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健康のために立ってパソコン

2020-11-15 | 随想

7時からのTBS系、健康番組によると、長時間座るのは筋肉が衰え、認知症他さまざまな病気を引き起こすそうです。

寒くなるとついじっとしていることの多い私、まだまだ遊びたいので、取り入れられることはやってみることにしました。

机の上に箱を置き、その上にパソコンを。

今はこれでやっています。長時間の作業も、慣れてこの場所でできるよう、慣れていきましょう。

しかしまあ、煮しめたような古い家具いろいろ。

机は20年以上前、商工センターの骨董市で買った。その頃はX-トレイルに乗っていたので、余裕で積めた。ああ、また乗りたいなあ、あのでかい車。。。。

昨日から夫は大阪のコンサートに出かけている。どこをどう立ち回るのやら、帰宅したらすぐ入浴して、しばらく姑様のところで寝起きしてもらいましょうか。

それがお互い楽で、ずっとそのままだったりして。常々、住民票移しなさいと言ってある。これから本人ができない諸手続き、同居の親族だと簡単では?

相続も、同居していると有利らしいけど、そこまでは口に出さない。

きょうはいいお天気なので、したかったこと、いろいろ片付けるつもりです。

食事の支度がないので楽。自分一人だから、冷凍ご飯チンして、一人鍋でもする予定。昼は当然讃岐名物、しっぽくうどんですね。

皆様もいい日曜日をお過ごしください。

 

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物忘れは老化の第一歩

2020-10-26 | 随想

昨日の山歩き、元気に歩いたように書きましたが、実は忘れ物だらけ。

まず、充電中のスマホを家に置き忘れる。

カップ麺はリュックに入れたけど、割箸を忘れて駅中のコンビニで買う。近所の激安スーパーだと50膳くらいで98円とかそんな値段なので卒倒するほど高かったけど、夫と息子になだめられて買う。忘れた私が悪い。

極めつけは二葉山の頂上に脱いだウィンドウブレーカー置き忘れる。ポケットには鍵が四つ。家に帰る途中で気が付き、孫を家に残して車で回収に行く。

幸い、山頂下まで車で行ける道。駅西大橋から直進、工事中の都市高速の下くぐって、尾長神社の前から団地の中をぐんぐん高度を稼ぎ、家から30分で山頂まで。

忘れ物はきれいにたたんで展望台のコンクリ―トの縁に置いてあった。やれやれ。

運転は夫に頼む。私、勾配のある道、運転したくない。できない。

昨日だけで忘れ物三つ、これから増えるんでしょうね。


夫はずっと腰の痛い人で、昨日もどんどん遅れる。三人は途中で待って、おやつ食べて遊んだりした。

先月、京都府の伊根で、「遊覧船に乗る人は早く来てください~」と遠くで叫んでいるので、私は駐車場から必死で走って行ったけど、ふと振り向くと、ゆっくり歩いてくる夫。

あとで「なんで急がんの!」と聞くと、歩き初めには体が動かないそうで。

軽く痛いところが常にある人は面白くないだろうなあと、ちょっと同情。

以前、近所の寿司屋へ夜、夫と義妹と三人で出かけ、夜道でふと振り返ると二人がずいぶん遅れていた。それからはなるだけ人の歩調に合わすようにしているけれど、船に乗る時などは先に走って行って、ちょっと待ってもらう。緊急避難。


おやおや、自分の老化を言うつもりが人の話に。

年取ると、お互い足りないところを補って、仲良く暮らしたいものです。仲良く暮らしたいのだけど、あまりに長く一緒にいたのでついわがままが。

それもこれからはあまり出さないように。


今朝は久しぶりに庭で猫を見た。

エサくれるのかと逃げずに待っているのが何とも。

車のフロントガラスに足跡。がっくり。

隣地の賃貸マンションとの境のブロック塀の上に三か所、食べたものを戻していたので、土をかけて土ごと十能と塵取りで回収、庭に穴を掘って埋めた。

飼い猫か、野良猫か、迷っているだけか、外で飼っているのか、分かりませんが、猫のカリカリの食べ過ぎのようでした。誰かがエサやったんでしょうね。

怒るにも相手が分からないので、見た目悪いけど、塀に針金ハンガーを曲げて何個も取り付け、間を紐で結んでみました。防げるかな~

我が家の前後ろのフェンスの上は歩けないけど、反対側の一戸建てのお宅との境のブロックの上に棘のマット敷いたり、水入りの大きなペットボトル並べ、我が家の家の横の土のところはレンガなどを置き直しました。

木か多年草植えればいいのですが、狭いし日当たりがないのでしばらくはこれで行きましょう。

猫にエサやる人はなくならないし、野良猫もいなくならないし、徹底的に自衛するしかないですね。

前は門扉もあったけど、車の出入りに邪魔で外しました。街中の狭い土地の悲しさ。。。。

家の正面から来るのは防ぎようがないけど、柔らかな土の面を残さない。これで行くしかないようです。

猫にあまりカリカリしない。猫が好き、嫌いは個人の嗜好、あれこれ思わない。ただ自衛するだけ。

感情的になっても仕方ない。そのことにやっと気が付きました。

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懐かしのPay Pay

2020-10-09 | 随想

皆様は憶えておいででしょうか。昨年の今頃、スマホ出してコンビニその他で支払いする人がいたことを・・・

最近全然見ませんし、この私もある時、久しぶりにPay Pay開いたら接続できなくなっていた。

なんで~?と思ったけど、面倒でそのままに。

でも気持ち悪いので、さっき、スマホのgoogleに「ペイペイ、インターネットに接続できない」と音声入れてみたら、最新版に更新する画面がでてきて自動的に更新、あっという間にみられるようになった。

残高は180円です。こんな少額ならPay Pay使っての支払いに使うしかない。リアルな銀行に送金するには100円だったかの手数料がかかる。

去年の10月に入ったのです。お嫁ちゃんがやり始めて、カードに紐づけせずにその都度入金した方が安心と教えてもらったので言うとおりに。

これは消費税が上がった補填措置として、また東京オリンピックで外国人が来て支払いをスムーズにするためとか、いろいろ言われてましたよね。

コンビニで若い人がスマホ読み取ってもらうのがうらやましくて、ばあちゃんの私もやり始めたのです。

初めは「年寄りでもちゃんとできるからね。エッヘン、オッホン」と言うつもりだったけど、自意識過剰。誰も私のことなんて目に入ってなかったと思う。

で、ちょっと遠くのパン屋さんは2ポイントなのでわざわざ出かけたり、ファミマは何ポイントでしたったけ。


再び見られるようになった画面によると、最後に使ったのが今年の2月20日。そろそろコロナがはやり始めたころ。そちらにばかり気を取られて上の空。東京オリンピックも延期になったし。

