か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

役に立たない外食情報  Ver.5 北朝鮮の冷麺

2017年04月26日 | 食・レシピ

人は脱北しても同情を得やすい。

例年この時期になると「韓国語を教えてください」という人が必ず何人かはいた。僕は最初にきついことを言う。言葉の習得というものは、あなたが思っている先入観を捨てることから始まりますとか、僕の指示は厳しいことはありませんが言われたことは必ず守ってください、とか。一方で、記憶力と言葉の学習は関係ありません、単語は200個覚えたらペラペラになります、・・・などというけれどなかなか信用されない。

美人は脱北しなくても同情を得やすい。

実際、僕の言うことを守り指示に従う人は楽しく楽に1年半でマスターする。が、自分の思い込みに固執する人や質問しない人、声の小さい人、自分は頭が悪いと確信する人、単語を書いて覚えようとする人は、上達しない。英語教育の弊害は大きい。英語が不得意、若しくは習ってない人は、韓国語の上達が早い。

素直に指示に従う人、恥をかくことを恐れない人、質問の多い人は、面白くなると一人で勉強できる。理解の浅い人は質問のしようもない。

僕は思うのだ。どんなに時給が良い仕事があっても、やはり頭を使う仕事、つまり字幕、翻訳、通訳、領事館勤務・・・は桁が違う給料だ。

下駄屋の店員、肉屋の店員、服屋の店員、ラーメン屋の店員、4流大の学生が、僕の言いつけを守り一流の翻訳、通訳、一流ホテルの外語フロント、字幕屋になり、いきいきと働く姿は何よりも楽しい。わざわざ低い時給で働くと精神を病む。

今後も続けるつもりだ。おかねはいらないが怪しまれるので少し頂く。なれたら貰わない。お金はたくさんあるから。

この人は北のエリート放送員。日本と違って顔と頭と性格がそろっていい。貧相なバカスケベ男の出る幕ではない。

 

さ、そうして韓国語をマスターしたら韓国に行ってみよう。不勉強な誇大妄想狂が戦争の準備をしようとして危機をあおるので学習者が減った。今韓国に行かない人はバカだな。福岡からソウル、往復6000円から十分ある(✈)。そして美人に会え。整形だと?調べてから言え。韓国で整形するのは日本人がはるかに多い。ブスは周りの精神を悪くする。

そして行くのが冷麺屋だ。ちょっとみかけが悪い。水に浮かんだゴムひものような平壌冷麺。僕はこれが好きだ。これだけのために北朝鮮に行っていい。役に立たない中学生とか拉致するな。ここに希望者がいるから何とかしろ。

裁断機がザクッと紙を切るとき快感がある。自分の歯がその裁断機になったようだ。まあまあ辛い。冬には氷が張っていることもある。その氷と辛さの格闘が口の中で起こるのだ。↓

も一つ冷麺がある。咸興冷麺(ハムン)↓。これはスープがない。これはさすがの僕も食えなかった、辛くて。脱北者のきれいなお姉ちゃんが持ってきてくれる。こういうお姉ちゃんは最高の語学の先生だ。

彼女らはきちんとした国語(朝鮮語)教育を受けている。僕はいつも冷麺なんてどうでもよくなる。

日本人にあわせるように明洞あたりでは嫌な味をした韓国料理が出る。すると日本のバカ女は、美味しい、ジューシー、まろやか、辛くない、安い、…と喜ぶ。

本物はそんなんじゃないよ。

 

 

 


茶房は ☕

2017年04月16日 | 食・レシピ

長い名前のメニューが増えた。店側は、小手先で変化をつけて、さもたくさんのメニューをそろえているように錯覚させている。

カネを取るならうまいコーヒーを入れろ。それだけでよい。婦女子が合成甘味料や増量剤という酢酸ビニルをほしがる。

ま、無理もない。「苦み」というのは知能がないと非常に嫌悪される。人類の味覚の中で最後に発達するこの感覚は習得しないまま死ぬ人も多い。

この苦みというやつがあるから人生は面白くなるのだ。人生の苦み。一見不要で不可欠。甘いビールを想像できるか。

 

costをかけてもかけなくてもどうせ同じ味を出せるなら、経営者は安上がりにする。

いちばん手抜きができないのは、ミルクも砂糖もないただの「珈琲」。

バカ高いのに大きな道路沿いで埃を浴びながら不潔なコーヒーを飲むのがはやりのようだ。

僕は週2回必ず午前中の「コメダ」に行く。人がいないし高い壁で隣と遮断されている。午後はいけない。貧乏な大声が子供を連れて大挙してくる。世の中、これ以上の不運な組み合わせがあるだろうか。

 


役に立たない外食情報  Ver.4 箸休め

2017年03月20日 | 食・レシピ

箸休めとは大体さっぱりしたのとか、せいぜい茶わん蒸し程度であり、食事の途中で和菓子なんてありえない。

だが僕の好みでこのシリーズもギトギト、ドギドギ、ギラギラの料理が続くので、話題の箸休めとして和菓子の紹介。

家族の人数が多かったころ、プリンは鍋で作るのが恒例であった。母は全く家庭を顧みなかったのでいつも祖母が作ってくれた。プリンにナイフを入れるときは列強の植民地分割のように争いが起こった。

