情熱の中で最も抽象的で、抑へ難く且つ破壊し難いものは、狂信、即ち観念的情熱である。この情熱は、如何なる誘惑からも毒されない偉大な禁欲主義者を作る。この情熱は、霊魂を鍛えて、これに殆ど超自然的な力を与へる。緩慢ではあるが、消すことの出来ない狂信的熱火の前に出ると、他の情熱の瞬間的な火花など、真赤に焼けた金属の前に出た燃ゆる薬と同じである。現実と云ふものは、狂信家に対し一寸の間でも飽満は勿論、一時的満足すら与へることは出来ない。何故かと言へば、狂信家は到達し難い目的を追ひ、理論的理想を実現しようとするからである。狂信家が目的の到達し得べからざることや情熱の満たさるべからざることをより多く意識すればするだけ、それだけ一層情熱も激しくなる。実際、ロベスピヱールやカルヴィンなどのやうな観念的狂信家たちには、殆ど非人間的な戦慄せしめるやうな怖ろしい何ものかがある。彼等は、神のために火刑に処せられても、多くの罪なき人々の自由のために断頭台に上つても、かうして血を川と流しながらも、心の底では自分は人類のために善行をなす者である、偉大なる義人であると思つてゐる。人々の生命や苦悩なんか、彼等にとつて問題ではない。理論と論理的方程式―― これが彼等の全部である。彼等は丁度磨ぎすまされた鋼鉄の刃が、生きた肉体へ食ひ込んでゆくやうな執拗さと無感覚とで人類の中にその血腥い進路を切り拓いて行くのである。
(「文藝論」 メレジコーフスキイ 山内封介訳)