今日もマイホーム建築の想い出を、違った視点からお話しさせていただきます。
その当時、私は40代の前半。
世間知らずの専業主婦。
それなのに、夫はすべて私任せ。
一切、この事に関わろうとしませんでした。
マイホーム建築だけでなく、育児も一切合切すべて私任せ。
それでいて文句は一言も言わない人でした。
夫は雨露凌げればどんな家でもいい。
もともとはマンション志向の強い人でしたから、家へのこだわりは全くなくて・・・。
君の好きなように建てればいい。
そんなことは口には出しませんでしたけれどね。
金銭的なこともすべて私に任せてくれました。
ですから、私が何もかもすべて決め、夫は本契約の印鑑を押しただけです。
ロサンゼルスから帰国し、割と早く土地を購入。
この時も幸運としかいいようのない不動産との出合いがありましたが、この説明は省きます。
家の建築に実際に取り掛かり始めたのは、その二年半後。
その間に長女と次女の中学受験がありました。
しかし後で振り返ると、帰国から娘の中学受験が終わるまでの家建築のために与えられた猶予が、どんなに貴重なものであったか。
私は受験が終わるまでは、家の建築には取り掛からない、と堅く決心していました。
娘たちの受験がなければ、どうだったでしょう。
恐らく余り時間をかけず施工会社を決め、さっさと家を建てたのではないかと思います。
振り変えるだけで恐ろしい。
まるで違う家になっていたでしょうから。
ここで私からのおこがましいですが、またご提案。
1千万単位の高額な経費が掛かる家建築には青写真完成までに、少なくとも数年はかけたほうがいいということです。
何故なら人の気持ちは移ろいやすいもの。
自分が描く理想の家は、そう簡単には決められません。
日ごとに、イメージは変わっていきます。
私も最初は、住宅会社に頼り切っていたところがかなりありました。
営業マンは、さほど時間をかけないで描いたであろう設計図を私に見せ、家の建築を迫ります。
それはそれは熱心に。
その間も他社の営業マンも、度々訪れ、我が家で施工してほしいと頼み込んできます。
私も、一生懸命イメージ作りに努め、私の希望を伝えました。
しかし常に迷いがあり、何と二社とも仮契約までしたのに解消してしまったのです。
どうしても納得は行かなかったからです。
その契約解消前後に、私が出会ったのが、今は会社が閉じられてありませんが、三井物産の子会社三井ハウスでした。
この会社の営業マンの対応が私にはとても理想的に思えたのです。
何故理想的に思えたかについては次回の記事でお話しさせていただきますね。
追記
今、こんな暢気な記事を綴ると、顰蹙をかってしまうのでは・・・。
そんな心配をしたくなる程に、社会の様相が只事でなくなってきています。
コロナの感染拡大、九州や中部地方の目も当てられないような水害の報告。
私はそのせいか体調も今一つ。
もう高齢者ゆえ、それに免じて現実逃避。
穏やかな気持ちで淡々と暮らすしかありません。
暢気な記事でごめんなさい。
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