今日の朝日歌壇、

回転ずしの川を下ってやってくる鰆鱚鯛鰹鱧プリン               九螺 ささら

あがりの周囲にびっしりと魚編の漢字が書いてあって、必ずそれを聞きもしないのに読んで見せるバカがいた。うまくない寿司屋には必ずあるでかい湯飲み。子供は常に好奇心旺盛でその上記憶力が旺盛だ。周囲の大人に聞いていろいろ覚えた。さわら、きす、たい、… だが最後に来たのが一番いいようだ。

食い物とは実に罪がない。生き物をいただこうものなら、とくにそれが人間だと僕は突然色魔にされる。たとえプリンの海でおぼれようと僕は善人のまま死ねる。

 

今日、僕はバイクでうろついていたので、たった2個しか買えなかった。サイドバッグはその程度のスペースしかない。巨大バイクで軽より燃費の悪いバカターレーを除くと収納性のあるバイクはない。たったその2個のために保冷剤を入れてくれた。

それでも30分以内に食べてくださいと言われた。概して、賞味期限が短いほどそのお菓子は美味しい。日本に初めてセーラー服を導入した高校のそばだ。JKたちは和菓子には興味ないらしい。

桜とか🍓とかくり饅頭とか、とにかくまんまのネーミングだ。僕が高校の時からある。店を大きくするでもなく支店を出すでもなく新製品をひけらかすわけもなく、店は1坪、工場は10坪。

その間、多くの店が雨後の筍のように林立しすべてほろんだ。40年前自転車に乗りこの店を通り🍓大福を一個買う学生がいた。学生は家と学校の隙間の穏やかな午後を楽しんだ。

 

 


役に立たない外食情報  Ver. 3 そこにいたのは謎のインド人

2017年03月17日 | 食・レシピ

 

インドに行ってきた人に印象を尋ねると、両極端だ。

僕らが失ってしまった優しさや思いやりという深い情の世界があった。サイババは天の使いであり、彼が手を当てると失明した人の目が開いた、車いすの人が立ち上がった、手から出る白い粉末は私の心を解きほぐし、ここが私のいる場所だと実感した…、だそうな。

一方で。不潔、絶望、病気、極貧、差別、犯罪・・・ありとあらゆる人類の負の遺産がそこにあった。村の全員が犯罪集団であり旅行者と見るとみんなで石を投げつけてきた。荷物を取られることより石についた得体のしれぬ病原菌が怖かった。案の定化膿したが、薬を買うと大きな紫色のカプセルだった。背に腹は代えられず服用するとみるみる傷は治癒したが、妙に精神が高揚してきた。二度と行かない、…、だそうな。

 

僕の印象は後者だ。トランジットでしばし立ち寄っただけなので断定はしないが、無秩序、混乱、貧困のるつぼだったことは確かだ。コルカタ空港にも浮浪者がいた。そこを住処にしていた。

日本は優しい国だ。インド人はみなパール判事だと思ってないかい。ナンが焼けてカレーが作れるとコックという技術者だそうで移民が格段にしやすくなる。一人来れば一族郎党を呼び寄せる。妻だ、夫だ兄弟だと言って。ほんと日本人はいい人ばかりだ。いや、いい人ではなくお人よしというのが正確だ。

インドにまともな住民票があるはずない。人口の誤差が億単位だ。

つまり誰でも日本に来られる。日本でカレー店を出せばよい。ウソ身分がばれそうになると店をたたみ別のところで開業する。デカン高原から降りてきたばっかりのドラビダ族だなと確信した。まったく英語が通じない。

幸いその肝心のカレーはうまい。ナンの食い放題とか、僕にはありがたいことだ。

何でもありの寄せ集めヒンズー教には教義がない。本気で信じているのだろうか。お湯のない温泉じゃないか。

幸いその肝心のカレーはうまい。カレーは見飽きた人も多いだろうから、ラッシー。

チャイ。田舎に行くとなんでも甘くなるが、インドは地球の田舎だろう。大英帝国は何のしつけもしなかったようだ。ザミンダールにご執心だったのか。

どうして神々の顔は象なのかな。

ナンは大きなツボの内側に張り付けて焼く。福岡市内。インド人の、インド人による、インド人のためのカレー屋さん。

 

 

 

 


役に立たない外食情報  Ver. 2 亀の絵のある食堂

2017年03月16日 | 食・レシピ

九州の東西の物流と南北の物流は鳥栖市で交わる。高速のインターは完全クローバー型で日本最大だ。月面探査船が地球の人工物を探した時、見えたのは万里の長城とこのインターチェンジだった。

九州という島には1300万人が住み、そのうちの40%は福岡県民だ。きわめて福岡寄りに位置する鳥栖市は、物流の中心になるべくしてなった。

地球の物流は船であるが日本の物流はトラックである。ドライバーは昼夜を分かたずトラックを転がす。

道路情報を得たり、睡魔と戦うアイテムは、ラジオと無線だった。が、今はカーナビと携帯にとってかわった。ほんの10年前までCB無線を聞くとドスのきいた声が行き交っていた。

トラックのアンテナは、夜になると強力な不法電波で灼熱し、まさに火矢のように飛んだ。だからトラッカーたちはもれなく情報通であり、つけっぱなしのラジオから多くの教養を得ている。

全日本トラック協会は、精緻な理論武装をしていて、半端な政党の建前論など一蹴する。トラッカーは博学なのだ。

 

トラックは小回りが利かない、駐車スペースに困ることが多い、時速100キロで走っても自分を守るのは薄い鉄板一枚だ。鳥栖には彼らのオアシスがある。オアシスに群がるラクダは30センチ間隔で駐車している。

