悔しさに翳る水鶏氏の表情と接して、私は奇異な安堵感を覚えた。黒い本との間で交感して見聞きした別世界が、文字によって書物が普遍的に我々へ伝えるところの別世界とは異なる道筋を通って導かれるものであると性急に決めつけることは控えさせてもらうが、少くとも私の脳髄に食い入って変容を遂げる挿し絵と密な根蔓で繋がっているのでないことは確からしい。水鶏氏が見れども見えずの境界にあったのは、氏の知覚が忽ちに留滞して宙に迷ったからではない。それは不躾な貶言、言うもおろかな揣度である。私のポンコツな脳髄に不審の地割れが広がるのを恐怖して口を噤んでいても、大した意味の生まれるはずがない。
「今更こんな妄語を口走ったら、真っ当な神経を踏みつけにして、よくも澄まし返っていられるもんだと一喝されるのは承知してますが、これらの挿し絵に描かれた絵像の顔容は、見るたびその面貌を変えて行っているとしか思われません。それも、ただ変易して行くのでなく、私の面差しを執念く追いかけ真似しようとしていると惑信されてならないのです。」
後先の効果を無視し、癲狂院送り覚悟の白状をしてしまった。狂気は人を選ぶとの公準を身をもって実証する発言がさすがに恥ずかしく、いっそわざとらしく胴震いをしてみせて、一時の霍乱へ逃げ込みたい。