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ムガル帝国

2012年08月02日 | 高3用 授業内容をもう一度

 16世紀に入り,【ティムール】の子孫【バーブル】が,【カーブル】を拠点にして北インドに進出した。バーブルは【1526】年【パーニーパットの戦い】で【デリー=スルタン】朝最後の【ロディー】朝の軍に勝利して【デリー】を占領し,ムガル帝国を樹立した。
ムガル帝国の第3代【アクバル】は,【マンサブダール】制とよばれる位階制度を定めるなど,中央集権的統治体制を整え,【アグラ】に都をおいた。マンサブダール制とは軍人や官僚に与えられた位階(マンサブ)であり、官僚機構を序列化によって安定させ、軍事力も確保するための制度である。
この時期,インドではイスラム教とヒンドゥー教の融合が探求され,神は根本において同一であると説いた【カビール】や,【シク】教を創始した【ナーナク】などが登場している。このような時代の中、アクバルはヒンズー教徒などの異教徒に対して課していた【ジズヤ】(人頭税)を廃止したことで知られる。もともとジズヤは「異教徒をムスリムの下」という意識を植え付ける側面があった。
 このように、イスラム教徒がインド固有の文化を理解し、両者が交流する中で新しい文化が生まれていった。とくに、第5代皇帝【シャー=ジャハーン】は,【インド=イスラム】文化の最盛期を現出し,早く死んだ愛妻【ムムターズ=マハル】のために建設された白大理石の墓【タージ=マハル】は、インド=イスラム文化の最高傑作である。
 一方、南インドでは,14~17世紀にヒンドゥー教国家【ヴィジャヤナガル】王国が栄えていたが,イスラーム教徒との抗争で衰退した。
 ムガル帝国は,第6代皇帝【アウラングゼーブ】の時代に最大の領土をほこったが,ヒンドゥー教徒を圧迫して反発を招き,帝国は衰退へと向かうことになった。アクバルが廃止した【ジズヤ】は約【100】年後、【アウランゼブ】によって復活したが、その結果、各地で地方勢力が帝国に反旗をひるがえしはじめ,西インドではシヴァージーが建てたヒンドゥー国家【マラーター】王国が登場した。
 ヨーロッパ勢力によるインド方面への進出は,1498年に【ヴァスコ=ダ=ガマ】がインドの【カリカット】に到着して始まった。【1600】年以降、【東インド会社】を通じてインドの植民地化と経済支配をねらうイギリスとフランスが覇権をかけて争ったが,18世紀中頃にイギリスは,【カルナーティック】戦争でフランスに勝ってインドでの英仏抗争に決着をつけた。さらに,イギリスは18世紀後半に【マイソール】王国と戦って勝利し,南インド支配を決定的にした。さらに東部では,東インド会社の【クライヴ】が率いるイギリスの軍勢が【1757】年に【プラッシー】の戦いで勝利し、【ベンガル】の地方政権とフランスの連合勢力を破った。さらに、イギリスは西北部では18世紀中頃に【シク】教徒を撃破して,シク教徒が支配していた【パンジャーブ】地方を併合した。
 イギリスは,植民地支配の手段として,土地所有権を認められた地主(ザミンダール)に仲介者として徴税をまかせる【ザミンダーリー】制などを実施したため,インドでは農民の階層分化がすすんで共同体が変容し,生活の困窮が深刻となった。


南欧史(1)ビザンツ帝国

2012年08月02日 | トリオDE世界史

(1)ビザンツ皇帝のライバル ①ユスティニアヌス②ミカエル8世③コンスタンティヌス11世
①ササン朝ペルシアのホスロー1世
②教皇インノケンティウス3世
③オスマン帝国メフメト2世
(2)ビザンツ帝国の法・制度 ①ローマ法大全②テマ制③プロノイア制
①ユスティニアヌス
②ヘラクレイオス1世
③アレクシオス1世
(3)ユスティニアヌス ①ライバル②征服した国2つ
①ササン朝ペルシアのホスロー1世
②東ゴート王国
③ヴァンダル王国
(4)ユスティニアヌス ①業績②ローマ帝国の集大成③教会
①地中海世界の再統一
②ローマ法大全
③セント=ソフィア寺院
(5)セント=ソフィア寺院 ①様式②形状③建築した皇帝
①ビザンツ様式
②円形屋根とモザイク
③ユスティニアヌス
(6)ヘラクレイオス1世 ①ライバル②統治制度③土地制度
①ササン朝ペルシアのホスロー2世
②テマ制(軍管区制)
③屯田制
(7)レオン3世 ①法令②その背景③年代
①聖像禁止令
②イスラム教の持つ聖像禁止の影響
③726年
(8)ビザンツ皇帝 ①6世紀②7世紀③8世紀
①ユスティニアヌス
②ヘラクレイオス1世
③レオン3世
(9)聖像禁止令の影響 ①756年②800年③1054年
①ラヴェンナ寄進
②カール戴冠
③東西教会の分裂
(10)マンジケルトの戦い ①年②捕虜にされたビザンツ皇帝③勝利した国
①1971年
②ロマヌス=ディオゲネス
③セルジューク=トルコ
(11)アレクシオス1世 ①1095年②統治制度③意義
①教皇ウルバヌス2世に十字軍派遣を要請
②プロノイア制
③中世社会の始まり
(12)ビザンツ帝国最後 ①皇帝②年③オスマン=トルコ皇帝
①コンスタンティヌス11世
②1453年
③メフメト2世
(13)コンスタンティヌス11世 ①皇帝の姪②その結婚相手③影響
①ソフィア
②イヴァン3世
③ギリシア正教がモスクワに伝わった