なかなか乗用車では行きにくいが、問題ない。

ご飯のお替り自由。すべてにボリュームがある。料理も人間も。町では出会わない男たちがいる。モテるのがよくわかる。

 

 

 


役に立たない外食情報  Ver. 1 高専ダゴ

2017年03月15日 | 食・レシピ

以前栄えてところに住む人は、今は廃墟となっていてもそこにいた人が覚えた味覚、仕立てたシャツの心地よさ、をよくご存じである。

切羽の炭鉱夫はその町の市長以上の収入があり、全国から集まった風来坊は一晩でその給料を使った。電気、ガス、水道、風呂…すべてただなので炭鉱住宅の母ちゃんたちは旦那が50万を一晩で使ってきても心情は微動だにしなかった。

戦後すぐの時代に国鉄と炭鉱の職制の住宅にはクーラーが入った。僕はクーラー自体の存在をあり得ないものと思っていた。

だがその金を目指してこれまた全国から寄生虫が集まり、町はロバート=オーエンの夢のコミュニティが成立していたのだ。

今は生活保護の不正と、弱者を脅して得たでっち上げの交通事故示談金で食っていても、体は絹のシャツのすばらしさを忘れていない。

バブルは、僕は多いに評価している。ただ体が覚えこむには短すぎた。弾けるとともに貧乏人はすぐ元の貧乏に戻った。

明治から続いた炭鉱は、いっぽうで花と龍の刃傷沙汰の世界を残しつつ、また一方で本物を感じる貴重な触角を落ちぶれて居残る住民に残した。

ただ歩いていても因縁をつけられ、この時代にクルマのあたり屋がいて、脅せばいくらでも金を出す行政がいた。

だがその一切がどうでもいいことだ。生命力のない人間は亡びる。元炭鉱では少ないパイを食い合っているので生存競争が激しいのだ。しかも教育の機会に恵まれず親も教育を受けてなかったので教育に関心がなかった。ずるく良心のかけた住民同士がいがみ合って生きることとなった。

だから何だ。

非能率企業が競争から落後するように非能率人間が消滅する社会のどこが悪い。非能率チンピラを生活保護などで温存する政策は、いけないDNAを温存繁殖させることになる。

 

だがケーキ、まんじゅう、すし、ステーキ。かつての繁栄を感じるものは多い。

今日は高専ダゴ。高専の生徒さん用にボリュームのあるお好み焼きが誕生した。以前書いたが、今回は本店に行った。

テキパキさばけるおばちゃんがいて、その人一人で切り盛りしていた。ほかの人は話しかけたら手が必ず止まった。

ワイルドなテーブル。一部そと。物は言いようだ。Open terraceにしとこう。一瞬韓国かと思った。

超ド級の四角いお好み焼き。3人分、二人で半分も食べきれないが2000円はるか以下だ。持ち帰ってチンしたら同じ味がする。

忽那汐里主演の開局80周年記念ドラマ「見知らぬわが町」。この店で撮影された。

このダゴのうまさは以前書いたので、今回はその大きさ。右下にFIATのキーを置いた。超弩級だ。

豪快で、悪質で、カネのためには何でもするここの男たちは、大好きだ。みんな優しい。

 

 


つたを巻いて松ぼっくりを集めリースを作ろう

2016年12月07日 | 食・レシピ

山に行き細い蔓(かずら)を獲ってくる。5~6メートル。30cm直径にぐるぐる巻く。松ぼっくりには緑の塗料を塗る。

乾いたらプラカラーで白を雪に見立て吹きかける。松ぼっくりの先には紙粘土の白で雪を作るのもなお良い。

意外と白い松ぼっくりに金の雪は似合うし高級感が出る。ベルは鳴らない。ケーキのオマケ。残りは本物の葉に赤白金銀をスプレーする。どう配合するかが腕の見せ所。

松ぼっくりをリースに固定するには、いろんな方法がある。僕は松ぼっくりの根元に1ミリ直径の穴を開け太い銅線をねじ込みグルーガンで固定した。固定された銅線をフック状に曲げ蔓にかける。

 

 

何事もやってみると難しい。実力の無い口だけ野郎は外野から叫ぶ。僕はいつも言う。文句あるならやってみろ。

世の中はそんなにすぐに結果が出るものは少ない。クリスマスリースだけで世間が成り立っているのではないから、沈思黙考してアイデアを練るプロセスは必須だ。

「グダグダいわず、早い話が文句あんだろ。お前やってみろよ。」これが通らないところが世の中の複雑なところだ。こういう低級な議論は西欧には無い。

日本は疲れる。

息抜きに寿司を食った。ブロイラー式給餌装置のある100円寿司は行かない。ベルトに乗った皿やおもちゃの新幹線が皿に乗った寿司を運んでくる。タッチパネルで注文し会計と直結している。泣き叫ぶしつけの悪い餓鬼。芋虫車からばらばら降りてくるぐうたらな家族。ジャージ、ゴム製のアホ靴。

