京の四季 名勝散策 写真集

京都の観光、散策の参考にしていただければ幸いに思います。

東山七条 法住寺 吊り雛展 03/02/2010

2010年03月07日 | 洛東 東山 清水寺方面

           法住寺は、東山七条の三十三間堂の東隣にあり天台宗の寺院です。平安時代中期に藤原為光によって創設され、その
           後院政期にはこの寺を中心に後白河上皇の宮廷「法住寺殿」がいとなまれました。法住寺殿が木曾義仲によって焼き討
           ちされ、数年を経て後白河上皇もなくなると、法住寺は後白河上皇の御陵をまもる寺として江戸時代末期まで存続、明治
           期に御陵と寺が分離され現在にいたっております。










           
           山門南側の竜宮門 手前の紅梅が見頃を向えております。







           
           3月2日に伺いましたら、ちょうど吊り雛展が催されておりました。





                          








           
           山門を入り正面の書院玄関、ここで吊り雛展が催されております。







           
           山門横の枝垂れ梅







           
           阿弥陀堂と白梅が満開でした。







           








           








           
           御本尊の身代り不動明王が祀られている本堂。『身代不動明王(みがわりふどうみょうおう)』像は、平安期の作風とされ、
           この不動像は寺伝では慈覚大師が造立したといわれ、後白河上皇の信仰も篤かったものです。義仲の放火のさいに、
           上皇の身代わりとなったと伝えられており、現在も毎年11月15日には不動会(ふどうえ)がいとなまれております。







                     
                     護摩供養が行われる時は、この石庭のところで護摩焚きが行われるそうです。







           








           








           








                     








           








           










           








           
           書院玄関を入りますと中国の翡翠の彫刻がなされた衝立が迎えてくれます。







           








                     
                     最初の部屋には、七段飾りの雛壇と、天井からは伊豆・稲取地方の吊り雛がさがっており
                     ます。







           
           二部屋目は、仏壇の前に洋人形が並んでおります。







           








           








           








           
           奥の間には、二人雛や貝合せ吊り雛などあでやかな飾り付けがなされておりました。







                     
                     伊豆稲取が発祥の吊り雛は、江戸時代から伝わる風習で、土地の方が一つ一つに願いを
                     込め手作りされるそうです。
                     下がっている一つ一つが縁起物で、ももは邪気を払い延命長寿、猿は厄や災いが去る、這
                     い子人形は健やかな成長、巾着はお金が集り、うさぎは赤い目には呪力があり病気を治し
                     神様のお使いとも云われ、ほおずきは女性のお守りで安産や薬効の意味があり、羽子板は
                     厄を飛ばし、俵ねずみ・ねずみは金運・霊力があり大黒様のお使いで多産でマメな働き者に
                     なるようにと、すべての物に願いがこもっており、親から子へ子から孫へと受け継がれてゆき
                     ます。
            



           








                     
           この日、伺いました時にみえてたお客さんの中に、お雛様の並べ方にとても詳しい方が居られ位置が間違っている箇所を
           お寺の方に説明されておられました。横で聞かせていただきなるほどなと感心してしまいました。
           最初の頃は(明治以前)「男雛が左、その右手側に女雛」でした。
           論語に「天子南面」という言葉がありますが、これは皇帝などの偉人は南に向いて座り、北面は臣従することを意味してい
           ます。また、南に向いたときに日の出の方角(東。つまり左手側)が上座で、日没の方向(西。つまり右手側)が下座とされ
           ていました。

           この考え方は雛人形にも当てはまり、本来は「男雛が左、その右手側に女雛」を飾ることが当然でした。ちなみに、この「日
           の出=東=左優位」の考えは、「左大臣と右大臣では左大臣のほうが上位」、「今日の地図では東=右、西=左なのに、
           京都では(御所を中心として南側を向いて座ると)東=左京、西=右京である」など、古代日本には沢山の例があります。

           しかし現在では、雛人形売り場を見てみると、そのほとんどが「男雛が右、その左手側に女雛」。当初とは逆の配置になっ
           ております。それは、プロトコール(国際儀礼)が右上位だったため、昭和天皇の即位の礼が催されたときに、プロトコールに
           従い「天皇が右、その左手側に皇后」が並ばれたことからきています。また、かつて掲げられていた御真影(天皇皇后両陛
           下のお写真)もプロトコールに従った並び方だったため、関東の雛人形業界では、それまでとは反対の並び方にしたのです。

           尚、全国一律に変わってしまったわけではありません。現在でも、伝統を重んじる京都では、本来の「男雛が左、その右手
           側に女雛」とするところが多く見られます。

           ちなみに、五人囃子は向って左側から音の大きい楽器を持った方から並ぶそうで、太鼓・おお皮・鼓・笛の順らしいです。






           
           書院と阿弥陀堂の間にある中庭で、手前の枝が槙で向うが松です。







           
           阿弥陀堂への渡り廊下と東庭。




   

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京都霊山 護国神社 坂本龍馬墓所 01/19/2010

2010年01月23日 | 洛東 東山 清水寺方面

         1868年 (明治元年)5月10日、明治天皇から維新を目前にして倒れた志士たち(天誅組など)の御霊を奉祀するために、
        京都・東山の霊山の佳域社を創建せよとの詔・御沙汰が発せられ、それに感激した京都の公家や山口・高知・福井・鳥取・
        熊本などの諸藩が相計らい京都の霊山の山頂にそれぞれの祠宇を建立したのが神社創建のはじまりであり、日本初の
        招魂社であります。         









