花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

横浜美術館「森村泰昌―美の教室、静聴せよ」

2007-09-02 03:55:30 | 展覧会
横浜美術館で「森村泰昌―美の教室、静聴せよ」展を観てきた。

森村泰昌と言えば「モナリザ」などの扮装セルフポートレート作品で有名だが、今回は自作を語る「美の教室」ということで、展示も学校の教室に見立てた授業形式になっていた。

ホームルーム
1時間目:フェルメール・ルーム [絵画の国のアリス]
2時間目:ゴッホ・ルーム [釘つき帽子の意味]
3時間目:レンブラント・ルーム [負け犬の価値]
4時間目:モナリザ・ルーム[モナリザのモナリザの、そのまたモナリザ]
5時間目:フリーダ・ルーム [眉とひげ]
6時間目:ゴヤ・ルーム [「笑い」を搭載したミサイルの話]
放課後:ミシマ・ルーム

まず、壁に大きく穴の開いたホームルームの教室へ入室したのだが、何とこれはアンリ・カルティエ=ブレッソンのスペイン作品(拙ブログでも紹介)からの引用で、そんな中でも授業ができるのだと言う。ここで森村出演のビデオを見ながら授業(展覧会)構成のガイダンスを受ける。その後は配られたイヤホーンガイドに従って、各教室での授業進行となる。

森村いわく「真似る」ことは「まねび」であり「まなぶ」に繋がると言う。森村のコスプレは真似て成りきることにより見えてくるものがある、いや見えたものを表現している。要するに絵画実験みたいなものかな?画家が先人の名画を模写しながら学びとるものを、森村はまるで憑依するが如く自らの身体に模写しながら画家作品と自らを一体化する。

例えば、モネの「オランピア」。新古典主義の豊満で理想的な裸婦像とは異なるオランピアの壁女的裸体に森村は少年性を感じる。オランピアに扮した痩せた裸体ポートレートは、もしかして美術史的に語られるヴィーナスの引用ではなく、両性具有のヘロマフロディトスだという新発見かもしれない。

自ら演じることの恍惚感ってあるのかもしれないし、写真化作品と対峙する憑依の客体化は、入れ子構造にも似て迷宮へと続くようにも感じられる。


1時間目では「絵画芸術」の部屋に展示された森村のCG合成ビデオ作品は、まるでフェルメールの絵画空間が「鏡の国のアリス」のような迷宮空間に見えてくる。本当はフェルメールのアトリエ再現による遠近法的アプローチに期待していたのだが、今回は構成小道具の一部の展示に留まっていたのが少し残念だった。

 

2時間目は耳削ぎ事件直後のゴッホ自画像の毛皮帽の形がまるで「釘つき帽子」のようで、キリストの荊冠を重ね合わせているのではないかという指摘!さすが!実に鋭い観察眼だと思う。

3時間目のレンブラントはやはり私的に一番興味深かった。初期の後ろからの逆光による自画像から始まり、その変遷を辿りながら、最晩年の負け犬になったレンブラントの自画像が一番深い人間性を感じさせる作品になっていると説く。レンブラントの表情研究の自画像銅版画に重ねた森村セルフポートレートは、その迫真の真似に凄みさえ感じてしまった。

4時間目の「モナリザ」は観客サービスで、顔部分をくりぬいたモナリザ・ボードから顔を覗かせ、向かいにある鏡でモナリザに扮した自分を見ることができる。私の前の女性は彼氏に写真を何枚も撮ってもらっていた。う~ん、なりきっていたのかなぁ?(^^;。で、凝っていたのはその鏡には「鏡文字」が書かれていたこと!もちろん日本語だけど(笑)

5時間目はフリーダ・カーロの自画像で、彼女の太い眉は実は髭なのだと発見した森村に拍手!「眉=髭」は自意識の象徴なんじゃないかなぁ?事故による身体的苦痛のなかで彼女を支えているぼろぼろの柱の代わりに森村は自分の手を描く。きっと、その手は画家の手であるということなんだと思った。森村のフリーダへの感情移入が伝わってくる。もちろん好きじゃなければ扮装なんてできっこないんだよね。

