「本を読む人が、半ばぼんやりとその余白に鉛筆を走らせ、放心したまま筆のおもむくままに、活字部分と向き合うようにして小さな生き物やおぼろな枝の集まりを生み出すことがよくあるが、私もまた精神の気まぐれにしたがって、エドガール・ドガの何枚かの習作のかたわらにおなじことをしてみようと思う」(ポール・ヴァレリー『ドガ ダンス デッサン』(岩波文庫)P11)
私も学生時代、教科書の余白にいたずら書き(精神の気まぐれ?)をよくしていたので(汗)、なんだかヴァレリーに親しみを持ってしまう。だが、ヴァレリーより遡るもっと昔のボッカッチョ(Giovanni Boccaccio, 1313 -1375年)でさえしていたのだから、これってもしかして人間のサガかもしれない。
実は、ヴァレリーの文章を読みながら、2013年秋にラウレンツィアーナ図書館(フィレンツェ)で観た「BOCCACCIO AUTORE E COPISTA」展を思い出してしまった。
http://www.arte.it/calendario-arte/firenze/mostra-boccaccio-autore-e-copista-5149
この展覧会は、コロナ初期に注目された『デカメロン』の著者ボッカッチョの生誕700年記念展覧会で、彼の手による手書き原稿や写本(manoscritto/copia a mano)が多く展示されていた。グーテンベルク以前の時代だから本は全て手書きであり、写字生が活躍していた時代だ。
中でも本(原稿?)の余白にボッカッチョが色々と書き込みをしているのが私的に興味深くも面白かった!!
ボッカッチョは自筆写本(アンソロジー)の余白に文章書き込みしていて、それがかなりデザインっぽくてセンスが良いのだ。
※ご参考:下記↓リンク先のサムネイル画像をクリックすると拡大して見ることができる。
http://www.bml.firenze.sbn.it/laformadelibro/sezioni_ing/scheda33.htm
更に、余白に誰かの似顔絵(?)まで!!(笑)
ぼやけていて見難いかもしれないが、拡大すると...(それでも見難いけど許してね)
いやぁ~、ボッカッチョって絵(デッサン?)のセンスもあるかも(笑)
ちなみに、ドガ曰く「<デッサン>とはかたち(フォルム)ではない。かたちの見方なのだ」とのこと。ヴァザーリのディセーニョ(disegno)論を念頭において、きちんと読んでみたいと思う。