些細なことのようだけど、けっこう人を傷つけますよね。
逆から言うと、このくらいは何でもないはずと、仲間意識で盛り上がって、誰かをのけ者にするって、小学生の、いえ幼稚園児から後期高齢者まで、やめられない快感なのかも。
30年以上、人に助けてもらって仕事していますが、女性同士のいざこざでやめた人も何人か。女性は一度こじれると、そこからの修復は難しい。給料もらっていれば、なかなか辞めるのは難しいはずだけど、それでも去る人は、こちらからは止めようがない。
これが趣味やお稽古ごとの世界だとどうなるのでしょう。うーーーん、義務も報酬も発生しない分、無理して続けることもないのではと思う。
そういう世界では何よりも仲間意識が大切。人の輪が大切。しかし、人間関係は常に流動的。みんな仲良くよりも、自分が中心にいたい人、人を軽く扱って平気な、とっても失礼な人って、たまにいますよね。昔、それでたいそう苦労しました。
そのサークルがしていること自体は好きだったのですが、いろいろとめんどくさくて、同じことする場所もできたので、やめてしまいました。
やめたのは事情の赴くところ、私の中では自然な事だったので全然後悔していませんが、最近、その人が「才能あるのにもったいない」と私のこと言っていると聞きました。
褒めてくれてるのかなあ。素直に喜んだ方がいいのかなあ。
でも、人に才能があるとほめたり、自分に才能がないと謙遜したり(その人はしないけど)って、神の領域ではないでしょうか?
それにもうこの年です。才能があればとうに世に出ている。ないからこうして何もしてない訳で。
仕事や学校は少々のことに目をつぶって我慢も要るけれど、趣味の仲間、縁が切れたと思ったら、とっととその場を離れること。若い時でもそうだし、まして年取ると、幼稚な意地悪する人とは離れるが吉。
人は誰しも、その人らしさに向かって成長し、ますますその人らしく年を取る。変えられないし、変えなくてもいい。自分らしさを完成させるだけ。
と言うようなことを最近考えた。
昨日、先生のアトリエで絵を描きながら、新しく自分の居場所ができたとおもうととても嬉しかった。
私は子供のころから絵を描くのが好きで、文章書くのも好きで、運動は大嫌いで、結局自分が流れ着いたのはここかなと思った。
先生はご高齢だけど、いつまでも元気でいていただきたいもの。