美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

偽書物の話(十五)

2012年07月28日 | 偽書物の話

   「どういう人間がこんな本をつくるんでしょうかね。」
   本を閉じると、私は裏をひっくり返してみた。裏にはなにもない。
   「さあ、どんな人なんでしょう。そのとき、奥さんの話では、ご主人が若い頃からとても大切にしていた本だというだけで。どこで、いつ手に入れたものやら、一向分かりません。こういった類のことがらに通じている人もいるんでしょうから、見てもらって何が書いてあるんだか教えてもらいたいくらいですけど。」
   そのとき、背中にがたりとガラス戸を引く音が聞こえ、ふり返った私の眼に一人の男の姿が映った。男は五十年配、長く伸ばした髪の毛はほとんど白くなっている。暗い光を集めた瞳は、自分の内部にしか焦点を結んでいないかのようだった。男の体の周りからは、湿っぽい陽炎じみたものがたち昇り、なにやら、人生から借りられるだけ借りをつくってしまった後の絶頂感みたいなもの、空に放り上げられてこれから一気に落下しようとする間際の頂点にある停滞感を思わせた。その気になり次第、今まで試したことのない狂妄をいともたやすく実現してみせるのだがといった、どこか隠花的な余裕をただよわせていた。

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