か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

三井港倶楽部 からけん御用達  3

2019年01月17日 | 食・レシピ

100㎞離れた町から期待してきたらこれがメインディッシュだと。

 

カネ返せー。ココまで期待して読んでくださった皆さん、僕と一緒に怒ってください。鰆のポアレ。季節を取り込むのはいいが、ジュレの海に浮いているのに一口サイズが4万か。

働かない階級の食事はいつも淡白で薄味だ。僕はどこに行っても塩辛い思いをしているのでさすが上品な食事だとは思った。だがぼくはこれにカネを払うとしたら、400円でも高い。学食で食えば100円で5倍ぐらい大きいのが100皿ぐらいあり、移動しながらトレーに乗せたもののほうが大きい。

 

デザート

あまりにも小さいので近くから撮ると

大きくなった。2センチ×4センチ。子供の頃よく食った、裏の駄菓子屋にあったものと同じ。悔しいがおいしかった。20×40センチでも僕は食えたけど。

せっかくどこにもない味なんだから量を増やせ。僕はグラスごと口にくわえ舌で掬った。内縁の娘が肩を落としていった。「もうここには来られんごとなった」。

 

ぼくの気持ちの中で二つの心が争った。

① カネ返せコノヤロー。おればなめとろうが。おまいらはこんなまやかし貴族ごっこでカネばとるとか。オラ頭に来たぞ、コラ詐欺だ、泥棒だ。この期に及んでまで労働者階級を搾取するとか!おら同盟じゃなかぞ、総評ぞ、戦う総評ぞ。泣いてもらうけん。

② まてまて。ROLEXはクォーツに負ける、電波時計にはもちろん負ける。だが負けるとは何ぞや。今や腕時計には正確さは期待されない。4万がなんだ。HUBOLTは400万だ。ROLEX,HUBOLTの持つ力を信じろ。逆巻く波のように荒々しい世間を前にして100円ショップのクォーツが勇気をくれるか。液晶画面の汚い文字がお前の心を癒してくれるか。

ぼくの心は①と②の間を行ったり来たりした。紳士的にマネージャーに「量が少ない」と言ったら、”素”に戻った顔をしたのでイラっと来た。①②を行ったり来たりじゃないな。軸足は①だったな。

最後のコーヒーまでデミタスどころか盃だった。指がカップの取っ手に入らない。

 

僕はまた行く。だってほかにないから。ペニンシュラもマンダリンもここには勝たない。

HUBOLTで時間を見るとはなんという贅沢だ。しかし、100均の時計の利点は価格だけだが、その時計では勇気や満足を得ることはない。100均時計は時間を見る。HUBOLTは至福の時を見る。

貧困は日々の雑事に翻弄され、労働苦の中、疲労困憊することが必ず伴う。、MARXよ、労働が上部構造のすべての源泉だといったが、残念なことにそれは間違いだ。

この国の人々はみんな過労で思考停止しているじゃないか。

まっとうに物事を考え、上品に暮らすには額に汗してはいけない。努力は労働以上にする義務があるが、正当な努力が正当な向上心に支えられ、教養に支えられnoblesse obligeを甘受するとき。そのとき、400円で来る食事に4万払うことの意味を体感できる。

穏やかな時が流れることが分かる。えも言えぬ充実感を知らない人は劣等感の中で死ぬ。

良い結晶ガラスはロストテクノロジーになった。港倶楽部のトイレ、廊下、化粧室、電話室。捨てがたい味をしている。

下品なLEDと比較すべし。鏝絵(こてえ)。これもロストテクノロジー。明治の匠は血のにじむ努力をした。

〔終わり〕


三井港倶楽部 からけん御用達  2

2019年01月16日 | 食・レシピ

このジャスミンは、時を越えて

 

三井の迎賓館、港倶楽部は、山の上倶楽部とセットだった。残念なことに山の上倶楽部は大牟田空襲で焼失した。そこは刑務所に接していた。視野が狭い日本は国際法で爆撃を禁じられた学校、養老院、病院、刑務所のそばに建てればきっとB29は来ないと思ったのだ。

さらにお粗末なことに、ましてや捕虜収容所の近くにあればアメ公は味方の捕虜を殺したいしないだろうと子供じみたことを考えたが、米軍はそんな戦争を知らない小日本帝国陸軍に容赦しなかった。米軍は戦後を考えとくに三井東圧などの工業施設はわざと残した。軍はそれをB29が目標を外したと思った。

その米軍の考えは正しく朝鮮戦争やベトナム戦争、最近ではイラク戦争に大いに役立った。

この部屋で伊藤博文と檀琢磨は何を話したのだろう。伊藤はここに「開山海 通世界」という額を贈った。広間に行くとその字が高い壁から見下ろしている。高円宮は松を植えた。昭和天皇も休憩に来た。

司馬さんが日露以降を書きたくなかったのが分かるな。これだけはするなということをことごとくした太陽の帝国は、沈むべくして沈んだ。

 

最初にカモ肉を入れた西洋茶わん蒸しといったものが出てきた。この小さなスプーンに乗るほど少量。

いつも思うがこんなに大きい皿である必要があるのか。タルタルソースとビネガーときざみ野菜を混ぜたドレッシング。なぜわざと的を外して垂らすのか。きたない。子供のころは下手だなあと思っていた。野菜のゼリーはよろしい。ラディッシュ、ブロッコリー、水菜、豆腐。その昔、ゼリーを見ると水族館のような気がして、たらけん少年はそこから広がる世界を、想像した。大人になるともっと思いっきり食える量を出せと思う。

あれっ、Tissotが写ってしまった。わざとらしいが自動巻きのホントのTissot。チソットと言ってたころ。バターが詰まらん。柔らかいのは香りがない。この気温ではクレヨンのように固いはずだ。きっとスーパーモリナガで買ってきたんだ。パンが熱くバターはあっという間に液体になりパンにしみ込んだ。本物だったな。

時計の時刻を見てくれよ。1時、ここまでで1時間。労働者階級の皆さん、すみません。

この地方の人は、おふらんすにあこがれていてコンプレックスがある。このコンプレックスは、一つにおふらんすを排除するパワーとなり、もう一つはおフランスをLa Marseillaiseを絶叫し絶賛する。

なんて野暮な皮肉は言わず素直にお皿の曲線の統一性を楽しもう。ポタージュはこのほうが冷えなくていいが、量が少ない。ごぼうのポテトチップス。スライスしたごぼうを揚げたチップスが入っていた。スープにもごぼうのすりおろし。

メニューは4か月おきに変わる。

カトラリーは当時のもとと違う。当時使っていたものは、厚さが2倍あり正しく使われた小傷を皿が誇っていた。これはおふらんす製の洗いにくそうな皿。

やっと来ましたメイン。中身はこの次のお楽しみ。

 

 


三井港倶楽部 からけん御用達

2019年01月15日 | 食・レシピ

日露戦争勝利の余韻冷めやらぬ1907完成

 

三井関係の社交倶楽部であるとともに、外国高級船員の宿泊や接待の場所、あるいは皇族方を始め、政財界人の迎賓館として広く利用されてきた。

1949年昭和24年)には昭和天皇も訪れたことがあり、庭園には記念樹が植栽されている。また、1969年(昭和44年)1月には、明治を代表する優美な洋風建築物として日本建築学会より文化財の対象建築の推薦を受けている。

家具や調度品、シャンデリアは建物専用に作られ、100年以上の時を経てもほとんどが現役。    Wiki

 

今回は料理にがっつく前に、その周辺から。

東京の三越百貨店。江戸時代、豪商越前屋と三井は合併し互いの頭文字をとり三越が誕生した。その後、たかが商売人三井に降ってわいたのが官業払い下げである。

薩長の子分になったにわか討幕派か幕末をうまくかわしたそこらのチンピラに、官業払い下げという棚から牡丹餅が落ちてきていきなり金持ちになった。タダで鉱山をもらったのではない。多くは補助金がついていた。

そのころの庶民の生活は凄惨を極めた。東北では毎年餓死者を出す国でありながら600万の非生産人口を抱えていた。軍隊。東大を出ても60円の初任給、百姓はカネに換算して10円/月もなかった。その十円も小作料に消えた。土地持ちの百姓はほとんどいない。

安政年間のあるとき、福岡県八女市のまさに百姓のせがれが世界を夢見た。彼は三井に入りこの地大牟田の鉱山会社の事務長になる。八女高、熊大、東大、MIT・・・三井

 

貧乏人は貧乏に弱く常にカネの計算をする。ところがゆったりとした環境に育つ金持ちは他人と自己を比較することは軽蔑すべきこと、教養のない人間のすることという教育が身についている。自分は自分と戦うものだ。

檀琢磨。閘門式の港とは世界中にどこにもなく、現在もない。干満の差が大きい有明海は、引き潮の時港がすっからかんになる、そこで可動式の堰を作った。満ち潮の時船を港内に入れ、堰を閉めた。これは誠に異様な光景である。10000トン強の船が3隻、浮かんでいるがそこはいわば水たまりで、閉じられた堰の外には延々干潟が続く。

檀琢磨。やがて三井の総帥まで上り詰めるこの男が作った。カネコネですべてが決まる今の日本とは違うのだ。

別の部屋のマントルピースの上の鏡。彫刻の精緻さ、鏡の上はパルテノン。

 

斜めに2000m、垂直に400mこんなエレベータが想像できるか。そのエネルギー源として高価なデービーポンプを輸入しようとするとき社内の全員が反対した。彼は言った。私は首をかけている。意見が通らないなら私はやめるが私と同じ実力を持つものを連れてこい。

デービーポンプはすさまじい実力を発揮し、会社は慌てて10機を追加注文した。

檀琢磨。やがて三井の総帥(そうすい)まで上り詰めるこの男が導入した。カネコネですべてが決まる今の日本とは違うのだ。

伊藤博文は壇に↓の書を贈った。2双あるが一つは紹介したので今日は港倶楽部の個室にあるもの。

浦を潤し山を輝かす

山口出身、維新の臆病者伊藤も書はややいいのを書く。この部屋で明治の熱い日本に思いをはせフランス料理をいただく。これ至福ならずや。教養がない奴はこんなことしても意味がないからカッコつけずに同じカネで中洲のお姉ちゃんの膝をなでながら酒を飲め。

檀は右翼テロに遭い東京三越の前で射殺された。

↑今は使われていない。復活するように言っておいたので行く人はからけんのおかげと思い電話してください。スマホじゃなくてここに来たら壁にかかったダイヤルを回してほしい。

機能性だけを追求したTOTOの洗面台はさみしい。無骨な洗面台は空襲にも耐えた。

この県境は風土を反映している。このほうが良かった。佐賀がないから。

さあ次回はいよいよ食事。個室のドアのドアノブの位置は床から1メートル。低い。主人はみずからドアなど開けない。召使いがドアを開けるので控えめな姿勢をとらせるためにそうした。合理的根拠のある差別は望ましい。

 

 


「黙食」も「狂食」も僕はしない

2018年12月07日 | 食・レシピ

げ餃子

気温が25度を越え夏日になった。12月の夏日は何となく気持ち悪い。この「なんとなくそういう気がする」という気持ちを僕は、行動の基準にしている。

行動の判断を誤った時はいつも、理屈で到達した結論に従った時だ。孔子の言う「耳順」。これで行こう。

その天の声を聞いた耳に従って、中華料理を食べることにした。暑さと中華と脈絡はないが、耳順、耳順。

且つ、天の声はいつも個室で食えという。外食は洗い物をしなくてよいという捨てがたい長所がある。したがって外食個室で安いところ。安いと同じカネで数多くいける。一品香(イーピンシャン)。

バカ騒ぎをして、口の中のモノを見せながら、大声を出し、つくり笑顔をしながら飯を食うというのはかなりの芸当だ。それを障害児に強制しているところがあった。僕が訪問した時は、何を勘違いしたのか金正恩が視察に来た北朝鮮の学校みたいだった。

どうも笑わないと処刑されると思っていたようだ。楽しい給食の時間というのを勘違いすると、ぎゃあぎゃあ大声を出してつくり笑顔をすることだと先生たちは思い込んでいた。健常児でも食いながらしゃべるのは困難だ。それをなぜか障害児に強制するのがよい先生だとされた。

バカなことはやめたがよいと報告書に書いたが静かに握りつぶされた。

 

以来、他人と肩が触れ合うようなところで飯を食うのはやめた。ラーメンは好きで、こってりギトギトの元気ラーメンが特に好きだ。替え玉というシステムは九州だけだそうだ。ここは替え玉10円。僕は5回する。誰もいない時間帯に行き至福の食事をする。炭水化物のパラダイス。

 

替え玉は3回までしか許さないという同居人がいてラーメンをあきらめ中華。

中国人がした唯一のいいことは杏仁豆腐の発明だ。

今見てもよだれが出る。僕は死ぬときは杏仁豆腐の海でおぼれよう。

学校によっては食事中、私語を禁じているところもある。

引用 AERA 2018年12月10日号より抜粋

昼どきの小学校は誰もいないのかと思うくらい静かだった。授業参観のため学校を訪れた女性(45)は、当時1年生だった娘の教室の後ろ扉をそーっと開けた。すると、目にとびこんできたのは、全員が前を
向いて黙々と給食を食べる姿。
 私語は一切なし。楽しいはずの食事の時間がなにかの訓練の場のように見えた。参観に来ていたほかのママ友たちとアイコンタクトで外に出て、首を傾げた。女性は言う。
「『黙食』と呼ばれる指導なんです。子どもたちがしゃべりながら食べると時間がかかるかららしいです。

 

小学校の先生は何でこうなんだろう。極端から極端に振れ、何を命じられたか自分の頭で判断する能力も気力もない。コネで入るからこんなことが起きる。フツーのお母さんたちはまともだ。なにが「黙食」だ。あほ。

夏日だからか、サトウキビ畑に行くと元気なサトウキビを見た。やはり野におけ…

 


柳川和菓子めぐり    2

2018年11月20日 | 食・レシピ

偶然いろんなお菓子をもらうことが重なった。

小倉の栗まんじゅう。

ご存知小倉北区の魚町に本店を置く。120年以上の歴史があるが、明治30年ごろの日本といえば「一等国」を目指す金鵄輝く日本だった。自らの貧困も忘れ国のためにすべてを投げうつのは絶対善であり、一臣民は「身を立て名をあげ」ることを夢見た。日清に勝ち、日露に勝ち、負け戦は国民に伏せ、ジャーナリズムの存在を国民は知らず幻の繁栄の中に酔っていた。

そんなとき勝ち栗とは縁起がいい。そのツケは大きかったが

中に栗が入っている。小倉で菓子折りを持っていくとはこの栗まんじゅうを持っていくことだのことだ。小倉で知らない人はいない。

小判の形も好評で自分で食べるために買う人も多い。

 

つぎ。

赤い鳥小鳥、なぜなぜ赤い  赤い実を食べた

白秋の詩はすべて、空想の世界が広がる。本人は妻も妾もとっかえひっかえした大酒の飲みで糖尿の治療もせずメクラになった飲みで男だ。彼自身は柳川をよく思ってない。伝習館中学も卒業せぬまま早稲田に進んだ。おおらかな時代だ。彼の作品はエロ本だと柳川の人は罵った。

田舎とは、一度評価が定まるとその評価は固定され、異を唱える者は裏切り者になる。

ところが一度全国的評価を受けると手のひら返しが起こる。

檀一雄や白秋、その他多くの文人たちを生んだ土地だ。文学のカンブリア紀にあったと言える。現在の伝習館高校からは絶対に何も生まれない。生徒の一挙手一投足を校則で縛る学校という名の牢獄だ。

 

そんな中で和菓子はおいしくあり続けた。よくある本家だ、分家だ、老舗だ、本舗だの争いはある。そこは興味ないので割愛。

考え方として伝統を守るか、洋菓子やケーキも取り入れ経営を守るか困難な判断であることは確かだ。

 

最初の写真は伝統を守った方だ。「白秋最中(もなか)」一個一個に白秋の歌が短冊になっている。こぼれる甘さに優劣はない。ただこの越山(こっさん)餅本家は和菓子で勝負している)。

 

ほーら、つーじまちにあっとじゃのーしての、トンとこまちんにきあっとこたい。

訳)ほら、辻町にあるところじゃなくてね、とんとこ町あたりにあるところだよ。

 

本当に越山本家はここにある。柳川の味がして、僕はいつも思い出せないでいる夢にあう。

きちんとした柳川弁を喋れる人はいなくなるだろう。下二段活用のオンパレードだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


特牛(こっとい、地名)のお菓子屋さん

2018年11月04日 | 食・レシピ

 

4㎝角のちいさなCAKEは。8個ぐらいで600円だった。天神のおしゃれな店に行くと一個で400円だろう。特牛の港の喫茶店の隣。昭和の喫茶店は、もう都会にはない。

先日コメダに行ったら極めて香水臭の強い女給がいた。ほとんどメチルアルコールだった。食品のそばにはふさわしくないので注意したら「へえ、そうですか」と言ってやめる気配がなかった。メス猿がオスの気を引こうと肛門臭を体にまいている。店長も指導すべきだ。

クレームとして本部に上げると言ったらやがてその女は消えた。そんなら最初っから地上に存在してはいけなかった。食堂に強力な香水臭なんてまともな家庭に育ってないなんて証拠だ。

浮かれて狂ったサルは、ここにはいない。


人生の酸いも甘いもかみしめてきた特牛のマダムは、聞き上手だった。港のすぐ隣に位置するので釣りをした後にコーヒー一杯なんてことも可能だろう。広い室内は昔の栄華を物語るが、この盛りを過ぎたところに人生の味は残るのだとやっとわかりかけてきた。

(喫茶店は前日の画像にあります)

ケーキ屋さん。すべて自家製。洋菓子和菓子。甘いだけではないおばあちゃん職人の穏やかさ、やさしさ、我慢したこと、楽しかったこと…詰まっていた。

角島(つのしま)に行くと、、前回だがちょうどCM撮りをしていた。しばし足止めを食った。無理に行こうとすると著作権の問題があるからお願いしますといわれた。僕としてはMAZDAのでこぼこした車の横にすっきりしたCOPENが走る姿をCMにしてほしかったのだが。

週末はいかない方がいい 渋滞を見ても僕は面白くない 

特牛饅頭は文化を支えている。


夢の和菓子 と 庶民のボンタンアメ

2018年11月02日 | 食・レシピ

天皇皇后両陛下のアメリカ合衆国御訪問について. 平成6年3月18日閣議決定. かねてより,アメリカ合衆国大統領閣下夫妻から,天皇皇后両陛下に対し同国を御訪問になるよう招請があった。                 www.kunaicho.go.jp >

 

という初めてのご訪米に際し、宮内庁は手土産を何にするか苦心した。役所の中でもここだけは秘密のベールが厚く何を考えているかわからない。無理にこじ開けないと中のカキが食えないようだ。

防衛省は世間からの容認度が高くなるにつれ積極的な発信をするようになったが、肝心の戦史情報は安部が国家秘密法を作ったので入手しにくくなった。以前はさすが民主国家の自衛隊だと評価していたのに。安部は、「あんな人たち」を含めた民主主義が嫌いだ。

 

こんなことばかりしゃべるのでは、あまりにも底の浅い人間のようだ。僕の周りにもいる。いい大学を出ているのに朝から晩まで安部万歳とか安部やめろしか言わない人がいる。

若干食傷。

興味は広くないと話せる相手が減り、ますます偏狭になり悪循環を起こす。

 

天皇の手土産は東京のある和菓子屋にある。栗を極めて細かいカステラのようなケーキベースで包んで十分大きいのが日本人の配慮だ。ふつうは一辺が3センチぐらいでさらにそれをつま楊枝で切って食べるだろう。

アメリカ人はそれが嫌だって。姫フォークで刺して食べるって。このときお菓子が崩れないようにクリにすぐ刺さるよう大きな栗の切り方に工夫があった。手土産はアメリカ人用に大型化していた。一辺5センチ×10センチ。short cake並みの大きさ。日本人のすることだ。相手をおもんばかる。

宮内庁。まいりました。血糖値が上がったのはあなたのおかげです。それでもいい。お菓子屋さんから毎年贈ってもらうことにする。

 

それとボンタンアメを比べようなんてそんな無慈悲なことはしない。それなりに工夫がなされている。現代は、昔のように甘いものがない時代ではない。だからひと箱は少なくていい。写真は極端な例でボンタンアメのパロディだ。

MORINAGAのように蝋紙に包まれていては飴の味が落ち、第一剥くのが面倒だった。安かったがただの味がする石だ。雪印は個数が少なく森永の半分もなかった。たぶん4個。だがとろけるおいしさは噛む必要がなく進駐軍のハーシーより良かった。雪印の蝋紙は許される。ヒ素入りミルクを作ったり多くの不正をしたり、両社ともFALLEN AIDOLになった。bonntannは不動である。誇れ。


カッコつけて大きく出るとカネが出ていく

2018年10月22日 | 食・レシピ

 

サラダのドレッシングというのはいつも皿の底に流れてしまってもろに野菜にかじりつくことになる。工夫してあった。大根おろしかビシソワーズか、それがかかったところに3m角の🍎をまいてあった。そこに表面張力でドレッシングが引っかかるという仕掛けだ。

今月はこれが一番参考になった。オーナーが秘蔵のグラス、切り子のコレクションを見せてくれた。

なぜか人は偽物と本物を見抜こうとする。ちょうど手品を見るときタネを見つけようとして手品師の技に見入る。下手に偽物をほめたら恥をかくからだ。あるいはうんちくを述べると周りは「ああ、また始まった」程度の気持ちで、内容など分からずうんざりしている。

理解力とは知識と能力の総合芸術である。楽器と同じだ。書と同じだ。

偽物をほめても全く恥ずかしがることはない。正解とか本物とかと、そのものが持つ迫力は別物だ。

では迫力の根源は何だろう。例えばグラスなら、僕がグラスを吟味するのではない。そんなこと素人がすればたいていくそをつかむ。

グラスが僕を呼ぶのだ。時計も車もカメラも馬も、それが本物だったら僕に秋波を送り続ける。

ついでだが「重い」「カットがとがっていたい」。でないと、きらきらあらゆる色を振りまいて光りがグラスを回らず汚い。

切り子は薩摩だが広くカットグラスはボヘミアのものを超えるものは出ない。DDR 最近バカラに貧乏人がたかるがどんどん関心を持ってほしい。ゴキブリホイホイだ。

 

あw、日本製もこのレベルになるとコーヒーや紅茶を飲んでいくうちに日が上がり富士山が見えてくる、相模の波は荒れている。茶碗の中に世界がある。だから逸品なのだ。

何の泡かは分からなかった。それが幕になり冷えるのを防いでいた。そもそも文明人は熱いものしか食わない。あとは定番のもの。

上はすべてアイスで出来ていた。

深い皿に入っているしカトラリーが大きくて質量があり手ごたえがあり満足だ。

 

 

お子様ランチ

隣はアウトレット、ハロウイン、ハロウイン。


平岡学園 素敵なランチ ありがとう

2018年09月01日 | 食・レシピ
 
学校が生徒さんたちの実習も兼ね校内に50席ぐらいのレストランを開いている。5,6年になるそうだ。僕の卒業生も進学した。韓国ならこの学校からぼくに莫大な賄賂が来るはずだが日本はさみしいもんだ。
 
学生はうまく手分けして分業化していた。先生方の指導があったにせよ物分かりの速くないのをここまでテキパキ動かすには相当の苦労があっただろう。
 
元来僕は、徒弟制度の中でこそ微妙な匙加減というものは伝わるものであり、一斉授業にはなじまないと考えていた。
 
それは間違いだった。戦前とは消費量が異なり職業も多様化する中でブラックもブラック、徒弟制度に飛び込む生徒はいなくなって当然だ。しかも情報は世界から仕入れなければならぬ。60年間饅頭だけこねてきた親父が突然フランス語をしゃべりだしたりすることはまれだ。
 
 
世界を意識した近代的、科学的指導法に変化しなければならない。
 
 
そういう僕も、天神でお菓子を作っていた。厨房とテーブルは断絶してお客さんの声はあまり来なかったが、たまにおいしかったと聞くと嬉しかった。
 
学生さんたちが一生懸命作っていた。日当はでるのかとか、単位に入るのかとか聞きたかった。
合わせて月謝はいくらかなど。学生たちは多くの賞を獲得していた。その分良いところに就職でき、なんといってもお客さんから喜んでもらえるというのがうれしい様子だ。。
 
冷製スープはまだざらざら感が強く冷たさが足りない。色をもっと薄くするべきだ。
 
ここのよさはパンにある。
 
今後とも学校は学生の純情を利用するようなイケナイ専門学校になることはない。たぶん。

このごろやって来て農業のあり方とかしゃべるやつ

2018年06月01日 | 食・レシピ

僕はそんな奴からにおいがする。人権とか、自然エネルギーとか、有機農法とか、定年帰農とか、火も起こせんくせに反原発、・・・なんか同じ匂いがする。

百姓をバカにするにおい。2,3年百姓をして何が分かったつもりか。3年目で分かり始めるのは、自分が今後身につけなければならぬことが何であるかわかる程度だ。

そこまででおとなしくしていればこちらも教えてやってもいいのだが、上から目線であんたの農法が地球を傷つけているとか言う。

おいおい、おまいらみたいに白い顔をして、田舎に来たがるのはなぜか。3時間で太陽光にやられるぞ。

百姓が何年のスパンでやってると思うか。たしかに農協(JA)の言いなり小僧は多く自民党のポチはもっと多い。だがバカではない。今から本気でやるには下積みは10年だ。200年生きてもらおう。

きゅうりが無農薬でおいしくっても何の意味もないんだ。売れてなんぼだということを肝に銘じろ。1円の1/10の10銭の世界において効率と経費と時間のバランスを計算しみんなそれぞれの方法を編み出している。

それを後から来て、地代を払うから文句なかろうという顔をして、「ダッシュ村」の真似をしようとは百姓どころか人生をなめている。途中で放棄し草を増やし、すなはち虫を増やし、虫がいやだと都会に帰った奴がいる。

本物の百姓に逃げるところはない。

 

手植えに価値を見出す精神構造はどうなっている。江戸時代ですら牛馬を使った。もちろんおまいらには無理だが。体力がない。北朝鮮でも8条以上の機械植だ。

ままごとで、あるいは小学校の役に立たない体験学習ならお茶を濁すことに文句は言わない。

だが2,3年で自分の力量不足をやっと悟り街へ帰る者に、何十年も百姓をしてきたような、有機の専門家のような、あらゆる野菜に採算経営ができるような口はきかせない。

広い土地を借り農機を入れて始めたはいいが、いっぱしの農業者気取りで「百姓」は差別語ですよ、農業者といってくださいとか偉そうに。

どの仕事も日本の労働者、農民は自分の寿命を先取りして食うような命がけの仕事をしている。

 

悪いことをしない限りどの仕事も必死に頭と体を使ってぎりぎり生きている。面白半分に知識をひけらかして劣等感を隠したい人間にも腹が立つが、知りもせんくせ(知りもしないのに)いっぱしの百姓面するのはもっと好かん(嫌いだ)。


エビは良くできた生物だ

2017年09月13日 | 食・レシピ

       ここら辺の魚が結局一番おいしい。鯛は騒ぐほどのことはない。淡白で料理の手間が増える。

 

鯛を釣るときエビをつける

もっと上等の釣り方もあるだろうが知らない。沖のポイントに行くと必ず釣れる。僕は魚探なんかはあまり使えないので、地元のじいちゃんの船についていく。コバンザメ商法あるいは、他人のふんどしで相撲を取ろうというせこいやり方で、今後どんどんやる。

このエビがいかんのだ。すし屋でシャリの上にエビが乗っていると自分がタイになった気がしてきて、たいてい僕は吐く。

ボイルしてあるのも同じだろうという先入観で、エビフライも嫌いだった。

先入観はいかんなあ。食ってみたらこれがうまい。甲殻類はいまだに基本嫌いだが、カニと違って食いやすくコロモをつけて揚げると姿が見えないので食いやすい。

半世紀もエビを食わないなんて、幸せを逃してきたといえるが、もう残り少ないので取り返しはつかない。

いやというほどの一味 僕は朝鮮人だと噂するネトウヨ

 意外とそうかも

僕は長男だ。どこの長男もそうであるように僕もやさしい、みんなのためを考える。次三男は妾の子も含めてなかなか意地っ張りで利己主義だ。こいつらは、人にとられぬよう食事はうまいものから食う。頭は白痴だが抜け目ない。

僕はゆったり育ち、誰も盗る人はいなかったので、美味しいものは最後のお楽しみにする。

写真を撮ってたら、娘があたかも自分のエビのように、その最後のお楽しみを素早く食った。

 

僕は頭はよいがのんびりした性格は変わらない。だから貧乏人の狡猾さや、役に立たない劣等感から来る意地には、負ける。僕はよい人に育ってホントよかったと思う。

 

 


ぐうたらでウソつきのための食洗器

2017年09月04日 | 食・レシピ

調音の滝 福岡県吉井 お店は9月いっぱい 素敵なばあちゃんたち 食レポ気違いが大声を出す店よりここのおにぎりがうまい 絶妙の塩加減は昨日今日始めた素人には出せない 仲良しになりとてもうれしい

ばあちゃんのよもぎも最高だった 人間は心がこもったものはちゃんとわかるようにできている(食いかけではありません 割ったものです)

 

このブログではソトメシ(外出先での食事)をしたとき、記録することが多い。それには2種類ある。広い干拓地での自炊や、山奥の使われない公園で一人バーベキューをするとき。

ただ、関連役所や会社から接待を受けることはなくなった。そんなソトメシはなくなった。でももう十分なほど人の税金で飯を食いホテルに泊まり旅行をした。日本の皆さんありがとう。

鯛尾が近いせいが、よどみには金があったこの水の落ちているところ

正義感にあふれる僕のブログに賛同いただきながら、節操のない自分をさらすことは少し気が引ける。だが、僕はそんな硬い人間ではない。資本家階級やその手先からのお誘いでも、くれるというならいつでも乞食になる。やせ我慢は人生を窮屈にする。漱石いわく、「知にはたらけば角が立つ」。

一人バーベキューにはいい季節になる。大勢で行き口に料理を加えて大声で笑うのは無教養だ。第一、なんでバカやブスのため料理を作らにゃやいかんか。クルマからしばらく低能の悪臭がとれない。

 

本論

新三種の神器だそうだ。食洗器。そして屋根にはソーラー発電機、腕時計までソーラー。バカか。中学の時オームの法則を習っただろ。トーフみたいな家にローンだけは一人前。その一人前がほしいんだろ。

働いて主任になって、ブスでも奥さんがいて、振り向いたら鍋がこぼれるままごとのようなキッチンがあり、子どものおもちゃと区別つかない軽自動車があり、肩を細めてめしを食う。子供は5分で食って二階に行って降りてこない。

外面を気にするには何か足りない。あ、食洗器だ。ドラム式はあるし。

こうして貧乏人は墓穴を掘る。俺の勝手だという人がいる。それは違う。死ぬなら酸素の節約になるが、そういう生活はいかに無駄をしているか。貴重な資源を役立たない部類の人類が使っているか。バカは犯罪だ。勝手ではない。

食洗器は電熱器で乾かす。それ以上のものはない。1000ワット以上、15分。これを毎日続け年間2万円*5年使うと10万。どうせ修理能力はないから買い替え・・・これを繰り返すのは資源の無駄だろ。

 

 


ちゃんぽんはすべてを語る  2

2017年08月11日 | 食・レシピ

父親は女を作って出ていくし母親はこの時とばかり金を使った。ちょうど大学進学のときだった。

ぼくは、優れた頭脳と着実な努力の尊さが分かる人間だったので、絶望的な状況であったがよく努力して合格した。どうせカネは続かないから大学は中退だろうから、それまでに弁護士かできれば官僚になりたいと思っていた。

そんな時、祖母がなけなしの金をはたいて学費をつないでくれた。天から降りてきた蜘蛛の糸のようであり、そこらのめぐまれた人間を見るとても悔しかった。

人間とは不思議なもので、こういう不遇のときはよく努力する。官僚は忙しくない。一部の財務がどうのこうの言われるが、頭が悪いから処理速度が遅いだけで年中忙しいことはない。僕はもう一段ステップアップしようと思いさらに上位の試験にチャレンジしたが、ことごとく落ちた。

舐めていたのだ。一定の地位が確保されると潜在意識がささやく。もうこれでいいではないか。

そんな時は天神の食堂でアルバイトしていた時代を思い出すことにしている。便所に行くふりをして僕だけにわかるように書いたノートを覚えた。食事は最も早く食えるうどんにして勉強時間を確保した。

僕はしなくてもいい苦労をしているな、苦労なんてそもそもしないほうがいいんだ、そしてそんな日は来ないんだ、と思い続けていた。そんな思いでうどんを食ったからよくむせた。

野球とマージャンを知らない僕は女からバカにされた。

 

だから今でもうどんは嫌いだ。半分ぐらいしか食えない。万福うどんの大盛りは、いやな思い出が甦らない。いいうどんだ。

 

 


ちゃんぽんはすべてを語る

2017年07月23日 | 食・レシピ

で、今回はちゃんぽんは登場しない。昔、長崎でちゃんぽんを食った。今の値段は知らない。30年前だから。当時は約1000円。

長崎の友人がいった。長崎でちゃんぽん食うならリンガーハットよ。

なるほど、同感だ。昔、中華街に行ったら僕の子供たち(5歳、3歳)を見て、言葉遣いや行儀がよくいい子供たちだとほめてくれた人がいた。当たり前だ、僕が育てたのだから、漂う品の良さ、りりしい顔つき、父親に似た着眼点の良さ、控えめな態度、公共の場では走らない、食事は音を立てない、相手が聞き取れる最低限の音量で話す、・・・などは十分体得していた。さて少しづつ勉強を仕込むかという時期だった。

栴檀は双葉より芳し。

僕の子供をほめてくれた人が帰り際、子供たちに50円づつくれた。子供はどうしたらいいか心配そうに僕の顔を見た。兄は僕の許可を心から喜んだ。弟は、しっかり勉強しますと言ってもらった。人からものを貰ってはいけないと教えていたので例外中の例外の事件だ。子供たちは例外であることもよく自覚していた。今や当時の賑わいはない。

栴檀は双葉より芳し。

言い換えると、雑木は双葉より臭い。

案の定、小学校に入ると雑木は栴檀をいじめた。学校なんか人生のおまけだ。本質ではない。教育されてたまるか、という気概を持てといつも僕は言った。下賤の民のヒガミに負けるな。高貴であらねばならない。ノブレスオブリージュだ。生活保護をインチキして喜ぶ非民は、日本の文化を継がない。自覚と能力に欠けるからだ。

いじめ人殺しが野放しになるところに文化はない。モスルに何の文化が残ったか。「みんな楽しく」というウソつきの学校は迷惑だ。先生は現状を取り繕い子供は殺される。冗談じゃない。ちゃんとした私立に転校し上品さを失わずに今社会の中枢にいる。

 

そんな高貴な僕は、最近、「王将」という大衆がいく食堂に行ってみた。決していつも行くのではない。詳しいはずがない。庶民の外食の実情に触れようと思っただけだ。

僕は試しに行っただけです、みなさん。誤解なきよう。僕は高貴ですから。

この朝鮮式ご飯の盛り方は気に入った。これだけで長崎市はほぼ合格点。たぶん今後良い町として登場する。残念だな佐賀県。

酢豚は気取った店と異なり一個一個が大きい。上流の人間の口は小さい。丹念に作られた料理を食してきたからだ。不思議に僕は噛み応えに快感を感じた。

この中で絶品はスープ。塩分がどうしたとか騒ぐような非科学的無知蒙昧は嫌いだ。そいつらは小学校の時、石綿付き金網で遊んでいたくせに。僕はそれをアスベストというと思うが。オーガニックの野菜じゃないとかも言うな。さんざんスミチオンまみれの野菜を食ってきたくせに。

鶏ガラでだしをとるが、あまりに出すと味は骨に逆流する。その勘所がプロであり、高い料亭でたまに作る卓袱料理が非人道的な味になるのは、休みなく作り続けないから味が一定しないのだ、どんどん作らないと腕は鈍る。