今になれば、なんでこんなめんどくさいこと、なんで国も私も始めたのかしらと不思議な感じ。

アプリを開発したところだけがもうかったのかな。少なくとも私は消費税の増税分なんて、全然取り戻せてません。180円、使い切ってもうやめるかな~

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祖母の言葉・・・思いだすことなど

2020-09-21 | 随想

今年も収穫の季節


YASUOはのう、街のミョーケン(どんな字を書くかは不明)さんのお祭りで、回り灯篭買うてくれ言うたけど、買うてやれんかった。買うてくれ言うて泣いたのに。

修学旅行行って寒かった言うて、シャツ買うて来て帰った。シャツ、持たしたらよかった。小遣い、少ししか渡してなかったのに。

よその子が(戦争から)帰って来るのに、あの子はいつ帰るんかと毎日毎日待っとった。朝起きたらきょうは帰って来るんかと思うし、夕方になったら(市の中心部に通じる)西の道へ出て、北を向いて帰るのを待っとった。(それをいつ止めたかは聞いていない。多分復員した戦友に最後の様子を聞たあとで)

あの子は戦争で餓(かつ)え死んだんや。丈夫な子やったのに。


体の丈夫な叔父が農家を継ぐことになっていたらしい。私の父は病弱で、勤め人だったけど、叔父が戦死したので農家の跡取りに。しかし、私が中学生の時にはまた勤めを始めて、兼業農家になった。それは時代の流れでもありました。農地もいくつか潰して借家を建てたりと、都市化の波はひたひたと押し寄せてきたのであります。


母が気の強い人だったので、祖母は遠慮がちに暮らしていた。80過ぎて脳梗塞で寝たきりになり、10か月くらい家で介護受けていた。多分この時期がいちばん辛かったのでは。弟の結婚準備と式の間だけのつもりで、私設の施設に入居してもらい、それから家に帰ることはありませんでした。

介護保険の始まるはるか前、入居費は自費で賄うしかなかったのですが、戦死した叔父の遺族年金を充てたと聞きました。死んだYASUOさんがいちばん親孝行と叔父叔母たちは話していた。


個人的な記憶、人さまに読んでいただくほどの話でもないのですが、ごく身近な人が話す、戦争の記憶。深く心に残っています。軍国主義教育を受けていない分、祖母は天皇が大嫌いでした。息子を戦争に取って殺したと心底恨んでいました。

ソ連が、そして昨今は中国が脅威と言って日本の再軍備、憲法改正を主張する人たちは、戦後の講和条約締結後から延々言い続ける政治勢力がありながら、いまだにできていないのはなぜかと考えてもらいたい。その事実に学んでもらいたい。

それは二度と戦争は嫌。どんな犠牲を払っても戦争だけは嫌と言う庶民の肌感覚が、憲法改正を拒んだ一番大きな力と思います。

冷戦の時代は過ぎ、米中は小競り合いを繰り返しながらも、決して相手を滅ぼそうなんて思ってはいない。できるとも思っていない。どちらの国も国内向けのポーズを取りながら、共存する道を探るべきと本音の部分では冷静に考えていると私は思います。

さる政党が戦後延々、憲法改正を言い続けているのは支持者へのパフォーマンス。それでもできないのは国民の反戦への思い。現実には米軍が駐留し、自衛隊もあるけれど、それで極東で軍事的バランスを取りつつ、憲法だけは最後の砦、いじらないというのが国民大多数の意見と私は思います。憲法条文の日本語の意味と現実の乖離はもう説明不可能な段階にまで来ているけれど、それでも見て見ぬふり、とにかく憲法は守るべきと考えているのでは。

先日、久しぶりに外出したら右翼の街宣車に出くわした。大音量の軍歌。無内容なスローガンの連呼。気分悪くなり、軍歌を聞くうちに祖母の話と叔父のことをまた思い出して、涙が止まらなくなって困った。

若い時はこんなことなかったのに、どうしたもんでしょう。


祖母は、戦争と小さい時に病死した子供以外、全員成人して家庭を持ち、子供も生まれ、50代で産んだ末の叔母の子供四人の顔も見てから86歳で亡くなったので、まあ庶民としての人生を全うした人でしたね。

末の叔母の結婚が決まった相手が、戦死した叔父と同じ名前、不思議な巡り合わせでした。死んだ人は帰らないけれど、またその名前を呼べることが。

自分の産んだ子の孫は何人いたのでしょう。ちょっと計算してみます。えーと、19人ですね。この私、完全に負けています。。。。


コメントは許可制です。せっかく投稿していただいてもあなた様の貴重なご意見を反映しないことがありますので、前もってご了承ください。

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歩行と咀嚼が老化の目安・・・かな

2020-09-15 | 随想

昨年9月、雲州平田で。絵絣。


同世代の人と食事して、私は普段から食べるのが早いので、人と食べる速度を合わせるのに苦労することがある。

考えてみればごく若い時からそう、子供の時からそうしつけられていたことに思い当たる。

話をせずにさっさと食べる。母は特に作るのも食べるのも早かった。これは我が実家特有の事情があったのだと今になれば思い当たる。

高校のころは学校周辺に食べ物屋が多く、昼休みでも出入り自由な我が母校は県庁や、隣の・・・会館で友達と食事することもあったが、私はいつも早く食べるので恥ずかしかった。

