美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

盛期の大江戸、百花爛漫の粧いに賑わう(邦枝完二)

2024年05月25日 | 瓶詰の古本

 蔦屋の主人に誘はれるまゝに、近頃枕橋の八百善、深川の平清と共に売り出した駐春亭へ寄つて、歌麿、一九、竹麿の四人が、吉原の大文字へ繰り込んだのは、それから二時ばかりの後だつた。
 名にし負ふ江戸全盛期の吉原は、いまだ松平越中守の改革も行はれず、諸事倹約を旨とすべき窮屈のお触れも出ぬ以前とて、四季の区別なく、百花爛漫の粧ひに賑つて、啻に初上りの田舎人のみならず、若い江戸人が、二言目には吉原を語り、吉原を誇つて止まないのも、決して無理ではなかつた。
 不夜城の文字に尽きる通り、事実そこに彩られた夜の世界は、絵にも増した華やかさの中に映えて、通も野暮もおしなべての全盛に醉ふ姿は、四海波静かなる百万石の大江戸を祝ぐに十分であつた。
 藏前の札差から出た十八大通なる者があるかと思へば、一方には旗本達が寄つて作つた、何々組なる後援者があり、俳諧師、戯作者、浮世絵師、芝居者はいふに及ばず、上は大名から下は天秤担ぐ小商人までが、日本随一の歓楽鏡として、誰に遠慮もない、色恋の夢を語る道場に外ならなかつたのだ。
 五十軒の編笠芳屋を横に見て、見返り柳を右手に、大門を潜れば、仲之町、右と左に軒を並べた茶屋の数は、山口巴を手初に、和泉屋、近江屋、桝屋、海老屋、左手は平野屋、千登世屋、近江屋、富士見や、桐屋の順序。江戸一丁目から、二丁目、揚屋町、角町と、待合辻、肴市場を中にして、秋葉山の常明燈まで、左右に並んだ茶屋だけでも、百五軒の多きに達する有様。
 更に江戸町一丁目の門を這入れば、音に名高い入山形に二つ星、松の位の太夫職と呼ばれた瀬川のゐる松葉屋、玉屋の小紫か、小紫の玉屋かと、その全盛を謳はれる小紫を筆頭に、若梅、誰が袖、花紫と、粒選りの太夫を揃へた玉屋を首め、扇屋墨河の見世には、花扇、司、蓬莱仙。殊に花扇は、中国のさる大名に抱へられた、五百石の武士の娘であるばかりでなく、浪人してから眼のつぶれた、一人の父に孝養至らざるなきところから、奉行所より、銭十貫文の賞に与つたとあつて、その評判は当時江戸中にかまびすしかつた。
 その他江戸町二丁目の丁字屋には唐歌、松波の全盛があり、兵庫には月岡、雛琴の太夫。京町一丁目の大文字には一本、多賀袖。半藏松葉には粧ひ、瀬川、市川などがあつて、実にや廓は、百花一時に妍を競ふの有様であつた。

(「歌麿をめぐる女達」 邦枝完二)

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