        
        東大路通りから高台寺に向かう参道を上り、突き当りの東山の山麓に位置しております。







        
        祭神の中には京都で暗殺された坂本龍馬も含まれており、境内に銅像が作られているほか、誕生日であり命日でもある
        11月15日には、龍馬の遺徳を偲び霊を慰める龍馬祭が行われます。(誕生日・命日は本来は旧暦11月15日ですが、祭
        は新暦11月15日に行われます。)












        
        龍馬のほかに、中岡慎太郎、頼三樹三郎、梅田雲浜、吉村寅太郎、平野国臣、久坂玄瑞ら幕末勤王の志士1,356柱と
        明治以降の日清戦争、日露戦争、太平洋戦争などの戦死者を合わせ約73、000柱が祭神として祀られております。








                     









        
        本殿の右手(東側)に墓所への入り口があり、電車の自動改札機のような機械に300円を投入するとゲートが開きます。








        
        木戸孝允(桂小五郎)勅撰碑








        









                  
                  坂本龍馬、中岡慎太郎の墓石は案外山腹の下の方にあり、この階段を上った所にあります。








        
        階段を上りきる途中にある昭和の社








        
        その上が、展望台も備え付けられた墓前になります。








        
        鳥居の向こう、左側が坂本龍馬、右側が中岡慎太郎の墓石です。








        
        熱烈な龍馬ファンの方のお参りが後を絶たないため、ここの前だけは生花やお供え物が切れることは無いそうです。








        
        墓前の展望台からの眺めです。 140年の間、命を懸けた改革後の日本をどんな思いで見つめているのでしょうか? 
        現在の政治家にも坂本龍馬のような国の行く先をきちっと見据え、国民の為に汗できる大志を持った方にリーダーになっ
        て欲しいものです。








        
        墓前には、お参りされた方々の思いを書き綴った石板が、奉納されております。








        
        墓所右手の銅像 京都市内を見守っているようですが、憂いていることだと思います。








                       









                       









        
        坂本龍馬・中岡慎太郎の墓所の後方、池田屋騒動殉難烈士の墓








                         


                       
                       お供えのチョコレートを器用に袋を破って食べておりました。











        
        禁門の変殉難烈士の墓 禁門の変で長州藩は、倒幕運動の拠点として1864年大挙して蛤御門で幕府軍と戦いました。
        この戦いはまれにみる激しい戦いで京都の町811町、三万戸の民家が焼失したほどです。この戦いで、福岡久留米藩の
        真木和泉守に率いられた長州軍は、多数の優秀な人材を失い大きな打撃を受けました。






        
        禁門の変殉難烈士の墓








        









                            









        









        
        護国神社の一番高台にある長州藩士、木戸孝允の墓石 墓石には、「内閣顧問勲一等贈正二位木戸孝允之墓」の文字
        が刻まれております。








        
        手前の墓石が木戸孝允の妻、幾松の墓で二人並んで建てられております。








        









        









        









        









        









        









        









        


                       
                       護国神社の南側にある霊山(りょうぜん)歴史館








           
        NHKの大河ドラマの影響もあり、平日でも結構な人出で賑っておりました。








        
        以下の写真は、入場料700円で頂けるパンフレットの転載です。








        









        









        









                  









        
        車でお越しの方は、歴史館には駐車場が7台分位しか無く護国神社には駐車場が無いため高台寺の駐車場をお勧めし
        ますが、土日や三月下旬以降はこのあたりは、車で来られると相当な時間ロスをいたしますので、ご注意ください。



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音羽山 清水寺  09/11/29

2009年12月11日 | 洛東 東山 清水寺方面

        紅葉真っ盛りの29日の日曜に無謀にも清水さんの成就院へ用事があり伺ってきました。茶碗坂をタクシーで上りましたの
        で、思ったほどの人出が無くスムーズに着いてくれました。  茶碗坂からの仁王門







        
        仁王門の前を左に入り大講堂の横を通り成就院に向かいます。








                  
                  仁王門の東側の三重の塔








        
        突き当りを左に曲れば成就院です。  








        
        成就院前の池です。








        









        
        紅葉の期間中、特別公開をなさっておられるので「月の庭」も見せていただきました。








        
        成就院の庭園は、相阿弥原作・小堀遠州の補修とも、松永貞徳の作とも伝えられる江戸時代初期を代表する名庭で国
        の「名勝」に指定されております。 この庭園は、月の成就院庭園と賞され、月明かりで見るととても素晴らしいと言われ
        ております。 公開期間中は写真撮影が出来ませんので、今年の五月に伺った時の物をアップしました。 池の向うに見
        えるもみじが、綺麗に色付いておりました。








        









        
        用事が済み、時間もありましたので中に入ろうとしましたが、有料エリアは人混みで一杯でしたので外側を少し歩いて来
        ました。








        









        









        









                  
                  三重塔 平安初期847年創建と伝えられ、現塔は寛永9年(1632)の再建されたものです。
                  日本最大級の三重塔で高さ31メートル弱あります。 一重内部に大日如来像を祀り、四周
                  の壁に真言八祖像を描き、天井・柱など密教仏画や飛天・竜らの極彩色で荘厳されており
                  ます。









        
        随求堂(ずいぐどう) 仁王門を入って正面の建物です。 塔頭慈心院の本堂で、享保3年(1718)再興され、本尊に、
        衆生の願い・求めにすぐに 随って、すべて叶えてくれるという大功徳をもつ随求菩薩(ずいぐぼさつ)[秘仏]が祀られてお
        ります。






