美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

幻影夢(21)

2018年05月10日 | 幻影夢

   まったく、なんと得手勝手な人間だろう。おれがこっそり隠し持つ衒学癖を遠慮会釈もなく曝しものにする無神経に、あらためて慄然とせざるを得ない。近頃幻影を見るのだ、なんてうっかり口走った日には、途方もないレッテルを喜々として貼りまくり、はらわたを抉りに抉るのが目に見えている。おれの心の深窓へ盲滅法に突貫し、赤裸々な魂の枯痩を発き出すまで手を緩めないだろう。情けない限りだが、おれ自身、幻影をうまく飼い馴らすことができないでいる。あの幻影は絶対に秘匿しておかなければならない。よそ目には金棒引きで空っ惚けた単細胞に映るこの女は、他人の幻想であろうとおのれの譫妄であろうと見境がない。凡そ人間心理の異状をむさぼり尽したい欲求に取り憑かれているのだ。
   気がつくと降りるべきは次の駅である。このまま知らんぷりして電車に乗り続ければ、無用の紛擾にかかずらわずに済むのだが、相手はそんなドジを踏む間抜けではない。早くも腰を浮かせて降り支度の体勢に入ったかと思うと、万力の鉤爪を容赦なくおれの左腕に噛ませてくる。手心を一切加えぬ怪力によって齎される痛みはひたすら痛いばかりであって、倒錯する快感の割り込むすきは毛筋もない。

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