美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

東京新聞と表裏異体

2019年08月14日 | 瓶詰の古本

 本日付け東京新聞夕刊の第5面に、『あいちトリエンナーレによせて』と題した記事が載っている。記事の内容としては、「現代のアート界におけるジェンダー不平等について、歴史的な視点から振り返」り、太字の見出しにある通り「アート界にも男女平等を」実現するなど、「歴史の中で創られてきた構造やシステム」を変える大きな一歩となるべく、「あいちトリエンナーレ」に願いを託す論述となっている。
 この記事のちょうど裏面に当たる第6面を開くと、そこには「「あいちトリエンナーレ2019」の企画展」が「中止となった問題で、トリエンナーレに参加している海外の作家九人が」「新たに自作の展示の中止を実行委員会に申し出」ており、企画展の「中止に対する抗議としての出品辞退は、計十二組となった」と報じる記事がある。
 同じ夕刊紙面において、「あいちトリエンナーレ」という文字(事柄)が紙背を共にしながら、『あいちトリエンナーレによせて』寄稿された文章には、そこで起きて現に報じられつつある事件について、一言半句の言及もない。媒体の表裏で呼応し合うかと5面から6面(あるいは6面から5面)へと新聞紙を捲った読者をして、「あいちトリエンナーレ」と「あいちトリエンナーレ2019」とは、似て非なる異種の催し物であると惑乱させる紙面構成になっている。しかして、ひょっとしたら両者は本当に相互無関係な別立ての行事であって、地元親新聞の県外読者ならではの粗忽な取り違いに過ぎないのかも知れない。そうであれば、鵺じみた表裏異体の新聞記事ではないから、どこ吹く風にあてられて不穏な別世界へ連れて行かれたような、妙な胸騒ぎを覚える必要はないことになる。

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