この年になると、さらに恥ずかしい。うーーーむ、あっと言う間に食べてしまう。夫から、呑み込まずによく噛めと注意される。

友達と食事しても、食べ終わってふと見ると、相手、半分も食べていない。

うーーーむ、どうしたものか。せかしているわけではないのですが。

早く食べると食べ過ぎるそうですが、食べ過ぎない程度に、今の速度を維持したいと思う。

姑様も次第に食べるのが遅くなり、施設では11時半ころから食べ始めて、終わるのは一時過ぎるらしい。施設の人は見守りながらも手出しはしない。


いつのころからか、たぶん二、三年前から夫と山を歩くと、どうしても私が先になってしまう。彼の人、ゆっくり。ゆっくり歩いてペースを乱さないようにしているのかと思うと、そうでもないそうで。早く歩けないと言う。

えーーー、と驚く。一日中、座っているのが仕事なので、足腰、いつの間にか弱っているのかも。

たまに会う人が、歩くのが遅くなっていると、自分ももうその年になっているのだと自覚する。

早く歩いて(転ばない程度に)、早く食べて(胃を悪くしない程度に)、家の中でも外でも素早く行動。それで老化が少しでも遅くなり、認知症が先延ばしになれば嬉しいなあ~

昨年9月、雲州平田で。

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その後のこと

2020-09-01 | 随想

まだまだおいしいスイカ


現在97歳の姑様が入所中の介護施設、新型コロナの流行で家族が出入り禁止になって早や半年。今はいつお見舞いが再開されるのか、目途が立っていない。

一年と七か月前、入所した時にはまさかこんな日が来るなんて思ってもなかった。

家が隣なので、最後まで引き取ることはなく、通いで介護。

入所当時の姑様の状況。

前年、大腿骨頸部骨折で手術、リハビリするもしばらくすると自力歩行不能。抱えて移すと、椅子に座ることはできる。食事は普通食、食欲普通。時間かけて自分で食べる。最後の方は手づかみも。耳はほとんど聞こえない。二度の軽い脳梗塞で、発語がほとんどできない。反応はある。とこんな感じ。介護度は4。

週に4日、全日デイサービスまたはデイケアに通う。1日はヘルパーさんが訪問して食事の介助と後片付け、洗濯をしてもらう。

夫、オシメ替えと在宅時の食事の介助。便秘気味で週に一度の浣腸と始末。あとは洗濯。

私、食事作り。食事は夫が運んで一緒に食べる。洗濯。衣類の管理。掃除。オシメ替えは会合などでいないときは私がする。一年足らずの自宅介護中私がしたのは10回くらい。

今、介護度4の人の在宅介護を振り返って思うのは介護保険のありがたさ。それに尽きる。

すべてを家でするならば、夫と二人、他に何もできず疲労困憊していたと思うけれど、週四日は昼間不在、一日は朝と昼のケアはヘルパーさんが、あとはベッドで横になって眠っていることも多かった。

また二回、ショートステイに3日預けて、夫と旅行した。一回目は岐阜、高山など。二回目は城崎温泉など。ほかのどんな旅行の時よりも解放感があり、しみじみと楽しかった。今は当たり前になって、あの楽しさを忘れている。

昨年お正月明け、夫が突然ぎっくり腰になり、体の前後屈もできなくなり、ケアマネさんに相談して施設にとりあえず2週間の予定で預かってもらった。

本人は、オシメ替えの時に中腰前傾姿勢でで姑様の腰を上げたり、右左に動かせるのが悪かったと話しているけれど、それ以外にも背負って階段上がり降りしたのも原因と私は思っている。

子育ても介護もしたことない人にはわからないと思う。子育ては自分が産んだ子は育てるけれど、介護は産んでもらった親だからと全員がするわけではない。するかしないかは、その時の介護する人の事情に左右されるけれど、結局は近くにいる子供が引き受けるのが流れ。

夫は、自慢することではないけれど、よく頑張ったと思う。初めのころは、親がいろいろなことができなくなったことが理解できず、怒ったこともあったらしく、私が行くとベッドの中で怯えていた。

「**さん、袋縫うので裂きれ、頂戴」

もう縫物なんてできる状態ではなかったのに。

「お母さん、どんな裂きれですか」

「何でもいいから裂きれ頂戴」

「ほっとけ、明日になったら忘れとる」

とまあこんな会話。

翌日は言わなかった。

ベッドの中で、何か縫物しようと思うことが、姑様の最後の心の砦だったのかなと今になったら思う。

でもそのあとは怒ることもなく、気長に介護していたと思う。人に話すと、男の人がオシメ替えるのは稀とのこと。

そうなんですか。自分の親なので、やるのは当然と私は思います。夫は私たちの三人の子供のオシメ、ほとんど替えたことないので、その代わり。そう思えば辻褄が合います。

そうなるずっと前から夫には常々、お母さんの介護はあんたがしてね。長男の嫁の私がしたのでは当たり前すぎて誰も目に入らず、気が付かない。息子がすれば、世間はよくできた人と感動し、お母さんも喜ぶと。

我が家では大体その通りにできたと思います。私は少しは介護を体験したことで、いろいろなことを知ることもできました。

人はみな、周りに面倒掛けず、認知症にもなりたくない、元気でいたいと思いますが、どんな最後になるかは自分で決められないこともたくさんあります。思うようにならないのが人生の常、特に老年期はもう流れに身を任せるしかない。そう思います。

その時必要なのはある程度のお金と、良好な周りとの人間関係と思います。どちらが欠けてもいい介護にはならないのでは。

姑様が施設に入るまで、一月最低でも20万円以上かかると聞きましたが、それは豪華な自費?の施設では。広告でよく見るのもこの種類のようで、姑様は食費は実費ですが、それを含めても一割負担で月に13~15万円程度の支払い。半分は夫の弟が、自分の仕事の役員報酬として仕送りしてくれるので、残りを夫が姑様の通帳から引き出して払っているようです。お金のことは私はノータッチ。

しかし、介護する側の人間関係がぎくしゃくしていて、誰か一人が自分だけ犠牲になっていると思うようではいい介護はできないと思います。

夫は心の中ではどう思っているか知りませんが、愚痴を口にすることは一度もありませんでした。一度、「最初のころ、お母さんに怒っていたよね」と言うと「悪いことした」とはらはらと涙こぼすので、それからは言っていません。

出来なくなるまで、料理も自分でしてた姑様。ご飯を二合炊き、ずっと保温。三日目くらいには硬くなって色も変わる。それでも食べていた。野菜各種を刻んで鍋で似て、食事の度に煮返して、最後は野菜の形が分からなくなったのを食べていた。それに卵かけごはん。

