安易な餌やりはトラブルのもと、慎みましょうと深読みすべきでは。

避妊手術して減らすのも地域活動の一つのようですが、その費用は誰が負担するのか、本日の投書にも市のサイトにも踏み込んだ発言はありません。

ほんとに、誰がすればいいんでしょ。猫がかわいくて餌をやる人に、私はお願いがあります。その優しさで、一匹でも自分で引き取り、思う存分可愛がって、フンの始末も自分で責任もってやっと欲しいと言うことです。

餌はやるけどあとは知らない、どこで子猫を産もうと、誰の庭にフンをしようと知らないでは本当の愛猫家とは言えないのでは。

我が家は街中の一軒家です。周りはマンションにビル、一戸建てのお宅も駐車場として家の前をコンクリートで固め、土の露出している場所は少ないです。

そのためか我が家の庭とか、勝手口の外とかの思わぬ場所によく野良猫がフンをしています。その都度穴を掘り、埋めて始末し、あとはクレゾールで液で消毒しますが、猫に餌をやる人は猫がフンをすることはご存じなんでしょうか。

どこかでしているんじゃないのと気にも留めないのでしょうか。としたらあまりにも無責任ですね。

夏など、すぐにハエがたかり、気が付かないうちに卵が孵ったりすると、本当に見たくもない悲惨なことになっています。でも始末しますね。我が家の敷地なので、誰もしてくれないから。

でも猫と地域で共生したいと考える方なら、餌やった人を呼んできて、フンの始末もお願いしていいのかしら。うわぁ、ものすごく嫌味な言い方。

そうです。普段は温厚な私も(←どこがあーーーー)、今日の投稿には疑問がいっぱい。というか、腹立ってます。

私は地域猫=野良猫と共生したくありません。猫の好きなあなたが飼って、餌やってフンも始末して、避妊手術もして、死ぬまで面倒見てやっていただきたいものです。

マンションだから飼えない方は、餌もやらないでいただきたい。あなたのマンションのベランダに知らない猫がフンしても平気でしょうか。人世には思い通りにならないことがいっぱいあります。集合住宅でペットが飼えないというのもその一つではないでしょうか。人間はみな、自分のやりたいことを幾分かは我慢し、思いをこらえているもの。猫ちゃん可愛いと思う愛情だけで、突っ走らないでいただきたい。

昔はこんな野良猫問題ってあったのだろうか。たぶんなかったと思う。今よりずっと地面が多かったので、フンも一つの場所に集中することはなかったはず。猫を飼いたい人は、放し飼いにして、たぶんアパートでも飼えていたのでは。

野良猫は最後、人目につかないところでひっそりと死んでいたのでしょう。死んだのを見た気もするけど、あまりに昔のことで忘れてしまった。

これは忘れられない猫の最後。夫仕事場と隣の塀の僅かな隙間で、以前猫が死んでいた。初めは寝ているのかと思ったけど、次の日も同じ姿勢なので死んでいると分かった。

市に電話したら、段ボール箱に入れてネコと書いてくださいとのこと。普通の生ごみとは別に、7時頃取りに来ていただいた。誰がその猫を箱に入れるかで、夫との間で麗しくも譲り合ったけど、結局、夫がゴム手袋嵌めて回収。

「うわっ、猫クサッ」と叫んでいた。どんな匂いだったのかな。冬だからよかったけど、夏なら。。。。

昔の猫は人知れず死んで、土になったと思うけど、街中ではその土さえないですもんね。ゴミになって哀れなもんです。

私は飼わない猫に餌をやるのをやめれば、避妊手術するまでもなく、猫は適正規模にまで減ると思います。

鳴き声はね、我が家も生活音出してるので何とも思いませんが、フンだけはつくづく嫌ですね。野良猫への餌やり、止めてもらえませんか。お願いです。

熱くなってついつい長文に。恥ずかしや。

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片付く家、片付かない家

2015-10-27 | 随想

先日、某男性の家へ行って、そのあまりのきれいさにカルチャーショックを受けた私であります。

引っ越しして約2年、でもどこもピカピカでモデルルームみたいなので、いったいどうしたらこのきれいさを維持できるのだろうと私なりに考えました。

1 ものが少ない。自分の好きなものしか買わない

汚れる前に掃除し、散らかる前に片付ける

結局はこの2点なんですよね。

そのためには何を置いても片付けと掃除、でもものが少ないからゴミもたまらず掃除も簡単。普段がきれいだと毎日はそう大変でもなさそう。

いゃあ、負うた子に教えられると言いますが、負うてもない子に教えられまくり。これからは不出来な姑は心を入れ替え、よく片付いた心地よい家で晩年を迎える所存であります。

