メキシコの隅っこ

メキシコの遺跡や動物、植物、人や風景などを写真で紹介してます

レメディオス・バロ と 山尾悠子

2006-02-22 08:41:31 | 芸術・民芸品
さて、昨日は暗い話題に付き合っていただいてありがとうございました

気を取り直して、またチアパスの遺跡めぐりの記事でも、
と思ったんですが、
どうも最近ちょっとマンネリのような気がしないでもない。
遺跡もいずれは紹介しますが、
今日は気分一新したいと思って、新しいカテゴリ作ってみました

お気に入りの画家など、紹介してみたいです。
当然、写真は私のオリジナルじゃなく、
どこからか引っ張ってきたパクリ画像となりますが、
うーむ、著作権の問題とかあるでしょうかねえ?
ネット上にいくらでも出回ってるものだし、
ちゃんと作者名も明記しますので、問題ないということにします。
あるようでしたら、その筋から連絡いただければ対処します。



で、メキシコの画家、というとフリーダ・カーロとかディエゴ・リベラ、
シケイロスにオロスコ、といった辺りが定番でしょうか。
フリーダ・カーロとか、私も好きな絵が何枚もあります。
まあその辺もいつか紹介するかも。



私の自慢(?)は、シケイロスの孫娘さんをちょっと知ってること~
仲の良かった学生の男の子の元彼女で、日系三世だというので、
おうちに遊びに行きました。
今もシティで芸術活動していると思います。
いつだったかアラメダ公園の辺りを通りかかったら、
彼女の展覧会の看板が立ってました。



んで、今日はレメディオス・バロ Remedios Varo です。
いきなり、メキシコ人じゃなかったりしますが。
1908年、スペイン生まれの女流画家ですが、メキシコに亡命し、
主な活動はメキシコで、ということで、
日本でも紹介されたことはあるようなので、知ってる方もおられるでしょう。
そうそう、あとで気付きましたが、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』の新装版表紙絵が、この人の『螺旋回廊』でしたね!

私が初めてこの人の絵を見たのは本屋さんでした。
いつも行くM.A. de Quevedo の本屋のレジの隣に、絵葉書が何枚もあったんです。

トップの絵は『太陽音楽』。
この画像では色がとてもくすんでますが、
私の持ってる絵葉書だともう少し鮮明な色合いです。
どちらがオリジナルに近いのかはわかりません。

木漏れ日を弦にしてチェロのように奏でる人。

こういうシュールな絵、好きなんですよね~。
しかも、彼女の絵は、光や音を手に取れる実体として描いたものが多く、
音楽を題材にしているものもたくさんあります。

これとか。


『フルート奏者』

笛の音がそのまま塔を織り上げていく様子です。


意味があるようでないようであるようなシュールな
『塔に向かう』






山尾悠子の『ラピスラズリ』を読んだとき、バロの絵を思い浮かべました。
静謐な雰囲気と、繊細な描写が同じ。

駅舎にある深夜営業の画廊で、古めかしい銅版画に出会うシーンから始まる
山尾悠子の『ラピスラズリ』は、圧倒的な描写力で読者を引き込みます。

「わたしが壁際に立ち止まって眺めていたのは
横並びに展示された三枚組みの銅版画だった。
時代のついた金縁で一枚ずつ額装され、
見たところ古めかしい意匠の小説の挿し絵として製作されたものらしいが、
今では骨董としての価値しかなさそうな古色蒼然とした腐食銅版画--」

「やや稚拙な画力ながら細部まで偏執的な熱心さで描きこまれ、
意味ありげなのにもどかしく意味のわからない画面の絵解きに心を奪われて、
あるいは視線をさまよわせながら実際には放心していただけなのかもしれなかったが。」

「経年による劣化の著しいシートには錆のような染みが点々と浮かび、
それは自然と黄ばんだ古書の頁から漂いだすあのほのかな臭気をわたしに連想させた。
絡みあう描線の要所要所に淡い手彩色が施されているのが、
疲れた眼に色インクが一滴ずつ滴り落ちるように、
いつのまにか沁みた。」


そしてこの不思議な三枚の絵が、目に浮かぶように描写され、
そこから、描かれた「冬眠者」たちの物語が始まる、という仕組み。

この導入部の絵自体も、また山尾悠子の作品そのものも、
バロの絵と通じるところがあるように思います。





『鳥たちの創造』

窓から射し込む星の光をプリズムで集め、鳥を作り出す不思議なフクロウ女……。

この人の絵は、見るだけでものすごく「物語」を喚起されます。
地味だけど、とても好きな画家の一人です。