何かしましょうかと申し出ても、できる間は絶対に頼まない人でした。嫁は使ってなんぼという発想のない自立した人でした。

気難しい舅様の仕事を助け、添い遂げ、最後まで自宅で介護したスーパーな人、子供たちもそれが分かっているから嫌がらずにお世話できたのでしょう。県内にいる義妹は二か月に一度、二泊して介護してくれました。自分も姑を抱える身、それが精いっぱいだったと思う。義妹は一時、二人の介護をしていたことも。

子育てはどの子もよく似ているし、どんなに手がかがっても6年もすれば小学校へ上がる。しかし介護は千差万別、しなくて済む人から、複数を長年にわたりする人まで。

私のささやかな体験から、介護している人には「頑張って」とか「自分の親だから見てあげてね」と言うよりも、「そうなの」と、相槌うつくらいで黙って話聞くだけの方が励ましになると言うことに気が付きました。近くでそんな人がいたらぜひそうしたいと思います。

人は認知症になった時に、元々の自分が顕れるのではないでしょれうか。うちの姑様は、嫁にとっては楽な人で、感謝しています。

今思い出すエピソードいくつか。

銀行へついて行くと、二百万おろすと言われて焦ったこと。多くないですかと言うと、じゃ百万って。夫に電話したら好きにさせろと言うので、払い出し表と通帳窓口に出したら、窓口の人、顔色替えて、一番奥の一番偉い人に相談、余分に書類いろいろ書いて、やっとお金貰った。

姑様の第一声。

こんなにおろすつもりなかった。10万くらいのつもりだったって_| ̄|○

歯医者にお供した時にも財布の中に万円札、ぎっしり入っていたことも。まだまだ歩けて、普通に話していた時です。

私の胸に腫瘍が見つかった(生検での結果は良性。この時は結果待ちの期間)と、夫がうっかり話して、姑様がすぐとんできて「寝てなくていいの」と心配してくれた。いやあ、ふつう、寝なくていいでしょう。

その時、裏の60坪が空き地になっているのに気が付いたので、「5,500万だがどうかと言われて。うちではとても買えないです」と言うと「えっ、5千円?」と言う反応。「5千円でなくて5,500万円です。5千円ならすぐかいます」「えっ、5千円?」

もう少し続けてもよかったのだけど、エンドレスなギャグになりそうでそこで終了。

こんなこと書くのは尊厳にかかわるのでしょうか。そうではなくて、どんな人でも年を取る。そのことを身をもって教えてくれたと思っています。

浣腸のことを書きましたが、私は立ち会ってないけど、そのお世話は楽で、逆が困るのです。介護された方なら、皆さん経験済みでしょう。

気持ち悪いので、見られると恥ずかしいので、自分で何とかしよう、と思うのでしょうか。結果は悲惨なことに。本人の体や、周りのありとあらゆるところに汚れが付き、後始末、夫と二人で25時・・・26時だったかな?くらいまでかかったことも。

同じく実母を引き取ってお世話した人は「もう、殺そうと思った」と正直に話してくれました。それは私が似た体験したと知ったから。そうでないと話してもらえなかったと思います。

ケアする人のケアの大切さが最近言われるようになりました。介護する人も疲れて追い込まれている。その人への心配りが大切だと。

でも実際に体験した人でないとその大変さはわかりません。遠くの親を自分のきょうだいやその連れ合いに世話してもらっている人は、是非、そのことを忘れないでいただきたいのです。

宵の口に寝てしまってので、未明から書き始めました。静かで、ゆっくり振り返ることができたと思います。

介護はするしないはほとんど運命、してもらう、してもらわずにこの世と別れるも運命。何事も逃れられないのが運命ならば、その中でより良い方法を探し、人の助けも大いに借りて乗り切って行くこと。それしかないように思います。

私ですか?

姑様のお世話の只中にいるときは閉塞感でいっぱいでしたが、今振り返ると無駄な体験ではなかったと思えるようになりました。自分の老後の参考にもなりました。

そして命の圧倒的な存在感です。自分で何もできなくなった人間は不要と簡単に片づけられるほど、人の命はやわではありません。その人の人生が凝縮した最晩年は、人それぞれの多様性、食べて排泄するだけでも生きている命の強さ、そしてどんな姿になっても生きていてくれることで力づけられ、支えられる家族がいる限り、その人の命は尊くてかけがえのないもの、私はそのことに気が付きました。

いくら何でももうそろそろ寝ないと・・・皆様、おやすみなさい。

梅ケ枝餅。自作しました。2016年9月。

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夏にはどう眠るか、それが問題。

2020-08-27 | 随想

午前4時前、あまりに寒くて目が醒めた。

窓、3つ空けて、扇風機はタイマー設定にしてなくて、ずっと回っていた。

宵の口、暑くてワンピース一枚で何もかけずに寝てしまい、気温にしたらそれから2度も下がってないはずだけど、その変化にこの体がついて行かない。

浴衣着て、布団かぶってしばらく横になっていたけど、眠れないので起きて、1時間くらいネットと読書。5時過ぎるとさすがに少し明るくなるので、静かに庭の木や草を少し刈込み、庭掃除もして、裏口は砂利を一袋バラまいた。

何か所かの猫除けの網、夫のつけ方では猫が簡単に出入りするので、網をやっとこで切り、尖った先をたくさん出して改造してみた。

猫は玄関からよりも、裏と横のブロック塀の上を歩くのを好む。そしてひょいと飛び降りて糞して去っていく。ああ、悔しい。

地域猫活動ですか…人さまが何しようと止められませんが、エサやった猫の糞、すべて回収してこその活動ではないでしょうか。猫が格別好きでもない私のようなものに、糞の始末は全部お任せではいけませんね。