夜は子供を外に出すな。お母さんと一緒に本を読め。

ま、僕は行かないからよく知らないけど。

すし屋の玄関にはいつも季節の生け花がある。


ツルムラサキ

2016年08月24日 | 食・レシピ

肉は僕の庭では採れない。牧場はないから。それで仕方なく遠路車を駆って熊本へ、あるいは飛行機に乗り短気者の国へ行く。

韓国の肉はメリットがなくなった。高いのだ。しかし、ガキが騒ごうものなら従業員が本気になって叱る。これは雰囲気を壊すが、しつけの悪いガキが野放しにいることのほうが罪深い。静かである料金と考えればまあふつうかな。

日本も同様に、小声で話しても十分会話が成立するところはまれである。そこにいる語彙の豊富な人たちは言い換えの引き出しが多いから会話が滞ることがない。

ただ、日本の場合は気絶しそうな味と引き換えに、必ず気絶する料金を取られる。

小さな積み木みたいなステーキにそこの値段の法外さを知ると、北朝鮮はこのステーキハウスを狙うべきだと思った。イスラム国でもいい。3万円以上のステーキを出す店には自爆テロをかけてくれ。

 

九州ではどこに行っても高級店であれば銀連カードが使える。

わかるか。下賤の日本人と下賤の中国人が罵りあう間に、Richな中国人は日本人と隔絶して旅行を楽しんでいる。そんな中国人は小声である。豊かな話題で相手をあきさせない。いつまでも同じ下ネタで笑う貧乏人とは違う。彼らに比肩できるのは大企業の幹部クラスだ。

 

さて、上質の動物性タンパクはともかく、植物性繊維質はどうするか。貧乏人はこれにも東奔西走してそばだ、サラダだと追い求める。

庭にツルムラサキがあった。よくできている。ミョウガが終わったなと思うと片隅にツルムラサキがあった。軽く湯がいて切って味付けして下のようになった。

絶品絶品。Focusがあまくてすいません。

原則として、カネを出すほど良いものが来る。しかし、それ以上に重要なルールはこれだ。知識を得ようとしない人は貧乏一直線であり、そのバカは子々孫々続く。鉄板。

ダイソーで、子供にまだ購入していないボールでキャッチボールをさせている親がいた。注意すると僕をにらんだ。上位層の中国人はこんなに非常識ではない。子供はそんなにバカではない。

 

 

 

 

 


美味におぼれて考えなくなる。 馬鹿への一歩。

2016年04月25日 | 食・レシピ

 

 今日は馬との馬が合わなかった。早めに切り上げ志賀島に来た。

玄海島、机島、柱島。ここで死ぬなと思ったことが2,3回ある。凪いだら天国、時化たら地獄。内縁の娘のようだ。

 

 

ということで、陸路、海に来た。今日は丘から海を見る。船に乗り海から丘を見るのもいいが、憧れとひがみだけの無能な貧乏な雑魚の群れが僕の船の周りに集まっていた頃を思い出す。

何をいい気になりやがって、といやな気になってこれを読む人がいるだろう。そのおまいらのいやな気の100倍もいやな気がしたのだ。

貧乏人のひがみは、恩を仇にして突き返す。

掃除もしない。ワッチ(他船、海流、漂流物、天気予報すなはち雲、暗礁を見ていること)それをしない、食事の準備もしない。熊本地震の避難場所にあったのはマリントイレのようだ。そのマリントイレの掃除はおろか、自分が汚した後も始末しない。利用するだけ儲けだと、顔に書いてある奴ばかりだ。

 

限界とはあるとき突然来る。航海の準備中、馬鹿を載せるより一人のほうが安全だと思い以後一切誰も乗せてない。

あ、内縁の娘は別だ。深い教養とけだるいしゃべり方はすべての慰めになる。ただ、妹は二度と乗らないそうだ。

上記に書きかけた貧乏人に共通した行動パターンはきっと日本を弱体化させるだろう。

何も考えずただ目の前のエサに飛びつく。僕がガソリン代50万を請求すると急に他人になる。卑怯者。やたら舵輪を持ちたがり、急に動かせといってもそれをせず、大きく曲がって大型船にテロ攻撃をする。

今年も多くのバカがいたので「クルーザー、まだまだ暑くて気違いが出る」シリーズを復活するか。

 

そのバカ、丘(陸地)にいるバカのペットも同様のようだ。あ、いやいやそういったらペットに失礼だ。バカ家族も同様だ。

本来常識として子供は寝ている時間に、ブロイラー式エサ回転寿司に来てペットの毛を舞い上げながらお持ち帰りの寿司を車中で食う。

失策だった。何たる失策。一人当たり5000ℓのガソリン代を踏み倒し、僕は彼らの小便を拭く。

 

本当はそれでもいいと思うのだ。初めて船に乗れば何が危険か分からない。どれほどカネがかかるか忘れることもある。揺れる船で小便すればあちこち飛び散る。

そんなことを言っているのか、僕は。違うだろ。分からん人は、そのまま貧乏馬鹿として生き、僕にかかわらずに死になさい。

馬鹿とまともの分岐点は正直さと向上心。 The truth is simple.

