源「スルト其芸者がお酌に踊りを踊らせました」
主「成程」
源「所がその踊りの唄の文句で芸者が私を悪く云ひました」
主「ハアー、怪しからん奴だね。お客を悪くいふなんて、どんな事をいつたえ」
源「身儘気儘になられない、養子臭いぢやアないかいな、サツサ何でも宜わいなと私の事を養子と知つてると見えて斯う云つて悪口を云ひました。余まり癪に障つたから、何が養子臭いといつて私は突然御膳を引繰返してやりました。あゝ婿養子なればこそ斯んなに馬鹿にされるのだと思つたらつくづく嫌になりました」
主「アヽ一寸お待ち、夫やア悪口ぢやアない。お前の聞き違ひだ、養子臭いといつたんぢやアないよ」
源「ヘエヽ、何といつたんで」
主「夫はお前春雨といふ端唄で、春雨にしつぽりぬるゝ鶯鳥の、羽風に匂ふ梅が香の、花に戯むれしほらしや。小鳥でさへも一筋に、塒定むるきは一つ、わたしや黄鳥、ぬしは梅、やがて身まゝ気まゝになるならば、サヽ鶯宿梅ぢやないかいな、サツサ何でも宜いわいな、といふ唄なんだ」
源「成程、お上手でございますな」
主「褒めちやア可けない、養子臭いぢやアない鶯宿梅だよ」
源「ヘエー、鶯宿梅、養子臭い‥‥、成程然うでございますか」
主「勿論お前さんは今でこそ若旦那と云はれて芸者でも聘げて遊ぶやうになつたが、小僧の時分から、那アいふ堅い家で勤め上げた人だから、端唄だの都々逸なぞと然んな者は知らないのは無理はない。マア然う分つたら離縁も何もないだらう」
源「ヘエ、どうも恐入りました。シテ一体其の鶯宿梅といふのは何の事なんで」
主「私は実地は知らないが、人に聞いたには今でも京都の新京極の辺りに誠心院といふ古い寺がある。和泉式部といふ式部が尼になつた寺ださうだね。其の誠心院といふ寺の門前に軒端の梅といふのがある」
源「ヘエー」
主「之を元鶯宿梅といつたのだ」
源「夫は何ういふ訳で‥‥」
主「夫は、極大昔の事だね、確か天暦年中だと思つた」
源「ヘエヽ面白い年号があつたもんですね、流石、昔の京都だけに倹約年中なんてえのがあつたんですね。今ならば緊縮年中とも言ひませう」
主「倹約ぢやアない。天暦といふ年号だ。其の時分禁裏六門といふ所に清凉殿といふのがある、其の前に梅の木があつたが惜い事に夫が枯れた」
源「ヘエー」
主「時の帝悉く之をお歎き遊ばし、是れに似寄りの梅の木は無きやといふ仰せに諸方尋ねた上御付きの者より、山城西の京に寸分違はざる梅の木がござります。と申上げたので、直ぐに勅使が立つて、山城西の京へ其の梅の木を取りに御差立てになつた。スルト其の勅使をお受けに出たのが二八ばかりの娘だ」
源「ヘエー、二八の娘といふと幇間か何かの娘なんで」
主「然うぢやアない。二八といへば十六、二九が十八だから」
源「成程、三十が五六で、四十が五八」
主「マア然うだけれども、一々算盤に当るには及ばない。年は二八か二九からぬなどゝ一寸言葉の形容にいゝんだね」
源「ヘエー其の娘てえのは何者なんで‥‥」
主「之は紀貫之といふ名代の歌人の娘だ」
源「ヘエー」
主「此の娘が勅使受けをして、其の梅の木を御渡し申したので、之を山城の西の京から持ち帰つて禁裏六門清凉殿の前へお植ゑになつた所、帝悉くお欣び遊ばし、御覧に相成ると、其の梅の木に短冊が付いて居て、歌が書いてある」
源「ヘエー何と書いてありました」
主「勅なればいとも賢こし鶯の宿はと問はゞ如何答へんといふ歌だ」
源「ヘエー」
主「スルと帝が恐れ多くも、是を御覧遊ばされて、勅命を以て是れを取寄せしは宜しくない。返し遣はせといふ有難いお言葉が下つたので、忽ち梅の木は元の山城西の京へ御返しになつた」
源「ヘエー」
主「スルと其の晩鶯が来て梅の木へ宿つて啼いたといふね」
源「ヘエー不思議なものですね」
主「夫で鴬の宿の梅、之を鶯宿梅と称へたのだ」
源「成程」
主「其の鶯宿梅の由緒を端唄に作つたのが春雨だ」
源「ヘエー左様いふ訳でございますか。始めて伺ひました。ぢやア斯ういふ事を唄ふ者は皆な其の由緒を知つて居ませうか」
主「夫やア知つて唄ふものもあるだらうが、知らない者の方が多からうね」
(「名作落語集芝居音曲篇 『鶯宿梅 三遊亭圓生』」 名作落語集刊行會編)