今朝はあまりに早く起きすぎて、午前中から寝る。

乾燥して風がよく通って、熟睡した。

本当は今日から機織りの予定だったけど、夕方孫が来るので、しばしの休息。多分今日はしない予定。

エネルギーの塊の二人、相手するだけで、エネルギー、すべて使い果たしそうで、今から休んで夕方に備えます。

そのほか、今朝は姑様の古い蚊帳、洗った。裾の藍染布が欲しくて。何にするかは未定。麻の方も何かにすればいいんだけど、また考えます。

義妹に二年間くらい、数度にわたり、要るもの持って帰ってと言うも、本と服少し持って帰っただけ。着物たくさんはないけど、古いのは裂き織りしますかね。

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夏長けて秋未だ遠し

2020-08-26 | 随想

高齢者は適宜冷房つけて・・・と言われるけど、とうとう今年の夏も就寝中、冷房なしで済ませた。寝るときに開ける窓は三つ。タイマー付けた扇風機で風を通す。

同居人はどうしているのかな・・・只今、家庭内distance励行中。二階の一番向こうの部屋で寝ている。

多分閉め切って、一晩中エアコンつけて、冷え冷えとしていることでしょう。

私が部屋を開けて寝られるのは、家の中に男という名の人が、一人いるから。その安心感。感謝しているけど、将来一人になったら、要所要所の窓は格子を付けて、夏はやはり開け放して寝たいもの。

気が付けば、しみじみと昔人間になっている。

夏休みの終わりのころだったかな、祖父が私と弟をお寺の法座に連れて行ってくれた。途中の大きなムクノキの下で、祖父が弟に自転車の練習させたら乗れるようになったから、その時は子供用自転車は私が乗って、弟は荷台に乗って行ったのかも。

夏には夏のあれこれを思い出す。

はるばると来ぬる我が人生かな。

出かけないので室内をば。

わっ、写真大きすぎた。

最近、日差しが斜めになって部屋が暑いので、ブラインドを下ろし、あれこれ置いて目隠し。

家の前の道に出てみる。庭木もあるけど、こうしていると何となく安心。

近所の甘味処「梅丸」さんの・・・何だったかな、抹茶アイス。

これは昨年、今年はまだ行けてない。

京都御所西隣、虎屋のかき氷、おいしかった。

自分の画像探しけたけど、Niftyのホームページのサービス終了で消滅。残念。

こんな感じでした。

https://macaro-ni.jp/62543

またいつか行けるといいけど、京都の暑さに軟弱になったこの体がついて行けるかどうか。

幻のかき氷。絹のような氷。京都はかき氷だってみやび。高いのはみやび代。

虎屋は元は京都のお店で、明治天皇について東京へ行ったんですよね。御所横の店の庭には、16世紀に敵に追われた戦国武将をかくまったという蔵が。

もちろん修復しているはずだけど、確かに蔵がありましたね。

京都と言えばこの人、

大学自動車部の昔のホームページ、まだウェブ上に残っていたので、顔加工してないのと二つ、画像フォルダに入れた。

何しているかと言えば、大学対抗のレースで、道路わきに事故車がいると見せかけて、他大学の注意をそらし、味方チームの勝利に側面から貢献する・・・

筈が、誰もそんな小細工には目もくれず、唯一、同じサークルの後輩たちに受けまくり、笑いを取り、結果として全く反対の効果しかなかった模様。

いったいなんやねん?

ごく小さい時から、面白いことするのが大好き。学部四年間は落研も掛け持ちで忙しかった模様。

自動車の整備全般自分でするし、人のまでするし、兄の結婚式では南京玉すだれで皆さんに喜んでいただいたし、あとは子供ができると言うことないんだけど。まあ何もかも望むのは欲張りと言うもの。と私を慰める。

お正月はお嫁ちゃんが風邪で来なかったので、もう一年会ってない。ラインは時々あるけれど。

かき氷の写真探していて発見。

2015年6月、フランス南西部、ガヴァルニー圏谷。

雪を頂くあの山の向こうはスペイン。こちらも巡礼路だったかな。そんな説明だった。

雪を見て少し涼しくなりたいもの。

友達が、私の電動糸巻き機見て、使い方、いる道具など教えてほしいと言うので、涼しくなったら来てもらう。

その前に整経台の改造。

初め、ビニールパイプをカットして、ミシンのボビン糸まくところに割りばしと布巻いてパイプを固定して糸巻いていた。涙ぐましい工夫。

糸立てるところはパイプに合わせた太さ。

今は東京手織りの糸枠と大管に巻いているので、作り替える予定。

夫に頼むのは糸立ての棒をカットして、ステンの細いパイプを整経台の幅にカットしてもらうこと。機織りしない人に説明してもなかなか通じないので、今朝はよけい暑くなる。

改善後は、8本の糸で整経するので時間は半分になるはず。それで友達に見てもらいます。

いずれにせよ、夏が終わるまで全部お預け。陽水の「夕立」ですね。

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我が地区も高齢化

2020-08-25 | 随想

今の家に越してきたのはまだ20代、長男1歳、次男0歳のころ。

我が家の建つ土地は、元は倉庫で、敷地の真ん中に私道を通し、10数個の分譲地として売り出されたその中の一つ。私たちが結婚するまだ前に、舅様が隣接する区画を買っていたもの。

住み始めたのはまだ20代、近所の人たちよりも若かった私。近所付き合いも難しかったけど、40年以上が経ち、最近ではあまり歳の差も気にならなくなった。

他に家を建てて出て行った人もいれば、ずっと住み続けている人もいる。うちの子供たちが小さい頃は外で遊ぶ声が賑やかだったけど、今は子供は皆無。ご主人が亡くなり、一人暮らしの人も増え、しみじみと地区全体で高齢化したなと思う。

我が家のお向かいは一戸建てに一人暮らし。軽く認知症になっているように見えるけれど、週に一度、息子さん夫婦が食料などを運び込み、その時多分ごみも持ち帰るのだと思うけど、一人で頑張っておられる。もう数年以上、挨拶以上の話をする機会がない。

それでも息子さんのところへは行きたくないのでしょう。施設も嫌なんでしょう。介護保険も全然利用してないようだし、老後の迎え方、自分であまり窮屈に考えるのもどうかなと思うけれど、ご本人はそれが快適なんでしょう。

って一人一人紹介していたら、長くなる。人がそれぞれ個性的なように年寄だってみな個性的。年寄りとひとくくりにされる性格も生活様式もない。つて、気づくのはその当たり前のこと。


去年、地区の女性の親睦会に誘われ、参加している。私以外はみな一人暮らし。準備は85歳の方、手押し車で荷物運んだりされていたので、若手の私が来月から代わってお世話することになった。