        








        
        鐘楼(しょうろう)右側と仁王門 鐘楼は、慶長12年(1607)の再建で、2.3トンの重い梵鐘を吊るために六本柱で支えられ
        ております。







                  









        









                  









                  









        









        









        









                  
                  帰り道の門前町の人混みです。        

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高台寺 圓徳院 ライトアップ 09/11/10

2009年11月15日 | 洛東 東山 清水寺方面

      高台寺・圓徳院 秋の特別拝観とライトアップ。 期間は平成21年10月23日(金)~12月6日(日)です。 
      ねねの道に面する入り口の長屋門

      桃山時代を代表する画家、長谷川等伯の襖絵「山水図」32面(重要文化財)を公開しています。圓徳院での公開はこれが
      最後となります。
  
      午前10時~午後9時30分まで受付/午後10時閉門(日没後ライトアップ)





      
      圓徳院は、豊臣秀吉の妻、北政所ねね終焉(しゅうえん)の地です。その由来と関連年譜を紹介します。
      (圓徳院ホームページより)唐門前に咲く石蕗(つわぶき)の花

      豊臣秀吉の没後、その妻北政所ねねは「高台院」の号を勅賜されたのを機縁に高台寺建立を発願し、慶長10(1605)年、
      秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿とその前庭を山内に移築して移り住みました。




      
      それ以来、大名、禅僧、茶人、歌人、画家、陶芸家等多くの文化が、北政所を慕って訪れたと伝えられています。
      ねね58歳の時のことです。 これが今日の圓徳院の起こりです。ねねは77歳で没するまで19年間この地で余生を送り、
      ここは北政所の終焉の地となりました。 唐門を入ったところの豊臣秀吉好みの手水鉢
 




      
      そのねねを支えていたのが、兄の木下家定とその次男の利房です。圓徳院は利房の手により、高台寺の三江和尚を
      開基に、木下家の菩提寺として開れ、高台寺の塔頭とされました。寛永9年、ねねの没後9年目のことです。









      









      
      今年のライトアップテーマは「こころの宙(そら)」。








      
      方丈南庭園









      









      
      方丈西側の小部屋






      
      真新しい襖絵







                    









                
                方丈と政所窯の間の「ねねの小径」石塀小路に抜けられます。








      
      方丈から渡り廊下で北書院の入り口へ。








      
      北書院庭園








      
      10日現在のもみじの色付き具合は、まだ三分と言ったところです。








                









      
      茶室前の桧垣の手水鉢 宝塔の笠を利用し、笠石を横にして、その面を凹字形に切り取り手水鉢としたものです。
      笠石は室町時代の作と考えられています。









      









      









      
      平日の雨降りの9時過ぎに行きましたので、貸切状態で贅沢をさせていただきました。








      









                
                雨が降っておりましたので、フラッシュが雨粒に反射してしまいました。








      









                
                庭園を出たところの石碑ですが、暗くて読めませんでした。








      
      庭園を出て右手(西側)にある三面大黒天神、三面とは(大黒天・毘沙門天・弁財天)が一体になった仏像のことです。








      
      ねねの道から見た大黒天入り口、中には観光客に人気のある都路里のカフェもあります。


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高台寺 ねねの道 石塀小路

2009年10月03日 | 洛東 東山 清水寺方面

      石塀小路は、圓徳院の南側にある小路で、ねねの道から下河原通りにかけ東西に二本南北に一本通っており旅館や
      料理屋、カフェや喫茶店などが赴きのある通りに佇んでおります。
      写真はねねの道を清水側から八坂方面を写したもので、石塀小路の入り口の「波ぎ」さんです。小物やガラス工芸品の
      ギャラリーになっている、洒落たお店です。








                
                石塀小路は、大正時代に整備されたと言われており街燈は大正ロマンを漂わせております。








      
      入ってすぐの右手(北側)は、京料理の「竹中」左手は、旅館「中川」です。








      
      京料理「竹中」の玄関








                
                中川の並びのカフェ「デュ・ラン」喫茶や軽食もあります。庭園を眺めながら夜は、BARもな
                されてたように記憶しております。








                









                    

                    
                    「デュ・ラン」の玄関







      
      「デュ・ラン」から北西に斜めに小路が続きます。








      
      お茶屋Bar「よし本」和服のお母さんが接客していただける、Barですが、紹介が無いと入れないお客さんのプライベートを
      守る祇園のシステムが生きております。








      
      喫茶「いし塀」常連客らしい方々で賑っておりました。写真の奥(東側)は突き当たりになっております。








                    









      
      突き当りを左(西側)に折れますと、名前の由来の石塀が下河原まで続きます。石塀小路が整備された目的は、貸席を
      兼ね備えた高級な貸家街として計画し開発されたものだそうで、高級感を出すために石畳の道もこの石垣も計算されて
      統一性をだし造られたそうです。

                    









                          
                          宿「寿栄屋」








      









      
      宿「寿栄屋」を少し西に行きますと、北に上がる道があり石塀小路の北側を東西に抜ける道に繋がります。北西角には、
      旅館「田舎亭」があります。こちらの旅館は片泊まり(宿泊・朝食のみ)の旅館で料金もリーズナブル(¥8500~)になっ
      ております。









