多くの書物の例に違わず、黒い本の絵頁が連番で一箇所に固まっているでなく、程々に点綴されているに不自然はないのですが、文字の伝える標徴を経由せずして直截に別世界へ誘引されたと仰山に認言(本の持主であるあなたにだけですが)する私の脳裡から、あなたの刺衝あるまで絵像の存在がするりと抜け落ちていました。ごく当たり前な書物の体裁の何にしつこくこだわっているんだと、忸怩たる気勢を運良く鎮静できようとも、後の祭りの発覚であることは翻りません。
外から指差されて初めて悟る知覚の抜け落ちですが、おざなりに注意散漫な上滑りの気質を当てはめて済ます姑息のやり口で、一刀両断式にけりのつくものでない。私の身に生じたのにはそれ相当な事訳があると、根拠なしに自分を高く買いかぶらない限り、老耄が露見しての煮え立つ羞恥心は一向収まってくれません。その時それらの絵図を看取する視角が私に与えられなかったのは、黒い本の差配する、然あるべき条理が伏在しているからではないか、うつけ者の推度を試みたい微志が湧いて来ました。倉皇の仮論を許してもらえるなら、幾枚とある絵図が別れ別れに挿しはさまれているのは、換言すれば、挿し絵から次なる挿し絵までの間を隔てる頁の厚みに埋まっている文字と白地とは、対応するその分だけ人が消尽する時間の経過量を表していると映ずるのです。」