6時間目はゴヤの「ロス・カプリチョス」を中心に。戦争やけんかで相手に暴力を振るう代わりに、相手を笑わせてしまった方が勝ちなのではないかとの意見。う~ん、殺気立った人たちが笑ってくれれば良いのだけど…。

各教室にはこの他にセザンヌの林檎やベラスケスのマルガリータ王女、ブリューゲル「盲人の転落」やマネの「オランピア」(かなりの意欲作!)なども展示されていたが、森村の風刺とユーモアにニヤリとしてしまう作品ばかりだった。

で、放課後のミシマ・ルーム。市谷のミシマに扮し「静聴せよ」と芸術について熱弁をふるうのだが、誰も聴いていないという自虐的アイロニー。でも、大丈夫。森村泰昌の芸術への想いとユーモアはしっかりと観客に伝わったのだから(^^;;


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6 コメント

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Unknown (oki)
2007-09-02 22:11:36
Juneさんいかれるかなと思っていましたがやはりいかれましたか!
古典絵画と現代絵画をつなぐ数少ない画家の一人ですからねー。
ところでまた揚げ足取りになりますが「写真作品と対峙する憑依の客体化」ってどういう意味ですか?

ムンクもチケットはいることになりましたのでフェルメールのときにもってまいりますね。
僕には西洋美術館より近代美術館の理念がわからないー外国の作品をRIMPA打なんて、パウロと親鸞が同じ発想をしているというに等しいように思います。
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okiさん (花耀亭)
2007-09-03 01:22:13
こんばんは。はい、行って来ましたよ(笑)
で、okiさん、揚げ足取りをどんどんしてくださいね。自分でも国語力が無いなぁとめげているくらいですから(^^ゞ

さて、「写真作品と対峙する憑依の客体化」ですが、森村作品って、名画の登場人物に扮装した自分を写真に撮ったものなので、そのセルフポートレート作品(憑依した森村)を観る森村(対峙する→客体化)もいる訳で、鏡の国のアリスみたいと言いたかったんです(^^;;;。oki先生、意味が通じますでしょうか?(大汗)

ところで、さすが、ムンクもチケットGETされたんですね!いつもありがとうございます(^^)v
それで、近代美術館のRIMPAですが、私的には面白かったと思います。が、なるほどパウロと親鸞ですかぁ。片やキリスト教の伝道者、片や仏教の伝道者。遺伝子も伝道者だし、どちらの遺伝子の構造も似ているということなんじゃないかと...(^^;;;
ちなみに、日本美術の権威である東博でイタリアルネサンス絵画が展示されるのですから、日本の美術館・博物館は何でもありなのかもですねぇ(^^ゞ
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Unknown (Cojico)
2007-09-05 14:41:21
花耀亭さん、こんにちは。

「美の教室、静聴せよ」楽しく読ませていただきました。
森村泰昌は少々気持ち悪い、との印象を持っていたのですが、読み進んでいくうちに笑顔になっていました。

>「真似る」ことは「まねび」であり「まなぶ」に繋がる
ほんと、そうですね。絵自体の模写をしているだけで、作者の意図や技法が見えてきたりして勉強になりますが、彼の場合、絵の中の主人公になることによって、外から見ただけでは見つけられない疑問や作品の構図の取り方、巧妙さが見えてくるんでしょうね。

彼の「オランピア」、ちょと怖いですが見てみたいです。

>ゴッホ自画像の毛皮帽の形がまるで「釘つき帽子」のようで、キリストの荊冠を重ね合わせているのではないかという指摘!
これには参りました。実際の服装を用意する、という発想が無ければ、こういう意見は出てこないかもしれませんね。


RIMPAの話も興味を持って読ませていただきました。RIMPA展そのものは、とても良かったのですが、どうも固定観念が強い為か、私も最後の方は違和感がありました。ほとんどパス状態。

ただ、近代美術館の意図は分かります。特徴が装飾性が強かったり、煌びやかだったり、リズムを作っていたり・・・どれかその一つの要素でもあれば、「PIMPA」として組み入れよう・・・
花耀亭さんの”遺伝子”という説、とても納得しました。