結局はこうなっていくのかにとしみじみとした感慨がある。

こじれて気まずくなるのが面倒で、今まで、近所づきあい以上の話をしてこなかった人たち。若いころは遠くへ出かけて、文学がどうのこうのと言い合える仲間を探し、文学がどうのこうのと話していた私。

あの熱情あふるる時代を通り越して、いろんなことがあって今の私がある。まだ体は動くので、ここらで一つ、何か人のお世話をするのも悪くはないと、来月から頑張ります。

しかし、今の女性は年取ってからも元気。一人暮らしで子供たちに遠慮することもないし、昔話もあまりしない。あまり昔だと憶えてないのかな。

生きてたら、自分の10年後の姿、見たくもあり、見たくもなし。

コロナまでは食事会だったけど、お茶会になったのでやれやれ。毎回、スーパーのお惣菜でちょっと寂しかったので。さて、何を準備しましょうか。

話題は持病と病院の話が多いかな。私は検診以外は医療機関へ行かないので、よそさまの噂もなるほどと聞いている。

まあ、人生何一つ無駄なことはない。というか、無駄にするしないは、自分の心持ち次第。

この人生、もう少し頑張りましょう。

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エアコンなしでどこまで頑張れる?

2020-08-20 | 随想

朝、暑くて目が覚めた。

ベッドから降り、畳の上に布団敷かずに直接横になると、窓からの風で案外涼しい。

涼しいと言ってもこの程度。

けど、畳の肌触りが気持ちいい。熱帯、温帯にかかわらず、モンスーン地帯の住民は草で編んだ床材に住むのが基本。ご先祖からの知恵を忘れていました。

玄関は六時前で29.5℃。+0.7℃。この差は小さいようで大きい。

台所。

煮炊きするので最近は台所が暑い。

湿度か低いのがせめてものことかな?


昨日は孫が27度くらいに設定して、とても寒く気分が悪かった。

気分が悪いので横になっていたら、おばあちゃん、お医者さんごっっこしようと誘われる。

ギクッ!!

私は患者。何されるのかと思ったらビンゴの景品のお菓子を、熱のお薬、便秘のお薬と次々口に持ってくる。食べないと許してもらえない。

**クン、おおきくなったらお医者さんになるの?と聞いたら、ならなーーーいそうです。じゃ、まだ志望は雑誌の付録作る人なんだね。

昨日も工作ブックで作ったたくさんの鳥を見せられて、全然名前の言えないばあちゃんでした。

女の子の方は、しっかり勉強していい人と結婚するのよ、お父さんもお母さんも勉強頑張ったのよと言ったらきょとんとしていたけど、結婚式、おばあちゃんも呼んでねと頼んだら「生きてたらねぇーー」と軽くあしらわれた。

いゃあ、生きていますとも。でも早く結婚しなさいよと念押しする私。

息子の結婚式では泣かなかったけど、孫ならなくかも。

話を室温に戻すと、一人ならエアコンなしで大丈夫だけど、一度エアコンに長時間当たると、エアコンない部屋でとても体調悪くなる。体が熱いのに汗が出ない気持ち悪さ。。。。

涼しくなるのが待たれます。

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夏の音

2020-08-17 | 随想

広島港から、似島と向こうは宮島 2018年8月。

昨夜のリモート帰省で、三男が、次男のマンションから海が見えるのかと次男に聞いていた。

見えますねえ。似島もよく見える。私が住みたい。。。。


昨日、押し入れ明けて布団出してみたら、ちょっと微妙な匂いが。

考えてみたら、最近は長男一家が泊まることもなく、布団の管理がおろそかになっていた。

昨日はそのまま干したけど、まだ少し匂いがするので、今朝からカバー外して次々洗っている。

布団も毎日、匂いが抜けるまで干すつもり。丸洗いすればいいんだけど、今の敷布団はマットレスみたいで大型の洗濯機にも入らない。使い捨て前提なのかな。

最近は通気性のいい、繊維質が全然ない合成樹脂、海綿状の敷布団があり、中身も家庭で丸洗いできるのもあるそうです。

しかしまあ、とりあえずは今の布団で。暑いので諸事秋まで延期。


今は家の中と回り、とても静か。

夏、窓を開け放して気になるのは生活音。お互い様なので、目くじら立てる必要はないのだけど、朝6時前、夜は10時過ぎても吠える犬の声、それにかぶさる飼い主の叱声。

ワン、こりゃ、ワン、こりゃ、ワン、こりゃとしばらく続くので、あんたの方がうるさいでしょと思わず心の中で突っ込んでいる私。吉本の何かのネタにしてもらえない?

まあ、連日でないから救われる。この二、三日は静か。

飼い主はピアノも弾かれる。趣味で素人。一年に一曲仕上げると以前話していた。夏は開け放して弾く。うるさくてすみませんと一度挨拶があったので、気にはならない。一言で気分が違うものです。私もこまめにあいさつしたいと思います。

犬と言えば、かなり遠くのお宅だけど、甲高い声で啼き始めたら30分くらい止まらない犬がいる。こちらは一週間か十日に一度、一日何度も火が着いたように啼く。虐待されているのかと気になるけど、どこの家かわからない。

どうしたんでしょうね。あのワンちゃん。それとも犬がそんなに啼くのは普通の範囲なのでしょうか。

冬の夜の犬の遠吠え、寒空に響き渡る寂しそうな声は風情があって好きですけど。

何をそんなに悲しいの、あんたも大変かもしれないけど、みんな少しずつ大変な思いを抱えて生きているんだよ、としみじみとする。


隣は7階建ての賃貸マンション。一階が店舗と駐輪場。夏は駐輪場のこちら側の窓を開けるので、低い天井に反響しながら遠くの音が聞こえてくるのもなんか夏らしい。

境はもともととても高いブロック塀でしたが、二年前、裏のマンション建設の時のいろいろな不都合の工事に合わせて、とても低くしてもらいました。

それで風通しもよくなり、音も響くけれど、高い塀よりはまし。

私は田舎育ちなので、窮屈な空間が本当に窮屈なのです。


夫は夏は野球中継見るので、その時は逃げている。しかし、今年は応援の音が全然ないのでまあ大丈夫。

姑様は今の私くらいの年から次第に耳が遠くなり、テレビの音で、夏、隣のマンションから苦情が来たことも。つけたまま寝てしまい、一晩中テレビの音がしていたこともあったらしい。まじめな姑様は、お詫びに何か品物持って行ったらしい。こういうところは、不出来な老嫁も見習わないとね。

