われを国より放逐せよ、われは詩人なれば、と荷風は恒に己に言ひきかせてゐる。これは歴史なく民族なき亡命的な世界主義者の言葉とは異るものである。深い過去を守る此の永生のいのちをもつ詩人の自負である。己一人の責任を以て尚ほ永生を守る決心であり自信である。国への訣別ではない、国への犇々たる熱愛である。「愛国」といふ言葉に盛りきれない、もしさういへば並々の国粋の口頭の語としかならない。さういふ時代である故に、その言葉をさへ使ひ難がつてゐるほどの、純粋な、偏奇なまでの国粋の徒の高く激した愛である。もし彼が本当に愛国の言葉を吐く時は雷の如くであらう。前にも引いたやうな「若し又さうでなかつたなら(註、国が汚醜の沼となつてゐるのでなかつたら)無かつたやうに、朽ちた祖先の遺骸から尽きない養分を仰いでゐる郷土の一木一草に向つても渾身満腔の愛情を」注ぐであらう。しかし哀しむべし、「今日の急務は唯だ熱情の奮激これ一ツぢやないでせうか。」国を愛するといふ言葉が、何か私利的な為めにするための手段として使はれて、素直に本当に真正の愛国心を表現させない頽廃した世に対して詩人の激越な戦ひを、荷風は如上の「詩人」の自負と決心とを以て述べてゐるのである。
(『永井荷風』 蓮田善明)