インド史(6)ムガル帝国の発展

2012年08月02日 | トリオDE世界史

(1)ムガル帝国 �建国者�建国年�建国時の戦い
�バーブル
�1526年
�パーニパットの戦い
(2)全盛期100年間の皇帝3人 �ジズヤ廃止�ムガル絵画�タージ・マハル
�アクバル
�ジャハンギール
�シャー=ジャハーン
(3)アクバル �インド融合策�創始した新興宗教�都
�ジズヤを廃止
�ディーネ・イラーヒ
�アゴラ
(4)ジャハンギール時代の文化 �宮廷絵画�ラージプート族の庶民絵画�南インドの文化
�ムガル絵画
�ラージプート絵画
�ドラヴィダ様式
(5)インド・イスラム文化 �最高傑作�絵画�絵画の特徴
�タージ・マハル
�ムガル絵画
�マニアチュール(細密画)
(6)タージ・マハル �建設した皇帝�その愛妻�評価
�シャー=ジャハーン
�ムムターズ=マハル
(7)ムガル帝国の半独立勢力 �パンジャブ地方�シンド地方�デカン高原
�シク教徒
�ラージプート族
�マラータ族
(8)ムガル帝国の3人の皇帝 �建国者�全盛期�衰退の始まり
�バーブル
�アクバル
�アウランゼブ
(9)アウランゼブ �業績�幽閉した父親�状況
�ジズヤを復活
�シャー=ジャハーン
�各地で反乱が発生してムガル帝国が衰退し始めた
(10)シク教徒 �創始者�時期�広まった地域
�ナーナク
�16世紀
�パンジャブ地方
(11)シク教の特徴3つ
�イスラム教とヒンズー教の融合
�カースト制を否定
�輪廻を肯定


インド史(5)インドのイスラム化 12世紀のインド

2012年08月02日 | トリオDE世界史

(1)インドのイスラム化の3段階 �第1段階�第2段階�第3段階
�アフガニスタンから進入した王朝がインドを支配した
�北インドでイスラム教の王朝が成立して、北インドを支配した
�インド全土をイスラム教の王朝が支配した
(2)第1段階 �時期�北インドを支配した最初の王朝�北インドにイスラム教を定着させた王朝
�10~12世紀
�ガズニ朝
�ゴール朝
(3)第2段階 �北インドのムスリム王朝の総称�最初の王朝�その建国者
�デリー=スルタン朝
�奴隷王朝
�アイバク
(4)奴隷王朝に続く4王朝
�ハルジー朝
�トゥグルク朝
�サイイド朝
�ロディ朝
(5)第3段階 �王朝(帝国)�建国者�建国の時の戦い
�ムガル帝国
�バーブル
�パーニパットの戦い(1526年)
(6)バーブル �父系�母系�自伝的回想録
�ティムールの直系
�チンギス=ハンの直系
�「バーブル=ナーマ」をトルコ語で書いた


中国史(27)第2次国共合作

2012年08月02日 | トリオDE世界史

(1)中華ソヴィエト共和国臨時政府 �年�成立場所�意義
�1931年
�江西省瑞金
�蒋介石の攻撃を避けつつ共産主義国家の成立を宣言した
(2)共産党の軍隊の変遷 �第2次国共合作以前�第2次国共合作後�現在
�紅軍
�八路軍
�人民解放軍
(3)柳条湖事件 �年�場所�結果
�1931年
�奉天付近(満州)
�満州事変が始まった
(4)満州国建設 �年�執権(皇帝)�国際連合の対応
�1932年
�溥儀
�リットン調査団を派遣
(5)長征 �1934年�1935年�1936年
�長征開始(=瑞金を放棄)
�遵義会議
�長征完了(=延安到達)
(6)遵義会議 �年�毛沢東�目的
�1935年
�共産党の指導権を確立した
�長征の目的を革命拠点の建設とした
(7)8.1宣言 �人物�年�内容
�毛沢東
�1935年
�抗日民族統一戦線の結成を呼びかけた
(8)第2次国共合作 �1935年�1936年�1937年
�8.1宣言
�西安事件
�第2次国共合作
(9)西安事件 �年�拘束した人物�拘束された人物
�1936年
�張学良
�蒋介石
(10)第2次国共合作 �開始年�目的�共産党員の立場
�1937年
�抗日
�国民党と対等の立場
(11)盧溝橋事件 �年�場所�意義
�1937年
�北京郊外
�日中戦争の本格化(=日華事変)