夫もテレビの音は大きめ。私は聞きたくない大きな音が嫌いで、耐えられないときにはテレビの音を勝手に絞る。夫は黙ってテレビ消してどこかへ行く。。。。老夫婦の寒々とした光景。夏には心も冷え冷え。少しは涼しくなるといいんだけど。

見たくないものは目をつぶればいいけれど、音は耳塞いでも聞こえてくる。聞くときの気分は音を出す相手との人間関係に左右されるので、私も人さまの迷惑にならないよう、ミシン掛けは昼間とか、いろいろ気を付けたいと思います。

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夏が逝く・・・のかな

2020-08-16 | 随想

2018年8月、下呂温泉の湯之島館で見たシチダンカ。八重咲のヤマアジサイ。

植えたのか、自然に生えているのか・・・多分自生と思います。


窓開けて扇風機かけたまま寝ていたら、朝方、寒くて目が覚めた。

夜も暑くて眠れないのは、我が家の場合、いえ私の場合ほんの数日。

あとは何とか過ごしていく。

窓は開けて、外からは見えないようそれなりの工夫して、部屋のエアコンは、腰いためた夫が同じ部屋のベッドで寝ていた時はつけてたけど、最近はとんとつけない。

立秋とはよく言ったもので、明け方の肌寒さに秋が少し近づいたのかなと思う。日暮れが早くなり、日射しが少しだけ掃き出し窓の下に入り込む。これはものすごく暑いので、いろいろ工夫して入らないように。

自分に適当な風、室温、でくつろいでいると、仕事場兼実家にいた夫が帰ってきて、窓閉めまくってエアコンつけまくって、ついでに扇風機も回しまくって寒い。

あちらは暑いので気の毒とは思うけど、私は寒い。寒さに何とかなれると、今度は別の部屋へ行くととても暑い。温度差が老体にはストレス。これ、毎夏の繰り返し。

最近では夫が帰ってくる前にエアコン入れて、私は別室に。暑い時はイライラすると余計暑い。


今年のお盆はとても地味。

昨日、愛知県、輸送機械系某会社勤務の三男にラインしたら、会社にもかつてお世話になった独身寮でも感染者が出て、五月の連休明けからずっと在宅勤務とのこと。子供がいないし、お嫁ちゃんは仕事があるのではかどるとは思うけど、さすがに大変では・・・

いつも孫中心でほかの息子たちとゆっくり話せないので、今年は三男夫婦も帰省しないし、思い切って日を替えて、きょうは次男が来ることになっている。歩いて10分以内のマンションを春に買って、一人暮らし。みんなで引っ越し祝いしようと言ううちにコロナがはやり、延び延びに。

いつかできるといいけれど、いつになることやら。

三男は子供がいないので、車が子供がわり。今年になって、どうやら、某イタリア車(中古?)を買ったらしい。なぜわかるかって、ラインの画面がそうなってたから。ごく小さいころから車好き、大学時代はめちゃなこともたくさん。本人は黙っているけど、心配性の母はネット見たもん。

http://rmckuac.nobody.jp/photo.html

次男が来たら、ラインのテレビ電話みたいなのやってみたいけど、我が家は電波が悪くて時々しかつながらない。どうなるでしょうか。。。

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エアコン、つける?つけない?

2020-08-14 | 随想

午前中に、もう30度超した。毎日暑いですね。

皆様は冷房つけておられますか。

冷房を適切につけて、特に高齢者は熱中症に気を付けないといけないらしい。

高齢者は冷房が嫌いで、暑さ、寒さも感じにくく、脱水起こしても気が付かないのだとか。

はい、冷房の嫌いな高齢者とはこの私のことであります。

我が家は途中二度ほどリフォームしたけれど、築40年以上のごく普通の昭和の木造住宅。

我が実家は水田地帯にあり、夏はどこもかしこも開け放して風を通し、涼しい座敷で昼は昼寝、夜はもちろん寝るで、子供のころは暑くて耐えられないということはなかったと思う。

まあ、日常的に暑い、寒いと言う子供はあまりいませんが。

PhotoAC様より。実家はこんな家でした。

で、今の家ですが、第一回目の増改築の時、なるだけ向かい合って窓を付けて風通しを良くすることに気を付けてみました。

これだけで家の涼しさはだいぶ違うように思います。

朝起きて全部の窓開けて掃除する(ほんとは掃除のあと開けるのがいいらしいけど)

私は掃除や片づけは下手ですが好きで、すっきりした部屋にいるのも好きです。

夏は風の通り道にものを置かないようにして、掃除のあとで一休みすると、しみじみと夏の幸せを感じます。

着ているのは木綿の襟なし、袖なしのワンピース一枚。体につかず、服の中にも風が通る。

外の風の気配、陽の移ろい、葉擦れの音、静かに耳を傾けていると、隣のビルの向こうの路面電車の音が聞こえてきて、時間が過ぎていくのをぼんやりと楽しんでいる。

暑いからを理由に、出かけず、人に会わず、ややこしいことは全部先送りして、この夏の一部に自分もなる・・・


同居人は暑がりです。登山シャツに夏用綿のズボンで過ごしているけれど、ワンピースよりは絶対暑いはず。

男物Lサイズのワンピース縫ってあげたいけど、要らんそうです。

アラブの男性の民族衣装、きっと涼しいことでしょう。あんな感じだといいのかな。

暑いので家にいるときはエアコンつけまくる。そこでもめる。風通しのいい実家の話を持ち出すと不機嫌。

夫実家、ビル。窓は開けないのが前提。網戸もない。居住部分だけは舅様が工作して網戸つけていたけど、コンクリートは昼間熱をためて、夜放つそうで、24時間、窓は開けずにエアコンつけ続けていた。

その生活習慣にもなじめなかった。

今の家、エアコンつけるときは、私は寒いので逃げている。扇風機もつける。私は扇風機の風も寒くて咳が出る。それで普段から何かと揉める老夫婦、夏はもめごとの種も一つ増えるわけで。