      
      旅館「玉半」 石塀小路に何軒もある旅館の中でも高級旅館です。夕食付と無しを選択できますが、各室お一人様¥23
      000~¥70000まであり、一室お一人の利用の場合¥35000となり、夕食無しの場合は、室料の20%引きになってます。

                    









      
      今来た道を下河原通から見るとこんな景色です。 右側の石塀と行灯が玉半です。








                          
                          上の写真の北側(八坂神社寄り)の入り口です。








      
      南側の小路より幅が少し狭くなっており、少し進むと石塀の景観が現れます。








      
      小路を入り、すぐ南側に蔵を改装したシェリー専門のBar「しぇりークラブ」があります。








                
                真っ直ぐに東に進みますと突き当たりの手前北側にあるカフェ・ダイニング・Bar「紅蝙蝠」です。







      









      
      「紅蝙蝠」の南側に田舎亭のところに抜ける南北の通りがあり南に下がって西側に創作イタリアンの「イル・ピンパンテ」
      があります。ランチの営業もありランチコース¥2940~ディナーコース¥5775~となっております。








      
      「イル・ピンパンテ」の南隣、ギャラリー「和田」です。

                    









      
      ギャラリー「和田」の向かい側は、レンガ塀になっておりますが、圓徳院の敷地になります。







      
      ねねの小径 この道を進みますと、圓徳院の三面大黒天前の「京・洛市 ねね」のショップにつながります。








                          
                          圓徳院の方丈東側の会員専用書院入り口です。










                









                








                    

                    








      









      
      ショップを抜けこの門を出ますと、もとのねねの道に戻ってきます。









      
      写真は、清水寺方面です。








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高台寺 圓徳院 09/09/18

2009年09月30日 | 洛東 東山 清水寺方面

      高台寺の塔頭圓徳院は、豊臣秀吉の妻、北政所ねね終焉(しゅうえん)の地であり、豊臣秀吉の没後、その妻北政所
      ねねは「高台院」の号を勅賜されたのを機縁に1605年、秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿とその前庭を山内に移築
      して移り住みました。

      長屋門造りの正門
 





      
      それ以来、大名、禅僧、茶人、歌人、画家、陶芸家等多くの文化人が、北政所を慕って訪れたと伝えられています。ねね
      58歳の時のことです。 これが今日の圓徳院の起こりです。ねねは77歳で没するまで19年間この地で余生を送り、ここは
      北政所の終焉の地となりました。
       








      
      そのねねを支えていたのが、兄の木下家定とその次男の利房です。圓徳院は利房の手により、高台寺の三江和尚を開
      基に、木下家の菩提寺として開かれ、高台寺の塔頭とされました。寛永9年、ねねの没後9年目のことです。








                
                唐門                 








      
      唐門を入ったところ右手にある手水鉢

                    









      
      方丈








      
      方丈内部は、撮影禁止になっておりますので、下の写真はパンフレットから転載しました。








                     
                    松竹梅図襖 木下育應作

                    
                    雪月花図襖 志村 正作









      
      方丈南庭 徳村宗悦氏作








      









      









                    







                         
                         方丈から北書院に向かう廊下です。






                    
                    北書院入り口








      
      名勝 北庭園 もともと伏見城北政所化粧御殿の前庭を移したもので、当時の原型をほぼそのままに留める桃山時代の
      代表的庭園のひとつで、賢庭作で後に小堀遠州が手を加えたものです。池泉回遊式ですが枯山水となっています。
      原点となるのは東北部で、枯滝石組を構成し、築山を中心にして左右に多数の石組を二等辺三角形にまとめて数群展開
      させ、あるいは蓬莱石組を作っています。








      









      
      桧垣の手水鉢  宝塔の笠を利用し、笠石を横にして、その面を凹字形に切り取り手水鉢としたものです。笠石は室町時
      代の作と考えられており、北書院脇の茶室のそばにあります。









                    









      
      青毛氈の席では、お抹茶がいただけます。(有料)








      









                
                北書院 床の間に掛かる北の政所のお軸







                
                秀吉の側室 茶々








      
      北書院南側の小部屋








                    








      









      
      三面大黒天 圓徳院の北側に、秀吉が出世時代に念持仏とした三面大黒天が祀られております。
      北政所がこの地に祀ったものであり、大黒天、弁財天、毘沙門天の三面を併せ持ち、一 つの仏様を拝むことによって三
      尊のご利益を得るという、秀吉らしい信仰であります。今日では、大黒天は福の神、弁財天は学問、毘沙門天は勝利 と
      子宝の神として、信仰を集めております。










                









      
      三面大黒天の向かい側(南側)には、京・洛市「ねね」があり、お土産や都路里の甘味処などがあり観光客で賑っており
      ます。








      
       三面大黒天を祀る堂の東側に歌仙堂がある。歌仙堂は長嘯子(ちょうしょうし)を祀り、もと霊山(高台寺の東の山)にあっ
      たものを木下家の関係でここに移築した。長嘯子(若狭藩主だった勝俊)は木下家定の甥、すなわち北政所の甥で 歌聖
      として知られておりました。なお歌仙堂は、詩仙堂、雅仙堂と合わせ、京都の三堂といわれる堂で、詩歌を志す人の信仰
      を集めております。