美術館自体が、平凡な企画では満足できず、ちょっと工夫を凝らして特徴付けたい、という気持ちも分からないではないですが、このPIMPA展に限って言えば、日本の作品だけで十分だったかな。最後の展示は、付けたしみたいで中途半端な印象を受けました。

でも基本的に、美術館の”人に受ける展示”ばかりでなく、開拓したり課題を与えてくれるような展示は応援したいと思っております。展示内容への個人的好き嫌いは別ですが・・・

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Cojicoさん (花耀亭)
2007-09-08 06:01:45
おはようございます。レスが遅くなりまして申し訳ありませんでした!

で、私もこの展覧会を観るまではちょっとキワモノ的な先入観があったのですが、実際観てみるとアプローチの面白さとともに真剣さが伝わってきて、ここまでやる「凄さ」に感動しました。Cojicoさんのご炯眼の通り、被った「釘付き帽子」も展示されていて、本当に森村の発想には参りましたです。あ、オランピアもぜひご覧くださいね(笑)

さて、RIMPA展ですが、Cojicoさんのおっしゃる通り付け足し(参考)という感じでしたし、私的には展覧会に遊び(新アプローチ)の余裕があっても良いと思うのですよ。もちろん、展覧会が時系列や起承転結のある「全っきもの」である方が観終えた後はすっきりしますけどね。

え~っと、実は、私もCojicoさんと似たような経験があるのですよ(^^ゞ
森美術館の「日本美術が笑う」展に引き続き現代アートの「笑い展」を観たら...どうも中途半端でつまらなくって...はい、私の個人的な好き嫌いなんだと思うのです(^^;;;
http://www.mori.art.museum/contents/smile/index.html
http://www.mori.art.museum/contents/laughter/index.html
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旅行準備でお忙しいのかな (oki)
2007-09-09 00:41:55
ここはコメントは承認制のようですがトラックバックは即座に反映されるのですか?
うちなんて毎日何通もへんなトラックバックが来ていますからご旅行にお出かけになる際はトラックバックも承認制にされるといいですよ、ほら「コスプレ好き」なんてトラックバックが着ている。

それはさておき、ものの捕らえ方は各人各様だなと面白いです。
僕は「現代美術の笑い」は日本人のビンラディンやプロレスとか面白かったですよ!
いづつやさんのところで、ダヴィンチ展はむこうの指定で国立博物館になったとありましたね。
さて、これは西洋美術館の権威が落ちているのか、単に国立博物館が伝統あって展示スペースにも余裕があるという話しなのかー。
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okiさん (花耀亭)
2007-09-10 00:28:23
こんばんは。チケットをたくさんありがとうございました!(^^)v
で、TBは承認制にはしていないのですよ。すぐにでもできるのですがね。旅行に際してはちょっと考えた方が良いかもしれませんね。

さて、「笑い展」(現代美術)ですが、確かにビンラディンの映像作品がありましたね(笑)。私的にはフィギュアの動く歩伏前進が面白かったです。でも、なんだかアイディアだけの面白さで、笑いが薄く、完成度も低いような気がしました。モンティ・パイソンなどの方がずっと気が利いているような気がしました(^^;;;
「笑い展」も「RIMPA展」も、何展もですが、okiさんのおっしゃる通り、本当に各人各様の感想や捉え方があって当たり前だと思いますね。

で、「ダ・ヴィンチ展」ですが、何かで読んだ記憶では、昔「モナリザ展」を東博で行った実績で...というようなこが書いてありました。まぁ、「踊るサテュロス」もですが、博物館で展示する内容に近いものがありますから、それはそれで良いとは思います。okiさんのご指摘の通り展示スペースやセキュリティの問題もあったのかもしれませんし。でも、「受胎告知」は絵画作品でしたから西美の方が相応しかったと思いますね。もちろん、「ダ・ヴィンチ展」の目玉は「受胎告知」でしたから切り離せはしなかったでしょうけどね(^^ゞ
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