 

いやなことを思い出したので、口直しに日田にステーキを食いに行った。入り口にはバラを浮かべた鉢。どこのステーキハウスも気絶するぐらい値段が高く、卒倒くらい素敵だ。

 

 食事を待つ間につわぶきが出た。韓国語では、「トルモイ」といって「毛生え蕗」(毛生えふき)みたいな感じだ。日本は福島県以南。

 

Mainは、食いきれなく出るのがいい。こそこそインコのエサ程度に出たのを、テレビの食い物番組は褒める。気は確かか。

だけど今日は、牛は止める。貧乏が染み付いた僕はそう思った。分厚い豚。

 

そういう僕も最近はパワーが足りない。馬は言うことを聞かない。海岸で女子大生を乗せるはずだった。志賀島から日田まで行くとコペンでは背中が痛くなる。ステーキハウスにあった100円おみくじと灰皿に、妙な昭和の郷愁を抱いた。上品な薄味。多くの手間がかかったソース類。ほとんど個室。和室の個室、洋室の個室。とにかく個室。

 

 

 

 

 

 


ファンを減らすいけない日々の告白   8

2015年12月23日 | 食・レシピ

(ま、10歳までだな、Haapy Birthdayは。あとは天国への一里塚だ。CAKE中央、TARAKEN(「からけん」の外国向け名前、外人には「か」よりtaのほうが言いやすいようだ。)と書いたつもりだが読みにくい。)

12月下旬から1月にかけて我が家ではケーキの需要が増す。クリスマス、誕生日、記念日・・・と。

ケーキというのは、ご存知のようにじつに繊細だ。毎年やっていても、最初のケーキよりも5個目10個目と数を重ねると上手になる。そしてまた一年がたちすっかり忘れてしまう。

今は僕が腕を振るう時期だ。昔、僕はケーキ屋でアルバイトをしていたことがある。仕事になるとぜんぜん楽しくなかった。だが、毎年この時期は、その経験を根拠に何度もケーキ職人をさせられる。

同じ形のイチゴはない。同じ硬さのクリームはない。同じ硬さのベースはない。それらが総合されていくときには必ず臨機応変さが必要だ。しかも限られた時間の中ですばやい判断、やり直すか、継ぎ足しでごまかすか。この判断は、馬鹿には出来ないことだ。

家庭用のクリームを押し出す布は30センチぐらいの小さいものだが、プロ用はポッシュといってとても重たい。三角錐をさかさまにして頂点付近を5センチぐらいきり口金をはめ、中にクリームを入れたもの。ポッシュを折り曲げながら文字を書いたり花を作る。今はポッシュはプラスチック製で軽くなった。

最初は自重があるからクリームはブシュッと飛び出す。あわててバラを作る。ぐるぐる巻いてきれいな花びらにする。

問題は中のクリームが減ってきてからだ。中のクリームがダマ(塊)になりどろどろしてくる。あまり力を入れて出そうとすると、ブシュッと勢いよく出てシュガーハウスを吹き飛ばす。

そこで仕方なく、本当に仕方なく、僕は口金に口を当てチュチュッとダマを吸い出していた。

したがって僕と間接キスをした人は福岡に1000人/年はいる。半数は確率的に男だ。

すいません。

いろんなデコレーションをするために口金は20種類必要だ。半数はオリジナルで作った。半田付けした。鉛中毒になったら、

すいません。

糖尿病もすいません。僕は怖いので食べません。

 

(クリスマス以外の時期はソフトバーテンでした。僕の頭程度ではなかなか通らない公務員試験のための勉強をしながらの日々で、配達の途中やトイレに行くフリをして勉強したのを思い出します。1時間以上の睡眠時間をとるゆとりはありませんでした。そのうち自分が日本を動かしてやる、いまにみろ、とうぬぼれたいやな奴です。そのときの僕を見かけたら殴ってください。)

 

 

 

 

 http://www.cuoca.com/library/event/kihon/decoration/movie_nappe.html


Hotels for Foreigners only

2015年09月01日 | 食・レシピ

 

かつてこの地には、Grand bleu の映画で有名になった素もぐり潜水士Jacques Mayol(ジャックマイヨール)が上海から避暑に訪れていた宿が在った。

 

(この先に海浜館 2015.8.30)

 

その昭和初期をさかのぼること40年。明治20年代に、井上馨は無い頭を使って考えたものだからとんでもない狂った欧化政策を採る。鹿鳴館だ。

ダンス等踊ったことはもちろん見たこともない女学校の生徒まで狩り出し、2階のBall roomに引きずり出し、ラジオ体操のような踊りを踊らせた。

井上馨はこんな下品で的外れなことが日本の欧化政策になり、ひいては不平等条約の改正にまで繋がると夢想した。外人は失笑した。

井上ポン介の試みは大失敗に終わり、むしろ日本の未開さを見せ付けることになった。

だが地方において、Foreigner用のホテルがないことは深刻だった。それとゴルフ場。明治20年代後半に日本の一等地にホテルとゴルフ場が建てられた。

雲仙の仁田峠のところにあるゴルフ場。そこは九州初のゴルフ場だった。朝早く行くと人が少なく高原のツーンと冷たい空気が気持ちいい。

その近くの別所というところにも元外人専用ホテルがある。ゴルフ場であろうがホテルであろうが上品に営業を始めたところはどう時代が変わっても、今やはり品を失ってない。

海濱館(唐津)について書く。旧名、海浜院ホテル。明治の時代は唐津の繁華街から10キロあまり鉄道馬車が走っていた。馬車は日本人の喧騒を避け広い松林の中を走った。(虹ノ松原)その松原の中、そのホテルはあった。

(内縁の妹はライスをお茶碗のように手で持って食べた。振られる覚悟で仕込みます)

 

不思議なもので、栴檀は双葉より芳し、とはよく言ったものだ。僕は検索で出るようなことは書かない。もし書いてもそれは言いたいことのための手段だ。

で、それらのホテルやゴルフ場が、今に至っても何かしら持っている不思議な雰囲気の出所はどこだろう。9ホールでも満足感はどこから来るのか。毎回新しい味を紹介できる腕前はどこで仕込まれたのか。

