美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

偽書物の話(百四十四)

2018年06月06日 | 偽書物の話

   網膜に像を結び視角に入っているのに、知覚から免れている。よし行きずりであれ、通り掛かりの見者が靦然とある画像と寸刻も牽合わない事実を、もっと気に留めるべきなんでしょうね。普段身の周りに充溢する心理的盲点の一語でもって、事実を常識の既決箱へ直行させたいのは山々ですが、ことが黒い本で起きたからにはどうも油断ならないぞと、あなたの言葉も助力になって、疑り深い性分が鎌首をもたげました。疑いで勢いづいた鎌首の奥から発せられる警告は、私の脳力ふぜいが能く斥けられる毒刃ではないし、今頃になって、黒い本の挿し絵画を挟んで、信と不信の間で輾転反側して青臭い独り相撲をとらなければならないとは、我ながら寒心を禁じ得ません。
   あなたが注目したかったのは、粗笨な焦点喪失に由来する怪訝ではなくて、見せたくない者には見えない絵図があることではないですか。ご承知のように、思い過ごしや咄嗟の当て推量は私の痼疾なので一蹴してもらって構いませんが、無意に黙殺していたものが黒い本の中にまだ残存し、寝入りばなに背中を叩かれて振り返らされたような、不悦な心持ちが湧いて来るのです。認めたくない自照の影が迫持に待機して、中途半端な逡巡を繰り返しているような苦い心持ちが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする