以前栄えてところに住む人は、今は廃墟となっていてもそこにいた人が覚えた味覚、仕立てたシャツの心地よさ、をよくご存じである。
切羽の炭鉱夫はその町の市長以上の収入があり、全国から集まった風来坊は一晩でその給料を使った。電気、ガス、水道、風呂…すべてただなので炭鉱住宅の母ちゃんたちは旦那が50万を一晩で使ってきても心情は微動だにしなかった。
戦後すぐの時代に国鉄と炭鉱の職制の住宅にはクーラーが入った。僕はクーラー自体の存在をあり得ないものと思っていた。
だがその金を目指してこれまた全国から寄生虫が集まり、町はロバート=オーエンの夢のコミュニティが成立していたのだ。
今は生活保護の不正と、弱者を脅して得たでっち上げの交通事故示談金で食っていても、体は絹のシャツのすばらしさを忘れていない。
バブルは、僕は多いに評価している。ただ体が覚えこむには短すぎた。弾けるとともに貧乏人はすぐ元の貧乏に戻った。
明治から続いた炭鉱は、いっぽうで花と龍の刃傷沙汰の世界を残しつつ、また一方で本物を感じる貴重な触角を落ちぶれて居残る住民に残した。
ただ歩いていても因縁をつけられ、この時代にクルマのあたり屋がいて、脅せばいくらでも金を出す行政がいた。
だがその一切がどうでもいいことだ。生命力のない人間は亡びる。元炭鉱では少ないパイを食い合っているので生存競争が激しいのだ。しかも教育の機会に恵まれず親も教育を受けてなかったので教育に関心がなかった。ずるく良心のかけた住民同士がいがみ合って生きることとなった。
だから何だ。
非能率企業が競争から落後するように非能率人間が消滅する社会のどこが悪い。非能率チンピラを生活保護などで温存する政策は、いけないDNAを温存繁殖させることになる。
だがケーキ、まんじゅう、すし、ステーキ。かつての繁栄を感じるものは多い。
今日は高専ダゴ。高専の生徒さん用にボリュームのあるお好み焼きが誕生した。以前書いたが、今回は本店に行った。
テキパキさばけるおばちゃんがいて、その人一人で切り盛りしていた。ほかの人は話しかけたら手が必ず止まった。
ワイルドなテーブル。一部そと。物は言いようだ。Open terraceにしとこう。一瞬韓国かと思った。
超ド級の四角いお好み焼き。3人分、二人で半分も食べきれないが2000円はるか以下だ。持ち帰ってチンしたら同じ味がする。
忽那汐里主演の開局80周年記念ドラマ「見知らぬわが町」。この店で撮影された。
このダゴのうまさは以前書いたので、今回はその大きさ。右下にFIATのキーを置いた。超弩級だ。
豪快で、悪質で、カネのためには何でもするここの男たちは、大好きだ。みんな優しい。