僕はソフトバーテンをしていた(アルバイト)。それでも一日造らないと勘が狂ってお客さんからクレームが来た。

細いそうめんのような溶き卵は中華料理にはまれに美しい。

 

残念なことは、社長が射殺されてから材料が少なくなり値段が上がったこと。子供や女性にもっと細かい対応があったと思う。なんか工場の食堂のようで嫌だった。カバがマントヒヒを連れてきていると思ったら親子連れだった。いろいろあるが、長崎の主だった中華は行った、王将に勝てる店はない。

卓袱は主要三件に行った。個性はあるが共通点のほうが多い。高い。せかす。うまくない。研究してない。生徒だったら学籍簿の「向上心」の欄にCをつける。

食レポは犯罪的ウソを言う。

 

 


「祖先」(イタリア語)という名前のディナー店

2017年07月14日 | 食・レシピ

人生に一区切りついてやっと振り返る余裕ができた。

僕にとっては、人生というものがちょっときつすぎたなと思う。それでも僕より幸せな人が、要領よくこそこそ利権にしがみつく中、できる限り卑怯者、悪人をたたいてきたつもりだ。

そこで僕はプレゼントをもらっていいのではないかと考えた。人生のプレゼント。僕からのプレゼント。

僕はお店の紹介屋ではない。よくない店は皆さんが被害に遭わないよう詳しく書くが、美味しかったところは自らの努力で探すのが良い。いいとこどりをして食べログを見てどこか行こうというのは下賤の民のタダ精神、生活保護の不正受給と同じだ。

なあに、食い物屋ぐらいそんなにムキにならずともみんな美味しいところを紹介しあって…ばか。そんな酩酊した脳ではよい店に行きあたりもしない。

とんでもないことを考えるな。コース料理を考え商品、材料を選別し原価計算、仕込み、客をこっそり見て総合的に好みを判断し…と大変な作業をしているのだ。ところが、食堂のほとんどがいつの間にか消える。それは上の行に書いた研究心が足りないからだ。伝統とやらに甘んじ、独りよがりのおいしさに甘んじ、のぼせ上がった奴は私の味を理解しない客が悪いと言い出す始末。バカもここに極まる。

思い付きの、独りよがりの、悪い頭で始めた店もネットに載ると何とかなる。ただし半年ぐらい。生意気にも値段だけは一人まえだ。

そんな店をたまの休みに慌てて検索をかけ、いってみて失望する。バカはやめて自分の目と舌と足で探るべきだ。

確かにこの手の高級店は、気絶するほどのカネを取る。それがなんだ。うまくないラーメン200杯より、イタリアのディナーがいい。安いもんだ。

人のカネで交際費とかで料亭に行くやつらの舌に負けたくないものだ。現役時代は年を増すにつれ誰でもそうだが、お呼ばれの席が増える。それは卑怯な飯だ。どんなに高級でも乞食飯だ。退職してうれしかったのはもう乞食飯を食わなくてもよくなったことだ。

 

魚はイッサキが出た。ソテー。タイも少し。色合いを考えソースを考え皿に描かれている。野菜に隠れる姿は海藻の中にいるイッサキそのものだ。ライスボールはイカ墨で包んであった。いい発想だ。

日本料理は写実が基本であるのに対し、イタリアはデフォルメされシュールになり、そのものの姿はないがなぜか海やヒマワリや夏を感じた。一回二回じゃなく毎日盛り付けの発想を変えるには相当の修練がいる。

コースも半分を過ぎると、イベリコだ、とっておきのハムだ、黒毛何とかだと言われても、満腹中枢のAlartのが鳴り出した。マルゲリータはよしてパスタでよかったかも。

またどっさりのデザート。チョコが本物だ。粉っぽいし甘くないチョコはしばらくすると鼻腔に高級感を教えてくれる。皿が浅いのはゆっくり見て楽しんで食べるためだ。

 

貧乏人は食うのが早く、器も食いやすいように深く、炭水化物でごまかす食事は悲しいかな量が単調に多い。ここアンテエナートの皿はほぼ平面だがカトラリーは音を立てない。食堂はコンサートと似ている。みんなで作るものだ。だが個室はもっといい。夜がいい。僕は楽しみの半分ぐらいは帰りにいただくおみやげだ。

昼間の方も上品だ。見ただけで佐賀県の人ではないことが分かる。よい服と着こなし。両者を佐賀県でそろえることはできない。佐賀県が得意なのは当て逃げだ。

 

店の向かい側にある雑貨店は安売りの品があり女性には楽しいはずだ。old noritakeやルーマニアの花瓶があった。チャウチェスクの時代だ。僕は買わない。赤と緑のセットのコーヒーカップがあった。クルマの色もそうだが、絶妙な色は日本車にはない。永遠に無理だ。なぜなら違いが見えてないから。

食堂も同じだ。どんなにまねしようと思っても見えてないもの、味の違いを感じてないものはまねできない。

だからそこらのラーメン屋の婆がテレビを見ながら作ったラーメンが上品な空間のビシソワールをしのぐはずがない。

カップルで行けば万札では足りないが、それが男の甲斐性というもんだ。

静かだ。つまようじシーハシーハもいない。そこらの場末のモーテルに行くよりちゃんとした服を着てちゃんとした車で出かけるのはいかがかな。