このごろ出来た汚いゴルフ場はきまって中小企業の親父がいる。従業員を働かせ自分はゴルフか。逆だったら犯罪になるな、この国は。

共産党は十年一日大企業に抑えられた中小企業という念仏を捨てろ。ゴルフに限らず僕のクルーザー仲間は皆中小企業のオーナーだ。そしてみな下品だ。

コースを回る途中でつばを吐く。立ちションをしようとする。露天風呂のお湯でうがいをして湯船の中に吐く。

海浜館ではたいした金持ちとあったことはないが、静かに話し音を立てずに食う。話題は面白いが口にモノをためて笑うことは無い。中央のピアノは誰かが弾いてくれるのをまっている。

つまりバカを排除する見えない威力を持っている。「さとう別荘」(福岡 小郡)もそうだ。2~3万の鴨料理なんて、チンピラコガネもちにとっては何でもない。だがその料理店ではチンピラを見たことがない。

(カモについたも後日詳しく)

そうだ。マナーがわからんのだ。人に面と向かって爪楊枝でシーハシーハするようでは、一生静かに深い話をすることは無い人だ。サルに生まれればバカにされることも無かったのに。

 

ここまで書けば分かるように、Clubとは排他的な同好の士の集まりだったのだ。平等を叫ぶ下賤の民がいるが、だらけた生活と不まじめな学習態度で一貫して生きてきた、はしたない人生がどうしてClubにはいれようか。

 

差別とは何かを獲得した人が持つ神からのご褒美だ。

(ケーキについても後日詳しく)

http://hitosara.com/0006008376/

残念なのはその区分が壊れつつあること。会員権数千万以上のゴルフ場はそれなりのことがあった。今、カネ払うけんよかろうもん(おカネを払うからいいじゃないか)という人たちが文化を食い荒らしている。

Club House どうか存在理由をなくすな。

 


SAPPORO Beer 工場見学

2015年08月21日 | 食・レシピ

台風も来てるし雨は断続的に降る。こんな時に工場見学をする人はいない、という読みがあたった。

僕たちのほかにだれもいなかった。しかも男の職員が案内したので深い質問をすることが出来た。オネエチャンが案内すると乳が揺れたりしてそれなりに楽しいが、大体において本人が深い知識欲がない場合が多い。

職員も、見学の後の無料ビールばかりに気もそぞろな汚いおじさんたちには辟易している。僕たちのような、打てば響く冴えわたった教養の泉がいると、つい言っちゃいけないことまで教えてくれる。

人間には説明本能みたいのがあって、相手がきちんと理解すると何物にも替えがたくうれしい。逆に理解してないのがわかりつつしゃべらされるのは拷問だ。(四流大学)

醗酵業とは違うがAjinomotoやFuji Filmに行ったとき、僕なんかの想像をはるかに超えて研究は進んでいた。Sapporoも同様だ。

Marxは必然的な恐慌が労働者を決起させると説いた。当事はもっともらしい理論だった。頭ごなしに否定してはいけない。ただ、彼Marxは、経営すなはち資本は自らの将来の予見にまったく無能で、沈みつつあるタイタニックで宴会をつづけるとした。決定的な誤りがある。

 

(Sapporoの次の手は?)

 

ビール消費の減少には精一杯抵抗するにしても、先は見えている。そこで試行錯誤を繰り返すわけだが、まあだめだろうというものまで考えていた。資本家は己の将来に無能ではない。無能で目先のことにこだわるのは労働者だ。そして目先のことも失う。今回ばかりはSapporoの次の手をバラさないでおこう。

Bridgestoneのように質問が高度になると警戒されるといったことも無く気持ちよく見学した。

酒類全般について言うと、世界中で一人あたりのアルコールの消費が最も多い国は韓国だ。バングラディッシュでは飲もうにもカネが無い。ドイツはよく飲むが他に楽しみが多い。すなはち、数学的帰結としてまあまあカネがあり他に楽しみの無い国は酒を飲むしかなくなる。

日本も、限界集落で万屋(よろずや)はつぶれても酒屋はやっている。

このように、日本も韓国も田舎に行くとアルコール消費が多い。韓国では、まず夜は出歩けない。韓国の強姦率はOECDのなかでダントツの一位だ。

ハイトビールが(事実上)韓国唯一のビールだ。輸入したのはいろいろある。とにかくハイトはキリンを100倍に薄めたのよりまずい。どうしたらこんなにまずく出来るのか企業秘密を知りたい。

そのあとSapporoの敷地内にあるレストランで食事した。若いとすごいな。女でも馬のように食った。

小さい頃、飯をがつがつ食うと、朝鮮人のようだ、といって叱られた。何を言うか、オマエこそ朝鮮人みたいだ、と思った。何でも悪いのは朝鮮人なんだな。その頃から僕にはネトウヨの素質があったのか。

 

(映画のセットのような素敵なヱビスビールコーナー 工場内にある)

 

 

 

 

 

 


不思議な精神論

2015年07月31日 | 食・レシピ

再び大分にドライブした。

僕は食事中にしつけの悪いガキが騒ぐと即座に店を出る。親を殺したくなるからだ。平気で子供を走らせる親、泣き叫んでも平気な親、アイスをしつこくせがむ子供、無制限に買い与える親。