掃除と片付けの効能は何か。それは見た目すっきりとしていると、心まですっきりして次に自分が何をしたいかが見えてくる、あらゆることに意欲がわき、前向きに生きられるということでしょうか。

たかが掃除ではなく、生きるためのエネルギーが片付いた家にいると湧いてくるのでした。

この母にしてあの息子、最初はお嫁さんに躾けられ、だいぶ苦労したらしいけど、今ではすっきりとしてた暮しをしているようでした。台所にも自然に立ち、今の若い人の暮らしぶりをまぶしい思いで見ていた昭和の若嫁でございます。

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幸せな秋の記憶

2015-10-18 | 随想

キンモクセイが香り始めると、私の実家地方では秋祭り。秋祭りには神社ごとの獅子舞が各家を廻り、その鉦の音が遠くまで響いて、賑やかだった。獅子舞は一週間くらいかけて、念入りに周ってていたように思う。

獅子頭は大きく、大人が頭を入れ、目の穴から外を見ながら使う。胴はゆたんという絵羽柄の大きな布で、後ろ足にも一人、入っている。

獅子の前にはきょうちく?きょうくち、という唐子のような子供が二人、獅子を挑発するように踊る。それは小学生の低学年から選ばれ、秋口の練習からずっと動員される大変な役割だけど、祭りの一週間は学校は公休扱いだったように思う。晴れがましい花形。

授業時間中にも鐘の音が聞こえると、心が浮き立つ。先生が、「きょうは**のお宮さんのお祭りやけん、**のもんは六時間目はもう帰ってええ」と言うと、その地区の子は晴れがましく早退する。羨ましかった。

「聞き書き香川の食事」という本に、昔の祭りの行事食が載っています。昭和40年代には廃れつつあった伝統行事に伝統食、懐かしく思い出します。

お膳に載っているのが、お祭りの御馳走です。

天ぷら、煮魚(我が家では刺身だった)、しょうゆ豆、てっぱい、豆腐の味噌汁(我が家では豆腐とかまぼこのすまし汁だった)、かきまぜ寿司。それにうどんは別腹。全部食べてもうどんを勧められる。

うどんは金彩の大なます皿に湯だめで出され、共柄の蕎麦猪口ではなくてうどん猪口に出しを入れる。猪口はちょくと言っていたかな。

お酒は祭りの日でもそう飲んでなかったと思う。我が家と親戚だけが飲めなかったのかもしれないが、今のように毎日お酒を飲むというのは割と近年の習慣ではないかと思う。

御馳走が載っているのがマツのくり抜き膳、どこの家にも三十客くらいは揃えていたと思う。いまだに延々とヤフオクに出品されている。実家のは小さかったので、大きいのを私も落札した。


上はお祭りのお土産。甘酒一升、うどん、押し抜き寿司、巻き寿司、紅白の蒲鉾、天ぷら(揚げもん)各種は、色粉で赤、緑、黄色と鮮やかな色を付ける。お祭りだけの御馳走。

我が家では押し抜き寿司は五月に作るので、お土産は揚げもん、うどん、巻きずしだったかな。

当然、主婦は大変なわけで、二、三日前から準備していたと思う。特に大変なのはその年、神様がお立ち寄りになる?当家、とうやと言っていたけど。

集落中の人を接待、御馳走も大量に作り、一代で当

たるか当たらないかくらいの大行事。私の実家では20年くらい前に一度、それだけ。

とても家のものだけでは間に合わないので、親戚、近所の人も総動員で準備していた。もうすたれた風習かと思ったら、従妹の家では数年前、当家にあたり、家紋入りの幕を新調したり、家族は第一礼装、すなわち、紋付の羽織はかま、留袖、訪問着に振袖と本当に大変な行事だと改めて分かった。


お祭りにはお小遣い貰って神社の露店で買い物する。これが楽しかった。何を買っていたのだろう。ほとんど忘れてしまった。

人が大勢来て、帰り際の挨拶をして、少しずつみんないなくなる。来ていた人がいなくなった時って本当に寂しい。大人はやれやれだったとしても。


農業と深く結びついていた昔の祭り。料理も社交も人情の機微も人との距離の取り方も、共同体の運営や親戚づきあいも、つまりは世間にあるありとあらゆることを凝縮して体験していたのだと今にすれば分かる。

