メキシコの隅っこ

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マキシミリアン皇帝の部屋

2010-03-19 08:00:00 | 観光
ケレタロ、サンタクルス修道院の内部ツアーで見逃せないのが、
マキシミリアン皇帝が幽閉されていたという部屋です。

マキシミリアンはオーストリアから派遣されてヌエバ・エスパニアの皇帝として
メキシコに君臨していましたが、
メキシコ独立戦争が起こって最後にこのケレタロに来て、
しかしフランスのナポレオン三世がドイツとの戦争に焦ってケレタロから兵を引き上げてしまった、
そのためにマキシミリアンは多勢に無勢となって敗戦。
このサンタクルス修道院の一室に幽閉され、
最後はセロ・デ・ラス・カンパーナスで銃殺されたということです。
付け焼刃の知識で書いているので、間違ってたら訂正お願いします>他力本願



部屋の入り口の表札。
ぶれちゃっててすみません。
これによると、1867年3月13日から5月15日までは
この部屋はマキシミリアンの居住部屋とされ、
戦争に負けて捕虜となって5月15日から17日までの三日間、
同じくこの部屋に幽閉されていた、とあります。

部屋の中は暗かったのと、人がいっぱいだったので
あまり写真撮れませんでしたが、



修道院だからかもしれないけど、質素な天井にでかい絵。



そして、マキシミリアンの写真。

部屋の中にはなぜかけっこうな数のソファや肘掛け椅子と、
マキシミリアンが寝てたの?というくらい簡素な鉄パイプのベッド、
それもパイプの枠だけが残ってました。
しかしこんな鉄パイプのベッドって19世紀からあったんですかねえ。

狭苦しい(と感じたのは高校生の集団と一緒に入ったからかもですが)部屋から
ようやく外へ出ると、



ああ~、解放感~、青空~~~。
たとえ三日といえども、やっぱりあんな部屋に幽閉されるのはイヤかも。
銃殺はもっとイヤですけどね。


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4 コメント

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野戦ベッド (忍者)
2010-03-19 13:35:39
このベットは南北戦争時既に両軍で使われてました
現在も形は変っていません 木製で蝶番部分だけが金属の物が多いです
Canvas cotと呼ばれカンバスの4箇所に手で持つ穴がついていてそのまま担架になります
私も米軍払い下げのを持ってます
これで昼寝するとマキシミリアンの夢を見そうです
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ラストエムペラー (カイマン)
2010-03-19 14:03:12
マキシミリアンと来ちゃ黙っちゃ居られません。
聞きかじり、読み齧りの寄せ集めですけど、悲劇のラストエムペラー物語、暇で死にそうな方、御用とお急ぎでない方は、こちらをどうぞ。
http://caimanpendejo.hp.infoseek.co.jp/frmmaximilian_1.html
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新発見 (忍者)
2010-03-19 14:57:37
カイマンさんもマキシミリアンにのめり込んでますね
最近発見したのですがロッシーニはメキシコ皇帝になったお祝いにバンドの為のファンファーレという曲を献呈しています
当時北イタリアはハプスブルグ家の支配下に有りマキシミリアンは海軍提督としてトリエステのミラマル城に居住してました
チャプルペテック城で軍楽隊が演奏している様を想像して下さい
http://www.youtube.com/watch?v=2Rmdk8VgSfE
この曲を探すのに苦労しました 現在は曲の形式からバンドの為のスケルツオと呼ばれたいます
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Unknown ()
2010-03-21 09:17:25
>忍者さん
へええ~、パイプベッドなんて南北戦争時代からあったんですね! すごい。
まあ軍だと、これをたたんで持ち歩いてキャンプとかしてたんでしょうか。
そのためにできるだけ軽く小さく作られたのでしょうか。
戦争によってあらゆる技術が発達してきた、というのも納得です。

>カイマンさん
ええ~、カイマンさんもマキシミリアンファンだったんですね!?
すみません、今ちょっと出先なので、またあとでゆっくり読ませていただきますね。
にしてもケレタロは本当に歴史の街で、ゆっくり時間をかけて、
メキシコの歴史を勉強しながら訪ね歩けたら、と思ったものでした。
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