この下品低能気違いから逃れるのもドライブの目的のひとつだ。

いい場所を見つけた。天ヶ瀬、桜滝。無料の駐車場から遠くない。探し出すのも楽しいはずだ。駅から徒歩5分。ここでトライアルの弁当を開いたほうがはるかに精神衛生上いい。

(一儲けたくらむ奴もあまりいない 今のうちだ)

 

僕は個室でないと食事ができない。酒もタバコもやめたんだからこれくらいは許してもらおう。ばくちはもとよりしないが残りのひとつは決してやめない。僕の存在理由だからだ。

無理に個室にしていただき煮込みうどんを食った。その上味が薄いと注文をつけたらもう一杯つくってくれた。僕は貧乏根性を出し、食道もうどんでいっぱいになるほど詰め込みながらとにかく食った。


お前の子供も小さい時があったじゃないかとよく言われる。何を勘違いしているのか。僕の子は何をしても許される上品さがあった。一緒に煮込みたくなるガキとは違う。

(おいしかった 食堂紹介ではないので詳しくは略)

 

日田の豆田町(まめだまち)は駐車に苦労した。さらにお粗末なことにこの観光地の道路をバンバンクルマが通る。落ち着いて歩けやしない。駐車場の土地提供はいや、客はほしい。こんな矛盾は通らない。 行政のリードが足りない。かならず自滅しシャッター通りになり火が消えた頃、無駄に町おこしとかいってたまに帰省したよそ者がみこしを担ぐ。遅い。

第一モノが高い。

広瀬淡窓の時計には感動した。400日巻き。人間の胃袋は、本気になれば不可能はない。またランチを食った。雰囲気はいいが量が女性用だ。

内縁の娘は初めてまともなものを食ったといったが。僕のカネで飯を食いつつこの発言は贅沢だ。あ、誘うスケベが悪いか。

 

僕は高校の先生をしていた頃、例外なくある法則があることに気がついた。部活。試合はどちらの高校が勝つか事前に分かる。根拠はない。が、例外はなかった。バレーボールならボールのきれいなほう。剣道なら防具の手入れのいいほう。

 

そしてこの弓道なら道場の掃除をよくしている方だ。日田高校も行ったが、僕は断然隣のこの高校に好感を持った。

どの高校も勝ちたいとは思っている。しかし、広い道場を必死に雑巾がけしてきた者は、勝ちたいなんて甘いことだけではすまない。「負けられない。負けるわけにはいかない。」と思っている。

 

(きわめて例外的にリンガーハットに行った 庶民の外食事情を知るためだ 庶民がすると言う餃子アンケートもしたら当たった うれしい)

 

今日は冷やしちゃんぽんが一番おいしかったそうだ。

 

 

 

 

 

 

 


土用丑の日

2015年07月26日 | 食・レシピ

うなぎは減るわ食う人は増えるわで、値段はうなぎのぼりだ。

僕は、柳川で生まれた。小さい頃はうなぎはたくさんいた。針とエサと糸(50センチ)と、ウキに缶づめの缶を利用したものを5,6個用意した。

学校の帰りに仕掛ける。ウキにした缶の位置を覚えておく。すると夜行性のうなぎはえさに食いつき翌朝もがいているのを発見した。ウナギが小さかったり弱っていても缶の位置が変わっているのでうなぎがかかっていることがわかった。

家に持ち帰ることはしない。そんなことをすれば1/6,1/7しか口に入らない。練炭を盗みお墓の影で食ったりしたが、ほとんどは料亭に売った。一匹が100円から150円だった。子供にとっては大金だ。パンが5円の時代だ。

(ウナギは小さいが値段は高い なかなか獲れないそうだ  養殖のまがい物しかない)

 

内縁の妹は不満そうに食った。平日というのに二時間並んだ。暇な奴はいくらでもいるし値段なんか関係ない人間も多いと言えそうだ。

他の製品も同様だが、貧乏人の貧弱な購買力に期待してはいけない。そんなことでは陳腐な中華製品と競合することになり日本は値段競争に引きずり込まれ、負ける。

台湾人と一緒になったので話したが、やはり本省人(中国大陸)よりましだというだけで異質な人達だ。英語がうまいがそれでどういう本を読んだでもなく、人生は国が敷いたレールの上を走る競争だと心得ていた。ピラニアだな。

土用というのは、立春とか立秋という区切りの日から20日程度前の日々をいい、一方丑というのは、ご存知じ子丑寅の十二支の丑である。だから一番暑い夏の土用の頃に元気のつくウナギを食べようということらしい。丑はオマケ。

七五三も土用のうなぎも商売人が考えた金儲けのプロパガンダだが、どうせ景気をよくするのなら日本人はカネが有り余っている人も多く、もっといいものに対してならいくらでも使うという人が多いことを自覚すべきだ。

本当の客船は特上のAから詰まっていく。コンサートはSから。「或る列車」というリッチな旅は庶民はまず予約できない。

そういった立派なHADE IN JAPANを十分に供給せよ。需要はあるが供給がない。そんなもったいないことをしてはいけない。気絶するくらい高いものをどんどん供給して見ろ。電気釜は中国人にまかせろ。安さに惹かれDAISOで中国製を手にしたときあなたの人生は終わる。

