僕がもっとも尊敬する写真家が死んだ。彼とよく撮影に行った。Tobacco road in Kumamoto.
職人に徹した男だった。作品の芸術性を高めるということには関心がない。与えられた課題にいかに高次元で満足いく仕事をするか。彼はいつもそれを求めていた。金銭には無頓着で、あるときはアラブの王様のような生活をしているかと思えばまたあるときは乞食だった。
彼の言葉。
「計器が示す値を少しずらしたところに正解の写真があるんだよ」
この匙加減こそ写真の極意であり面白いところであり、人の老後のたくわえを蒸発させる魔の機械だ。エキセントリックであることを日本人は嫌う。日本人が精密であるからではなく、まわりと違う人が増えると何も考えない自分の位置が不安定になるからだ。それが怖いだけ。
「100点はからけん君が撮る写真だ。だからアマチュアさ。プロは80点。しかし一個でも75点はない」
素人俳句の偶然で本人すら意識しないのによいものができることがある。100点だ。だがそのアマチュアは30点が多いからと責められることはない。75点を取ったプロはその瞬間から依頼が来なくなる。
だけど僕はかわいがってもらった。あまり写真は撮らしてもらえず、通行人とか掛け軸を眺める後姿をした。豪華な食事をおごってもらったが、モデル料として。
毎日言っていた言葉は、「写真は引き算だ」
僕がカッコいいと思ったのは。露光計は軽自動車が来るほどの世界最高機種を持ってきたが写真機はバカチョンだった。偏光もなし。他のフィルターもなし。レンズ保護もなし。交換レンズもなし。F.35ミリで人物を撮った。
あるモデルさんの業界宣伝写真のコンペだった。みんな迫撃砲みたいなカメラを持ち込み落選した。彼は優勝し専属のカメラマンになり多額の賞金を手にした。バカチョンで勝つの、なんかすっきりする。
惜しむらくは、プロの宿命である勝負師であったこと。勝つことには異様な執念を燃やし鬼気迫るものがある。僕も自分の専門ついてはそうだが意地はなく負けはすぐ認める。それは給料取りであるからだ。一方彼は、狂気の意地を持っていた。それが残念だった。もちろん彼の腕前と表裏一体だったが。
80点をとり続けるには、狂気が必須の条件だ。80点をとり続けるため、彼はすべてに対し怒り続けた。
芥川の蜘蛛の糸のようにやっと一本降りてきた蜘蛛の糸には、どんなことをしてもつかまり這いあがらなくてはならない。アマではないのだから。当然彼は神経質になった。
高速でも無理な運転をし体操の床運動のように回転した。その後通った気功の会も彼を穏やかにはしなかった。ちょっとした言い違いで席を立ち二度と戻ることはなかった。
しかしそれがなくては勝てんのだ。その戦闘性が彼を今の地位に維持させている。大手カメラ会社の誘いを断り完全フリーとしてやっていくことを決めたその時に、賽は投げられた。
彼の周囲では争いごとが絶えなかったが、僕にはこういった。「からけんさん、そうカッカしなさんな」自分みたいな損な性格はやめろと言いたげだった。
死ぬときだけが穏やかだった。
今、彼の写真の評価は高まっている。死んでから、遅い。