美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

幻影夢(23)

2018年08月24日 | 幻影夢

   なにが「断じて言わせないよ」だ。てっきり常習の逆上者に相違ない。何故この女は、外道な発想を一々大仰にまくし立て、触れ回りたがるのだろう。未だかつて感服したためしのないその口舌に耳朶をなぶられるという苦役は、あるいは天から課せられた試練でもあろうか。しかして、そもそも試練なるものは、克服する行為が有意義に作用する主体に賦与されものである。試練を背負わされるに値しない粗悪頓馬の品性であるのは、当の本人が最も切実に自覚している。案ずるに、高尚な遍歴修業の旅で出会う艱難ではなくて、単に虐待という日常茶飯な景象が起きているだけのことだ。誰あろうおれが現に味わいつつあるのは、普遍的、超越的な存在が個別的、偶有的な存在をいたぶるだけいたぶっているという戦慄であり、美質を誇示する女が虚像を狐疑する男(おれ)を懲らしめているという酸っぱい感傷ではないか。
   眼界に入る小暗い路の中程に五、六段の階段が設けられ、ここから上り坂は秘かに始まっているわけだ。延べの長さにして百歩を要しない通りは傲岸不遜にも駅前商店街を名乗っているが、荒物商、呉服店、煮売屋、周旋業、蕎麦屋、汁粉屋、青物商、建具物などの商舗を見ることはない。さて、小路のいよいよの外れ際に、ガラス戸を開けっ放しにした古本屋がある。もろにお誂えというか、目の毒というか、先生を訪ねる行き掛けの駄賃式に十が十、この狭い間口の古本屋へ嬉々として吸い寄せられるのが、後で述べるように何とも説明しにくい後ろめたさを生ぜしめるのである。

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