      
      ねねの道から三面大黒天に出入りできる大黒門 三面大黒天は、圓徳院を拝観しなくてもこの門から自由にお参りでき
      ます。 








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東山 高台寺 前編 09/09/18

2009年09月27日 | 洛東 東山 清水寺方面

      高台寺(こうだいじ)は臨済宗建仁寺派の寺院で、山号は鷲峰山(じゅぶさん)、寺号は詳しくは高台寿聖禅寺と称します。
      豊臣秀吉の正室である北政所(高台院)が秀吉の冥福を祈るため建立した寺院であり、寺号は北政所の院号である高台
      院にちなんで名付けられました。釈迦如来を本尊とする禅宗寺院であるとともに、秀吉と北政所を祀る霊廟としての性格を
      もった寺院です。

      









      









      
      ねねの道から参道を登っていくと山門があります。








                          









      
      豊臣秀吉が病死したのは 1598年で、秀吉の正室である北政所(ねね、出家後は高台院湖月尼)は秀吉の菩提を弔う
      ための寺院の建立を発願し、現在地に建立することになりました。秀吉没後の権力者となった徳川家康は、当時の政治
      的配慮から北政所を手厚く扱い、多大なの財政的援助を行ったので、寺観は壮麗をきわめました。








         









      









      
      拝観入り口のある庫裏の正面








      
      庫裏の手前、東側(右手)の唐門と方丈庭園にある枝垂桜








      
      庫裏の玄関 ここからは入れませんので、左手に門があり受付があります。








      









                    
                    拝観受付 塔頭の圓徳院とセットで買うと200円お徳で絵葉書がいただけます。








      
      土蔵








      









                
                土蔵を右に曲りますと湖月庵があります。湖月庵の東側には高台寺を代表する鬼瓦席茶
                室がありますが、拝観は出来ません。








                









      
      遺芳庵(いほうあん)茶席 灰屋紹益と吉野太夫との好みの茶席であり鬼瓦席と共に高台寺を代表する茶席として知ら
      れております。








      









      









      
      遺芳庵(いほうあん)茶席の南側、書院の北庭園








      
      書院から開山堂に続く回廊








                         


   






                
                現在、書院で仏教彫刻展が開催されていおります。








      
      方丈庭園と勅使門、右手が枝垂桜、春先にはライトアップも行われます。








      
      左前方には、霊山観音がうかがえます。








      









      
      方丈から望む、開山堂








      









      
      回廊の中央の檜皮葺の四本柱の建物は、観月をするための観月台です。








      









      
      観月台と開山堂








      









      
      方丈庭園と勅使門








      
      方丈 方丈と傘亭・時雨亭茶室などは伏見城から移築したものだそうです。








      
      方丈東側より土塀を出たところの開山堂と霊屋(みたまや)に向かう参道、右手はお茶席の雲居庵








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東山 高台寺 後編 09/09/18

2009年09月27日 | 洛東 東山 清水寺方面

      開山堂への入り口の中門








      
      開山堂は書院の東方、庭園内に建つ入母屋造本瓦葺きの禅宗様の仏堂で、1605年の建築されました。
      お堂、東側は臥龍池(がりゅうち)です。








      
      元来、北政所の持仏堂だったものですが、その後、中興開山の三江紹益の木像を祀る堂となっており、堂内は中央奥に
      三江紹益像、向かって右に北政所の兄の木下家定とその妻・雲照院の像、左に高台寺の普請に尽力した堀直政の木像
      を安置しております。
      高台寺は、書院・方丈・開山堂・霊屋・傘亭など各ポイントに女性の説明員を配置されており、とても親切な寺院です。







                    
                    この堂の天井は、入ったところが秀吉の御座舟の天井と、その奥(写真)
                    北政所の御所車の天井を用いたものといわれております。       









                
                臥龍廊(がりょうろう)開山堂と霊屋(おたまや)を結ぶ屋根付きの階段で、屋根が龍の背に
                似ているところからこの名が付けられております。









      
      開山堂の東側の臥龍池








      
      観月台(重要文化財)-書院と開山堂を結ぶ屋根つき廊の途中にある小規模な建築である。ここから北政所は亡き秀吉
      をしのびながら月を眺めたといい伝えられ、観月台のある開山堂西側の池は 偃月池(えんげつち)といいます。







      
      開山堂から見た方丈 偃月(えんげつ)とは、半月よりやや細い月のことを言い、弓張り月ともいいます。








      









      
      開山堂をでたところのお茶席の雲居庵








                    
                    霊屋(みたまや)への参道








      
      霊屋(みたまや) 開山堂の西方、一段高くなった敷地に建つ、檜皮葺きの堂で1605年の建築です。内部は中央の厨子
      に大随求菩薩(だいずいぐぼさつ)像を安置し、向かって右の厨子には豊臣秀吉の坐像、左の厨子には正室・北政所の
      片膝立の木像がそれぞれ安置されております。







                         




      









                    


        
      厨子の扉には秋草、松竹など、須弥壇には楽器などの蒔絵が施されており、厨子の目立たぬところに蒔絵の作者の名が
      描かれており、これらを高台寺蒔絵と称しております。








                
                霊屋から見た臥龍廊(がりょうろう)








                









      
      傘亭 霊屋からさらに東に階段を登りますと、千利休の意匠による茶室の傘亭と時雨亭があります。両茶室共に伏見城
      から移築されたものです。








                
                時雨亭








      









      
      傘亭は、竹が放射状に組まれ、唐傘を開けたように見えることからこの名がありますが、正式名称は、安閑窟(あんかん
      くつ)といいます。 写真手前の入り口は、船で出入りできるように設計されてるとの説明をうけました。