同居人はずっと都会育ち、濃密な季節がなく、草木や作物や生き物とのかかわりがなく、育ってきた環境がまるきり違う。結婚した当初、キュウリの木というものがあり、毎年それに実がなると思っていたと言うので、本当にびっくりした。今はせっせと屋上で野菜作ってますが。

この記事、家事などで中断して少しずつ書いたので全然まとまってません。いつかまた直すかもしれないけれど、きょうはこれにて。

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本の貸し借り

2015-10-08 | 随想

昨年の今頃 香川県三豊市粟島で


先日、ある人に相談された。自費出版の本を人から借り、それを別な人に又貸ししたところ失くされたそうな。
「親の自叙伝、大切なものだから返して」と言われ、どうしたものかと。原稿があるはずだから、それを借りてワープロで打って製本して返したらどうですかとアドバイスしたけれど、呆れてしまった。

又貸しなんてもっての他と私は思っている。本を大切にしない人=知識に対して敬意を払わない人はわが同類に非ず。

今まで人を信頼して貸した本が帰ってこなかったことが何度か。その人も嫌いになった。借りた本は自分の身につかない。読みたければ、身銭を切って買いましょう。私はそうしている。本貸してと気安く言う人とは付き合いたくない。

来客にも本見られたくないので、二階の人を通さない部屋に置いてある。ケチでけっこう。絶対貸さないもんね。

という記事をさるSNSで上げたところ大いに同意された。その方は祖母に作ってもらった、まだ袖通してもない着物をつい貸してしまい、いまだに後悔しているとか。

着物も本も、大切な人には命の次位に大切、そうでない人に限って気安く人に借りたがるんですよね。何か自分でも、凄く意地悪で嫌な女だと思うけれど、嫌なものは嫌。

好きな本をインテリアにしたいけど、人に見られるのが嫌でできずにいる。本は生きてきたあかし、捨てたくありません。といいつつ、古い文庫本、だいぶ捨てたけど。

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あなたはホテル派、自宅派?

2015-09-30 | 随想

子供が結婚して、盆正月その他に帰省する場合、子供によってはわざわざホテルに泊まる人もいるらしい。

よそ様の事情はそれぞれなので何とも言えないけれど、我が家の場合は息子たちは家に泊まります。またこちらから行くときも頭下げて泊めてもらいます。

風呂入って部屋に引き上げたら、若い人の邪魔しないようにそこから出ないようにする、部屋にはテレビもパソコンもないし、夫と二人することもなくて退屈だけど、それもまた楽し・・・という心境でしょうか。

帰省してもホテルに泊まるのは息子一家、夫婦であって、娘一家、夫婦はどうなんでしょうか。あまり聞いたことない。

いえいえ、宮島で民宿している知り合いによると、帰省しても年寄りの親に迷惑かけるからとみんなで泊まりに来る人もいるようですよ。確かに年寄りには寝具の準備と後片付け、食事の支度など大変なので、みんなでゆっくり楽しみたいというところでしょうか。下世話な話ですが、費用はたぶん親持ちかな。なんか楽しそうですね。一棟貸切で遠慮ないのがいいですね。

宿やホテルに泊まるのが贅沢だった時代は、遠い親戚や友人でもよく泊めていたように思う。訊ねてきたら有り合わせでも必ず食事出すとか。私の実家ではそうでしたね。

私もいつの間にか旧人間の部類になったので、人が来て食事したり、泊まったりするのが好きな人間になってしまった。

お金出せば立派な部屋、おいしい料理、昼間ならおしゃれなカフェでもいいところを、あえて生活全部見せて、くつろいでもらう。子供もそうだけど、友達もどんどん来てほしい。

ビジネスホテル、無駄がなくてよくできているけれど、何よりも嫌なのは窓が開かないこと。空調だけで適温適湿にするのは難しい。寝るだけと割り切って味気なさも旅情の一つと思うようになればいいのだけど。

来月、またまた旅行の予定。いろいろな流れで、流れには素直に乗っていくことにしている。遊びならなおさら


ついでみたいで申し訳ないけれど

http://blog.tatsuru.com/2015/08/24_0753.php

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