か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

怒る人は早く死ぬ 2

2017年07月09日 | 故人

僕のことから。

せっかくいいことを書いても不必要に人の琴線に触れる言葉を不用意に出す。たかが教員が、小学校レベルの人間が、一生ごますりしかしなかったアホ会社員が、カネでなった医者のくせに・・・まさに人をののしる言葉が百花繚乱だ。

これは言われた人が該当者であるときあまり気分がよくない。1億もいるから中には偏執的変質者がいる。異常な反応をする人がいる。

自分の存在の根底を否定するようなこと、最大の弱点(コネ入社、コネ採用、カネ採用教員)を突かれたとき、反発は当たり前だ。だがある程度の教養があると事柄を一般化できて客観的に自分の思想を整理することができる。

条件反射的にタダタダ繁殖するヒアリは絶滅してほしい。同様に、馬鹿にされたというところまでしか理解できないバカ。今後は、含みがある言葉遣いであることを理解してほしい。いや、無理だな。

個人攻撃はやめろというバカがいた。どこに個人を攻撃しているか、該当部分の抜き出せ。僕は因縁をつけてきた人のうちバカ以外には反論したが、個人が特定できる攻撃、反論は、僕を特定したときだけだ。

 

で、でも僕は怒っているようだ。前回のブログで登場したオオヤブ医師が、医者としては薬配布係しかしてないのに2000万/月の収入がある。最低だ。だが不思議な魅力があって、患者が「あのお医者と話すと治った気がするんですよ」とよく言う。村の祈祷師のたぐいだ。

怒る人は早く死ぬ。怒るということが数値化できないため法則にはなりえないが、逆に意味はないが数値化しやすいことが当たり前のことなのに新しい発見のように人口に膾炙する。

これは皆さんの周りを見渡すとわかると思う。誰ががんで死んだか。怒る人が死を迎えるとき、絶望は人一倍深い。

オオヤブ君のおっとりした白痴ぶりはプラシーボ以上の効果がある。低脳は異常に助け合いを強調する。そこに美学を感じるようだ。ばか。人間は、ふだん助ける人はあまりいらないし、助けが必要なほどに追い込まれたとき助ける人はいない。

人生に勝利するなんてありえない。負け犬が寄り添って傷をなめあっているだけだ。だからバカほど群れたがる。うんざりだ。敗者ファシズムの強制は孤独よりもつらい。

 

必要なのは、はわかってくれる人。自分のことのように嘆いてくれる人。いつもそれを気にしてくれる人。それがどんな薬よりも手術よりもよく効く。医学をはじめどんな科学もまだその段階である。

その証拠に、線状降水帯を果敢にやかましく言うが、朝倉で15人が死ぬ前の予報は曇り時々雨だった。大本営の空襲警報のようにB29が爆弾を落とし始めてから警報が出た。それが限界なのだ。スーパーコンピューター使ったんだろ。

ばかだな。そんなら5年後の僕を当てみろよ。地震の予知どころか雨も予知できんじゃないか。騙すな。信じた人が死んだ。

 

怒って死んだ僕の周りの有名人は次回

 

 

 

 


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