最近の若い方たちは、便せんや葉書きによる手紙のやり取りはめったにしないのでしょう。
通信機器で、気軽に速やかにコミュニケーションが取れる世の中です。
そういう私も同様。
親しい人や家族には、メールや電話で連絡しますが。
携帯メールは大の苦手です。
でもそれがふさわしくない場合も、多々ありますね。
そのような時は、久し振りの便せんや葉書きの出番です。
文箱から、書きたいと思っている文面やお相手の人柄に合った絵柄の便せんや葉書きを選んだり。
切手も、いろいろ迷います。
母はとても筆まめで、達筆な人でした。
文箱は両親の遺品です。
そして手紙を綴るわけですが、初めから終わりまでの行程は結構大変。
私は、時間がかかります。
ですから書き終わると、大仕事を終えたような気持ちに。
何だか、とてもほっとします。
このような感じですから、手紙を書くのが得意とは、とても言えない私。
ところが最近は、お手紙を認めなければならない人が多くて、気になって仕方がありません。
五通のうちの二通をやっと書き上げました。
一通は昨年の春に奥様を亡くされた、夫が勤めていた会社の取引先の方。
私はお目にかかったことは一度もないのですが、夫が亡くなった後も、季節の挨拶状には、必ず温かな励ましの言葉を添えてくださいます。
夫が病床中にも、この方のお気遣いの温かさに感動したものでした。
ですから、何かささやかでも、お慰めしたいと思った私です。
それで、供花とともにお悔やみのお手紙を、遅ればせながら認めることに。
お会いしたことが一度もない方ですから、綴るのも緊張して、時間がかかりました。
お花の手配はもう済ませ、今日はその手紙を投函します。
もう一通は私の従兄弟で、私より一回り年上のSさんへのお手紙です。
がんを患い、膀胱を摘出する手術を受けられたと、年賀状に一言添え書きされていました。
私はびっくりし、とても心が痛みました。
夫と婚約時代、東京でデートをする時は、Sさんが居る伯母さまのお宅にいつも泊めていただいたものです。
田中角栄や徳川家の住まいが近くにある目白の閑静な高級住宅地の一角に、お宅がありました。
そのころ、Sさんは、学習院を卒業されて会社員に。
婚約中でした。
理想的な体形、言葉遣いもソフト、お人柄も優しく温かで、非の打ち所がない青年だったSさんです。
まさに私の理想の男性像。
憧れの人でした。
手紙の用途やお相手の人柄に合わせて、便せんやはがき。切手を私は選びます。
目上の方には、真っ白な便せんを使用することが多いですが。
可愛い絵葉書は、本の栞としてもよく使用します。
ですから、ショックは、相当なもの。
お見舞いのお手紙と共に千疋屋の果物、お花を妹との連名でお届けすることに。
妹もすぐ同意してくれ、お手紙は私が認めました。
夫の知人と違い、緊張することもなく、この手紙はすらすら綴れた私です。。
まだあと、三通、書かなければ、と心にかかってならない手紙があります。
二通は、お悔やみですが。
もう一通の手紙は、なんと最近届いた年賀状。
昨日のことです。
余りに微笑ましいことが書かれていて、思わずにっこり。
高齢になると、だれもがおかしそうな、医学博士、N先生の失敗を、次回ではお話しさせていただきます。
年賀状へ寄せる私の思いとともに。
2月8日から記述
追記
Sさんは私より一回り年上なのに、とんでもなく時系列が間違った記述がありました。
妹に指摘され訂正しました。
お気づきの方、いらっしゃいましたか?
恥ずかしいです。
ごめんなさい。
ご訪問、有難うございました。
ありがとうございました。
花のように泉のように