水曜日、孫が24度に設定して、とても寒く、体調悪かった。

夏はなるだけ人と過ごさず、風の通る部屋でじっとしている。これが理想でしょうか。

八月前半遊んだし、墓参りも済ませたので、お盆は家にいます。

布団と着物の点検など、無理しない程度に頑張ります。

いいなあ、誰も来ないお盆休み。

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日航機事故で亡くなった友をしのぶ

2020-08-12 | 随想

兵庫県豊岡に咲くヤマユリ。先月。


8/12は日航ジャンボ機が墜落し、520名もの方々が犠牲になった日。事故後連日、いたましい報道が続いたのを記憶している。

その時私はどうしていたかと言えば、九州を家族で旅行中で、雲仙の宿に宿泊。夜、息子たちと夜行性の虫を探して宿に帰ると、ロビーのテレビの前に人が集まって、皆さん黙って画面を見ていた。

すぐ隣が、そびえるようなリゾートホテル、私たちの宿泊は庶民御用達の小さな宿。そこらあたりまでは憶えている。

雲仙の地獄で次男が鼻をつまみ、三男は、コアラのぬいぐるみ抱えてお父さんに抱かれている。もう2歳半だったのに。その写真もある。

いえ、私のことはどうでもよろしい。

その事故で、大学で一緒に勉強したSERA君がなくなったと、秋の初めだったか、友達から情報がまわってきた。高校の教師をしていて、夏休み、東北地方への修学旅行の下見に行った帰りだったと言う。

神戸出身、面白い人だった。三年生になると、教育学部と文学部の同じ専攻の学生は一緒の講義を受けることが多かった。あちらは文学部に日本史を学びに来て、私たちは教育学などを習いに行き、総勢20人余りはたちまちに仲良しになって、よく一緒に遊んだ。

研修旅行で、福井、富山、岐阜、長野、最後は東京と大旅行したのも今思い出した。東大文学部の史料編纂所にも行ったんだったかな。これは教官に院生、下の学年も一緒で、いろいろ楽しい体験もした。

最後のコンパの後、記憶もあいまいだけど、誰かの下宿に全員で移動、夜が明けるまで延々話し続けたのを憶えている。女子は1/3くらい、残りは男子。あの時の個性的な面々、今は各地でいい人生を送っていると思いますが、もう一人、病気になったADACHIくんと二人は早々にあちらに行ってしまって、残念です。

生きているのは当たり前のことではない。今日一日、感謝しつつ、真面目にするべきことをこなし、周りに喜んでもらえる私でいたい。今朝は殊勝にそんなこと考えた。涼しいうちに用事は片付けて、孫の来襲に備える。頑張ります。

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別荘よりもリゾートホテルよりも田舎の家

2020-08-10 | 随想

軽井沢高原文学館。2006年。有島武郎の別荘を移築。テラスでお茶します。


夏になると、涼しいところに長期滞在してのんびりしたいなあと、昔から思っていました。

30年くらい前、たまたま、県北、吾妻山の貸別荘に一泊したことがありますが、理想と現実は大違い、全然くつろげませんでした。

借りたのは高床式のログハウス、リビングや台所、部屋は二つ、家族5人で宿泊しましたが、食事作って風呂沸かして、慣れない道具で四苦八苦、家にいるより忙しかった。

何より当てが外れたのは、とても暑かったこと。エアコンはなし。でも窓が少なくて風通しが悪く、昼間の熱気が抜けずに蒸し暑かった。

でもまあ初めての体験だし、高校野球見る長男を残して、みんなで吾妻山登山。三男はパジャマズボンにスリッパで、お父さんにおんぶされて。親も若く、子は幼い。


追分、堀辰雄の別荘。玄関横の折り畳み式テーブル。ちょっと物置くのに便利そう。


10年くらい前、夫の元上司だった人が東京へ移住、その後那須の別荘に招待されたことがあった。

こちらは貸別荘よりずっと広く、備品もきちんとあってよかったのですが、管理がとても大変そうで、好きでないと維持できないなあと感じた。よそのお宅のことはわからないけど、息子たちももう全員成人し、結婚した子もいたので、うちの息子たちに限って、親の遊びに付き合ってくれるとも思えず、結局は見果てぬ夢に。

これからは田舎の辺鄙なところではなく、JR駅に近いところか、または街中の眺めのいいマンションならいいかなと漠然と思っていて、この春先、たまたま近所の中古マンションが売りに出たけれど、先約があり買いそびれた。

友人にはものすごく反対されて、考えてみたらもう要らないものを持つのはやめておいた方がよさそう。

自分は何にくつろぐのかなあ。どこがいいのかなあと考えていたけど、先日泊った各部屋が一戸建てになっている山の中の宿が、まあ別荘よりはいいかなと思っている。

そう、あれは我が家の別荘で、行っても家事全般やってもらえる。無理やりね、そう思おう。お金出して不動産買うよりずっと安上がり。

数年前、友達に誘われて、そのまた知り合いが会員になっている会員制のリゾートホテルにビジターとして宿泊したことがある。

豪華な室内に家具・・・でも私はそのホテルが建つ水田地帯の農家の家に泊まりたいなあと、そちらの方がうんとくつろぐと感じていた。

結局、人は子供のころ、大人に大事にされてのびのびと遊んでいた環境が一番落ち着くのかなと思う。私にすれば、涼しい風が吹き渡る座敷のある家。それから夏休みに行った、母の実家の山の家。

その家は木がいっぱいで、涼しくて、今でも夏は特に木の下にいると生き返った気がする。家畜がいろいろいて、見るのが楽しかった。子供たちだけで、また別の親戚に行って泊り、朝は地元のラジオ体操に参加する。どこまで行っても山、また山。その間に点在する集落いろいろ。

夫は先日の墓掃行ったとき、夏休みに遊んだ親戚の庭が懐かしそうだった。一瞬にして小学生に戻った気分だったかも。

一年一年、幸せな夏の気分を思い出して、しみじみと味わっているのも自分が年取ったから?

お金では買えない大切な思い出、気分、どなたにもあると思う。それを持っていることがありがたいと思う。

追分。油屋旅館。文学者が定宿にし、揮毫もたくさん残っていた。2006年。

今は宿は廃業。

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