                            
                            パンフレットより








      
      傘亭と時雨亭は土間廊下で繋がっており、ここにも説明係りの方が説明してくださいます。
      時雨亭は、茶室では珍しい二階建てになっております。







                    









      
      境内の中では、この茶室が一番高台にありますので、あとは竹林を通り下ってゆきます。








                









      









      









      
      開山堂の中門前にあるお茶席の雲居庵です。








                









      
      開山堂の中門








                









      
      境内を一周してまいりここが出口となります。 真っ直ぐ進むと山門があり山門を抜けるとねねの道を挟み塔頭の圓徳院
      があります。







      
      勅使門








                     









      
      山門南側の鐘楼








      
      鐘楼東側の天満宮








      
      天満宮前のお牛様








      
      霊山観音の入り口もここにあります。








      









      









                          










            

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清水寺塔頭 成就院 2009/05/31

2009年06月03日 | 洛東 東山 清水寺方面

      毎年、何度となく寄せていただく成就院さんにお客さんの会合でお邪魔しました。  本来は、33年に一度しか御開帳な
      されない御本尊の千手観音の特別拝観の最終日だったので、特別にお参りさせていただきました。 次の御開帳は24
      年後と言うことになります。今回の御開帳は、西国三十三所観音霊場巡りを中興された花山法皇様の一千年大遠忌に
      あたる平成20年に三十三所の観音霊場がこぞって御本尊の御開帳を行い、その一環として昨年秋と今年の春の特別
      御開帳となりました。








      
      成就院は、清水寺の塔頭の一つで、室町時代、応仁の乱の兵火にあった清水寺を復興した願阿上人によって創建され、
      以後、清水寺の本願職を伝統いたしました。現在の建物は、徳川三代将軍家光公が1639年に再建したものです。





      
      成就院の庭園は、相阿弥原作・小堀遠州の補修とも、松永貞徳の作とも伝えられる江戸時代初期を代表する名庭で国
      の「名勝」に指定されております。







               
               庭園の面積は焼く1500平方㍍でさほど広くはありませんが、正面の高台寺山を大きく借景
               し山中に一基の石灯篭を立てて巧みに遠近法を活用して庭と周囲の山景とを結びつけ、
               庭に無限の広大さを感じさせてくれます。




      
      縁先の誰ガ袖(たがそで)手水鉢は、豊臣秀吉の寄進と伝えられております。 お家の方による、一輪の皐月が心憎いです。







      









                       
                       池右端の手鞠灯篭








                    









               









               
               縁側から左手に回ると、西庭がありもう一つの手水鉢が鎮座しております。その手前の
               二本の竹筒からは、水琴窟からの音色が聞こえてまいります。ここにも一輪の皐月が。





      
      西庭 








      
      上の写真の右側の形としては珍しい三角灯篭








               
               西庭、手水鉢の後ろに繁る樫の木








               
               庭園東側、音羽山腹には四角形や円形に刈り込まれた樹木が幾十にも重なり、その上に
               位置する護摩堂(持仏堂)は東福門院の寄進で本尊十一面千手観音・不動明王はじめ幕
               末、西郷隆盛らと国事に活躍した月照・信海の兄弟上人ほか歴代住職が祀られております。




                    









      
      池泉中央、中島の烏帽子石(えぼし)と蜻蛉灯篭(かげろう)








      
      この庭園は、月の成就院庭園と賞され、月明かりで見るととても素晴らしいと言われておりますが、本日は月の姿が見えませんでした。


      庭園公開は、年二回春と秋になります。秋は夜間拝観となりますので、ライトアップはされておりますが、月明かりの下眺める機会に恵まれるかもしれません。 それ以外にも定期観光バスなどでコースに入っている事が有りますので観光ガイドなどで調べてみてください。

      成就院の皆さん遅くまでありがとうございました。

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清水寺 御本尊御開帳 2009/03/30

2009年03月31日 | 洛東 東山 清水寺方面

      年間400万人の参拝者を誇る清水寺で今、御本尊御開帳が行われております。

      期間は、21年3月1日~5月31日までとなっております。

      本来は、33年に一度しか御開帳は行われませんが、この度は西国三十三所観音霊場巡りを中興された花山法皇様の
      一千年大遠忌にあたる平成二十年に、三十三所の観音霊場がこぞって、御慶賛の秘仏御本尊を御開帳することになり
      ましたので、清水寺でも他の霊場とともに、今回、特別に御開帳することとなり、上記の期間中御開帳なされてます。

      清水寺発行の御本尊御開帳パンフレットより

      清水寺ホームページ http://www.kiyomizudera.or.jp/










      
      御本尊特別御開帳

      御開帳とは、寺院で通常は、お厨子(ずし)の中に秘仏として安置されている御本尊を、特別の期間、お厨子の扉を開き、
      ご参詣くださる人々に拝観していただき、悟り・成仏の因縁を結んでいただく、ありがたい行事を言います。

      お厨子の扉を開くため、御開扉とも言います。
      清水寺では、観音菩薩が衆生の身の上に応じて、三十三身に姿を変え、悩み苦しむ衆生をお救い下されると説かれて
      いる『観音経』に基づいて、御本尊の十一面千手観音様を三十三年に一度、御開帳する習わしで、平成十二年に
      御開帳されました。









                
                先週寒い日が続いておりましたので、開花予想より少し遅れております。 
                境内の何本かは開花しておりますが、蕾がほとんどです。来週あたりから
                見頃に入ると思います。
     







                    
                    参拝入り口の手水場です。

                    









