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イスラム世界の称号

2023年01月24日 | 高2用 授業内容をもう一度
 カリフは「【預言者マホメット(ムハンマド)の代理人】」の意味。イスラム世界(【ウンマ】)の指導者です。正統カリフ時代は有力者がウンマから【選出】されましたが、【661】年から【】ウマイヤ家が独占して世襲化し、さらに【750】年から【1517】年まで、【アッバース】家の一族がカリフの地位に就きました。
 アッバース朝成立によって成立したウマイヤ家の亡命政権であるイベリア半島の【後ウマイヤ】朝などでは【アミール】(太守)の称号を用いています。アミールは【地方の支配者】のことで、カリフの政治的権威を認め、その下で地方を統治したわけです。
 しかし、【10】世紀にイスラム教世界が分裂・混乱期になると、西アジアに出現した【シーア】派の【ブワイフ】朝は都【】バグダッドに入城し、【大アミール】という称号を用い、自己を顕示しました。このころには分裂・混乱の時代だったので、アミールの称号を名乗って、勝手にそれぞれの地方を支配する者が各地で登場していたので、それらより上であることを強調したわけです。これに対し、【1055】年ブワイフ朝をバグダッドから追い払い、アッバース家カリフをシーア派の勢力から救出した【セルジューク=トルコ】の【トゥグリル=ベク】は、はじめて【スルタン】の称号をカリフから与えられました。イスラム世界における【ウンマの政治・軍事の責任者】といった意味の称号です。この結果、【宗教的儀礼】を取り仕切るカリフと、【政治・軍事】を担うスルタンの2人が存在する、政教分離のような状況になりました。
 【1517】年オスマン=トルコの【セリム1世】が、【カイロ】にいたアッバース家カリフから位を奪うと、やがて【スルタン=カリフ】制が成立しました。これは、スルタン位とカリフ位をオスマン=トルコの支配者が一人で兼ねる制度です。つまり、今度は政教一致のような状況になったわけです。ちなみに、アッバース家カリフは【1258】年モンゴル人の【フラグ】にバグダッドを攻略されたため、エジプトの【カイロ】に都を置いて繁栄していた【マムルーク】朝に亡命していたのです。
 以上、【カリフ】、【アミール】、【大アミール】、【スルタン】、【スルタン=カリフ】の5つの称号について整理しました。

イスラム教世界の年代暗記

2023年01月24日 | 高2用 授業内容をもう一度

(1)610年 イスラム教成立・・・納豆より100年(610)古いイスラム教
(2)622年 ヒジュラ・・・浪人2(622)年、マホメット
(3)642年 ネハーヴァントの戦い・・・虫に刺(642)されて、ネハーヴァント
(4)661年 ウマイヤ朝成立・・・室井(661)さんとムアウイア
(5)711年 西ゴート王国滅亡・・・ナイイ(711)ブ過ぎる、ワリード1世
(6)732年 トゥール・ポワティエ間の戦い・・・波に(732)乗ってる、カール=マルテル
(7)750年 アッバース朝成立・・・名ごれ(750)、アッバース、日に壊(1258)
(8)751年 タラス河畔の戦い・・・しつこい(751)汚れ、たらす河畔
(9)756年 後ウマイヤ朝成立・・・和む(756)イベリア、スゴうま朝。
(10)909年 ファーティマ朝成立・・・クオーク(909)持ってファーティマ朝
(11)946年 ブワイフ朝バグダッド入城・・・シーア派に苦しむ(946)バグダッド
(11)929年 後ウマイヤ朝カリフ成立・・・くっつく(929)西カリフ国
(12)969年 カイロ建設・・・黒く(969)染まるカイロ市建設
(13)999年 サーマーン朝滅亡・・・スリーナイン(999)のサーマーン朝
(14)1055年 セルジューク朝バグダッド入城・・・一応午後(1055)にトゥグリルベク


アター制とイクター制

2023年01月24日 | 高2用 授業内容をもう一度
 【ブワイフ】朝で始まった【イクター】制は、【セルジューク】朝で完成しました。イクター制を完成させたときのセルジューク朝の宰相【ニザーム=アルムルクです】。彼は自分の名前をつけたスンナ派の学校である【ニザーミア】学院を各地に建てたことでも知られます。
 もともとアラブ人は遊牧民でしたから、土地を所有する考えはあまりなかったようです。そのため正統カリフ時代やウマイヤ朝のころは、ジハードに参加した報酬に【戦利品】をもらっていました。戦利品とは女や財宝などです。このような制度?を【俸給】制(【アター】制)といいました。
 しかし、アッバース朝の後半の時期になり帝国が分裂すると、ジハードもうまくいきませんし、そうなると戦利品も分配できなくなりました。そこで、【946】年に【バグダッド】に入城した【ブワイフ】朝は、兵士たちに封土を与えて、その地で働いている農民から税を集めてもよい、としました。ただし、その封土はその兵士のものではありません。あくまでも、農民から税を集める【徴税権】が与えられたわけです。
この制度を【イクター】制といい、広い地域で実施したのが、前に出てきたニザーム=アルムルクの頃だったので、セルジューク朝のときに「完成」したと評価します。
 次にすこし難しい話をします。イクター制で見られるような「土地」がキーに名ている主従関係を「【封建社会】」といいます。主君が家臣(兵士)に土地(封土)を与える代わりに、兵士は主君に忠誠を誓うような人間関係が、社会一般で広まっていたような社会です。
 さらに、封建社会になった時代を「中世」といいます。日本では【鎌倉時代】です。「【御恩と奉公】」なんていう言葉を聞いたことがあるのでは。ただし、日本では封土は世襲され、所有権も認められていましたから、【徴税権】しか認められなかったイスラム世界のイクター制とは違うわけです。