とにかく揚子江を泳いでいたウナギはいやだ。いわば立派な、養殖でない、マリアナ海溝から来た、日本古来のウナギを食う場もなくさないでほしい。シラス(ウナギの子)を盗り尽しておいてウナギが獲れなくなったというのはおかしい。

人参をぶら下げられた馬はどこへでも走る。人参に目がくらんだシラス漁は犯罪だ。

選択の余地をなくされ腐れたウナギを食えと強要されたとき、貧乏人が殺到し給食のようにガッツいてウナギを食う。まがい物土用ゴッコだ。

 

昔の人は季節を色にたとえた。春は青、夏は朱、秋は白、冬は黒。青春というじゃないか。あるいは北原白秋というじゃないか。

この白秋の奥様の家が僕の生家の裏だ。その隣が本吉屋という柳川では一番古いウナギ屋だ。よい。

こういう農家がいくらでもあって家の前の池(クリーク)でウナギを釣って育った。毎年学年で一人二人おぼれて死んだ。死ぬのに慣れていた。

蓮の葉にたまった水銀のような水滴を集め揮毫したか。それどころかおまいら変態右翼は文字も変態で漢字の少ない文しか書けぬだろ。どうしてそれが愛国か。

イライラしてブスな女房とダイソーに行き夫婦喧嘩を始める。家は中国製であふれる。どうしてそれが愛国か。

いくらでも釣れたウナギは毎月食卓に上がった。エセ愛国が絶叫するまでもなく、僕とウナギは日本の懐に抱かれていた。

 

 

 

 

 

 


魚屋(うおや)

2015年05月30日 | 食・レシピ

福岡県は、福岡と北九州市を両端にしてぐっと北にせり出している。福岡の物資の80%は北九州市から運ばれる。陸路高速や3号線を使って持ち込まれるので、そのせり出し部分はほとんど交通がない。

つまり、ドライブには最高だ。残念なことに統一性のないモーテルが乱立しきわめて美観を損ねている。メゾネット風、ギリシャロードスのまばゆい白壁、腐れたロッジ風でいかにも安そうなもの。・・・

ま、人間もいろいろだからそのいろんな需要にこたえて金儲けをするのが資本主義だ。穴があれば何でもいい奴。うちのヤギを貸すのにな。でも、安普請で自分の家でもそうだろうが隣の声を聞きながらヤルのになれているか。僕はいやだな。

小さい頃からモノの価値を教える人に恵まれないと、何が価値あるものかを見極める審美眼が育たない。宗像市は相当バカだな。どうして白砂青松の松林を下品なモーテルの変えたがるんだろう。

海岸にハングルや中国語の洗剤の容器が増えた。それも美観を損なうが、ボランティアと称してガキをだましてただ働きをさせることには熱心だが、廃墟のような不恰好なモーテルは撤去しようとかならないな。

旅館料亭「魚屋(うおや)」はいいぞ。海岸に接しておりいつでも海岸を散策できる。伊能忠敬。彼も岬を回り測量しただろうからなるほどここに泊まったようだ。山頭火。彼は、カネを払ったかわからない。僕の家にとっては、タダ飯を食って罪滅ぼしに掃除をして消える人だったそうだ。

 (別館の玄関)

いやいや、批判しすぎると自分がやけどをする。世の中はそうできている。大体物事は、わかったときはもう遅い。世の中で一番邪魔くさいモノが親だったはずが、孝行しようかと思うときにはもう遅い。などなど。

本館に行った。食べているとき、聞こえてくるのは波の音だけだった。ここのトンビはずうずうしくて人の手からエサをもらう。甘やかすとだめになる。厳しくすると反抗する。人間も同じだ。

(部屋から撮った 大島などが見える)

ここの仲居さんたちはすばらしい。まかせます、というと絶妙のタイミングで運んでくれた。僕は内縁の妹と来ていたが、目線のそらし具合が絶妙だ。

ガキが走り回り、チョコレートタワーがあり、綿菓子まである、寿司とJ-POPが共存する、やかましく狂乱する100円寿司とは対極にある。いやいや、僕は軽蔑して行かないことになっているから詳しく書くと矛盾を突かれるな。アウトレットと三越の違いだ。

もちろんカネは取る。しかし貧乏な僕にすら妥当に思えた。まだ鰺(アジ)が動いていた。きわめて小さい声で話せる。これがくせとなり金持ちの声は小さくなる。貧乏その逆。

いつものようにうとうとして、妹と称する人は膝枕を断り、数式の続きを考えたりほかのことを考えたり、・・・ 僕の幸せな時が過ぎた。

(貧乏根性が出ていつも食いすぎる)

変色してところどころフセがあたっている畳。何十年もかわらない置物。昭和どころか大正の香りがする。それはすばらしいことだ。料理を見れは職人の腕は明白だ。速さ。三枚おろしの向こうが透けて見える。

タイタニック号の最高の部屋が500ドルだったとき、最も安い料金は4ドルだった。

うらみねたみやっかみそねみ、はたまた、イソップのすっぱい葡萄のようにこう叫ぶのか。狐いわく、「俺は葡萄なんて食いたくなかったもん、どうせあの葡萄はすっぱいさ。」

それじゃあいかん。理由のない偶然によってもたらされるもの、裏切りやインチキによって手に入れたもの、そんなことで金持ちのフリができる社会はたしかにおかしい。だがしかし、イソップの狐のように自分の貧しくぐうたらな生活の正当化に使ってもまたいかんのだ。

http://www.uoya-r.co.jp