    
雷神                          清水型十一面千手観音像            風神

清水寺のご本尊は、本堂内々陣の国宝須彌壇(しゅみだん)の中央に安置されているお厨子内に、秘仏として祀られており、普段は厨子
前に立つ御前立ち像を拝みます。
一般の四十二臂千手観音像と違い、二臂を高々と頭上に挙げ、組んだ掌の上に一体の小如来化仏を戴く、清水寺独特の『清水型』という
お姿で、衆生を一人残らず救い尽くして成仏させようという、殊勝な大悲救世の誓願を表明されておられます。

なお、左右に脇侍地蔵菩薩・毘沙門天、二十八部衆と風神・雷神を従えます。

写真は、御前立ちの像







      
      御本尊の脇を固める毘沙門天と二十八部衆   現実に見た本物は、迫力に溢れ圧巻されまた。







                    
                    御本尊を参拝し出てきたところに大黒さんが居られます。 今年何十年か
                    振りに塗り直されたもので、美しく輝いて居られました。








                    
                    御本尊を拝観し出てきた所に、武蔵坊弁慶の如意棒と下駄が見られます。









      
      本堂の舞台の東側は、まだちらほら状態です。







      
      縁結び地主神社

      清水寺の中にありますが、全然関係の無い神社だそうです。
      石と石の間何メートルかを目を瞑って歩いて片方の石にたどり着けば、その人と縁が結ばれると言われており、若い
      女性で賑わっております。







                    
                    現在こちらの三重塔は、修復中でカバーが掛かっております。








      
      阿弥陀堂の手前、東の山手にある百体地蔵堂









      









      
      阿弥陀堂と奥之院の間を入り奥之院の裏手に『ぬれ手観音』様がひっそりと佇んでおられます。
      手前にある蹲(つくばい)で柄杓に水を汲み観音様に掛けてから願い事を致します。
      とても綺麗で優しい顔をされている観音様で清水の中でもとても強い『気』が集まっている場所だそうです。

      是非一度、お参りしてみてください。
      誰かに案内いただかないと、見過ごしてしまいそうなところでした。









                    
                    ぬれ手観音 
                    柄杓でお水を掛けてあげ、正面から拝んでください。









                    
                    奥之院南側に祀られている夜叉神








      
      ぬれ手観音様をお参りして、奥之院の裏を回ってくると建物の南側に『夜叉神』が祀られております。
      夜叉神は、良縁を結び悪縁を絶つと言われておりますので、是非悪縁を絶ちたい方はお参りしてみて下さい。
      








                    









      
      奥之院を一周回って表に回りますと、『ふれ愛観音』様がおられます。
      この観音様は、目の不自由な方にも手で触れていただき観音様をじかに感じていただこうと言う物です。

      何とも愛くるしい観音様で温かみが伝わってまいりました。

      作者は、元東京芸大の名誉教授、故西村公朝さんだそうで、日本の仏像修復の専門家だった方です。










                    









                    
                    まだ椿も残ってました。








      









                    
                    定番の音羽の滝には、何時ものように長蛇の列が出来ておりました。
                    この柄杓は、使うたびに殺菌が施される様になっております。








      









      
      木蓮もまだ残ってましたが、花が茶色くなり散る寸前でした。








      









                
                境内を一周いたしまして、参拝入り口の手前を左手(北側)に進みますと成就院の北総
                門があります。









                    
                    北総門  現在この門も修復中ですが、右手に進み坂を下れば成就院が
                    見えてまいります。







      
      この石碑は、成就院の北総門の内側に有り幕末に成就院の和尚をなされていた月照和尚と弟の信海和尚の辞世の
      句と両名と関わりの有った西郷隆盛が、和尚が亡くなられた後に詠んだ追悼の句が刻まれております。








      
      石碑前を通り坂を下って成就院に向かう右手にお地蔵さんが多数佇んでおられます。
      このお地蔵さんは、お寺の境内に散らばって居た物を、明治期にこの場所に集められたそうです。
      赤い前垂れは、年一度手作りで換えてくださる方が居られるそうです。









                    
                    成就院玄関
                    成就院は、清水寺の塔頭の一つで室町時代、応仁の乱の兵火にあった
                    清水寺を復興した願阿上人よって創建され、以後、清水寺の本願職を
                    伝統している所です。

                    現在の建物は、徳川家光が1639年に再建したものです。





      
      庭園は、相阿弥原作・小堀遠州の補修とも、松永貞徳の作とも伝えられる江戸時代初期を代表する名園で、
      『月の成就院庭園』賞されております。
     





      
      成就院特別拝観は年二回だけで、この時期は、4月29日~5月6日の期間9時~4時受付終了です。







                    
                    豊臣秀吉から献上されたと言われるつくばいです。








                    
                    昨年秋に伺った時に掛けられていた、お軸です。
                    年二回の法要の時に掛けられるそうで、『山姥』(やまんば)は、邪気を祓っ
                    てくれるそうです。
      









      









      
      茶碗坂に通じる帰り道です。


      次回、御本尊を拝観するためには、あと24年元気で長生きする必要があります。是非頑張ってみたいです。










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清水寺 御本尊御開帳 2008

2008年10月09日 | 洛東 東山 清水寺方面

年間400万人の参拝者を誇る清水寺で今、御本尊御開帳が行われております。

期間は、平成20年9月1日~11月30日までと
        21年3月1日~5月31日までとなっております。

本来は、33年に一度しか御開帳は行われませんが、この度は西国三十三所観音霊場巡りを中興された花山法皇様の一千年大遠忌にあたる平成二十年に、三十三所の観音霊場がこぞって、御慶賛の秘仏御本尊を御開帳することになりましたので、清水寺でも他の霊場とともに、今回、特別に御開帳することとなり、上記の期間中御開帳なされてます。

清水寺発行の御本尊御開帳パンフレットより

清水寺ホームページ http://www.kiyomizudera.or.jp/









     
     御本尊特別御開帳

     御開帳とは、寺院で通常は、お厨子(ずし)の中に秘仏として安置されている御本尊を、特別の期間、お厨子の扉を開き、
     ご参詣くださる人々に拝観していただき、悟り・成仏の因縁を結んでいただく、ありがたい行事を言います。

     お厨子の扉を開くため、御開扉とも言います。
     清水寺では、観音菩薩が衆生の身の上に応じて、三十三身に姿を変え、悩み苦しむ衆生をお救い下されると説かれて
     いる『観音経』に基づいて、御本尊の十一面千手観音様を三十三年に一度、御開帳する習わしで、平成十二年に
     御開帳されました。

     清水寺 御本尊御開帳パンフレットより










    
雷神                          清水型十一面千手観音像            風神

清水寺のご本尊は、本堂内々陣の国宝須彌壇(しゅみだん)の中央に安置されているお厨子内に、秘仏として祀られており、普段は厨子
前に立つ御前立ち像を拝みます。
一般の四十二臂千手観音像と違い、二臂を高々と頭上に挙げ、組んだ掌の上に一体の小如来化仏を戴く、清水寺独特の『清水型』という
お姿で、衆生を一人残らず救い尽くして成仏させようという、殊勝な大悲救世の誓願を表明されておられます。

なお、左右に脇侍地蔵菩薩・毘沙門天、二十八部衆と風神・雷神を従えます。

写真は、御前立ちの像







     
     御本尊の脇を固める毘沙門天と二十八部衆   現実に見た本物は、迫力に溢れ圧巻されまた。







                  
                  御本尊を参拝し出てきたところに大黒さんが居られます。 今年何十年か
                  振りに塗り直されたもので、美しく輝いて居られました。







     








     








     
     縁結び地主神社

     清水寺の中にありますが、全然関係の無い神社だそうです。
     石と石の間何メートルかを目を瞑って歩いて片方の石にたどり着けば、その人と縁が結ばれると言われており、若い
     女性で賑わっております。







                  








     
     阿弥陀堂と奥之院の間を入り奥之院の裏手に『ぬれ手観音』様がひっそりと佇んでおられます。
     手前にある蹲(つくばい)で柄杓に水を汲み観音様に掛けてから願い事を致します。
     とても綺麗で優しい顔をされている観音様で清水の中でもとても強い『気』が集まっている場所だそうです。

     是非一度、お参りしてみてください。
     誰かに案内いただかないと、見過ごしてしまいそうなところでした。

     私も何度もお客さんや友達を連れて行きましたが、今回初めて存在を知りました。
     案内していただいた方に、いろいろと説明をしていただき大変感謝いたしております。






                  
                  ぬれ手観音 
                  柄杓でお水を掛けてあげ、正面から拝んでください。









                  
                  奥之院南側に祀られている夜叉神





     
     ぬれ手観音様をお参りして、奥之院の裏を回ってくると建物の南側に『夜叉神』が祀られております。
     夜叉神は、良縁を結び悪縁を絶つと言われておりますので、是非悪縁を絶ちたい方はお参りしてみて下さい。
     この神様も今回始めて教えていただきました。

     皆様にも良縁が訪れますよう、お祈り申し上げます。








     
     奥之院を一周回って表に回りますと、『ふれ愛観音』様がおられます。
     この観音様は、目の不自由な方にも手で触れていただき観音様をじかに感じていただこうと言う物です。

     何とも愛くるしい観音様で温かみが伝わってまいりました。

     作者は、元東京芸大の名誉教授、故西村公朝さんだそうで、日本の仏像修復の専門家だった方です。








                  
                  北総門







     
     この石碑は、成就院の北総門の内側に有り幕末に成就院の和尚をなされていた月照和尚と弟の信海和尚の辞世の
     句と両名と関わりの有った西郷隆盛が、和尚が亡くなられた後に詠んだ追悼の句が刻まれております。








     
     石碑前を通り坂を下って成就院に向かう右手にお地蔵さんが多数佇んでおられます。
     このお地蔵さんは、お寺の境内に散らばって居た物を、明治期にこの場所に集められたそうです。
     赤い前垂れは、年一度手作りで換えてくださる方が居られるそうです。









                  
                  成就院玄関
                  成就院は、清水寺の塔頭の一つで室町時代、応仁の乱の兵火にあった
                  清水寺を復興した願阿上人よって創建され、以後、清水寺の本願職を
                  伝統している所です。

                  現在の建物は、徳川家光が1639年に再建したものです。





     
     庭園は、相阿弥原作・小堀遠州の補修とも、松永貞徳の作とも伝えられる江戸時代初期を代表する名園で、
     『月の成就院庭園』賞されております。
     





     








                  
                  豊臣秀吉から献上されたと言われるつくばいです。








                  
                  先日伺った時に掛けられていた、お軸です。
                  年二回の法要の時に掛けられるそうで、『山姥』(やまんば)は、邪気を祓っ
                  てくれるそうです。


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