遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『河のほとりで』  葉室 麟   文春文庫

2018-06-25 13:52:59 | レビュー
 文庫本『随筆集 柚子は九年で』をだいぶ前に購入しておきながら、この『河のほとりで』を先に読んでしまった。こちらに随筆集という付記がないのは、内容が三部構成になっていて、随筆以外に書評が一つのセクションとして収められているからのようだ。
 最初の「河のほとりで」(26篇)と最後の「日々雑感」(9篇)が随筆文であり、中央に「書物の樹海へ」という名の下に11篇が収まっている。2014年2月から2017年にかけて諸誌に発表された文がまとめられている。

 文庫本のタイトルは、「禅僧」というエッセイの末尾の文からとられているのだと思う。この一篇の見出しには、「海外との交流に活躍 自由なる大きな心」という副題がついている。ここで栄西をはじめ数人の禅僧にふれていて、エッセイをしめくくる一文が「臨済は『河のほとり』とも読めるのだ」である。
 このエッセイで著者が語りたかったのは現代との対比だろう。現代は「近隣諸国を憎悪する」(p109)状態が続くばかりなのに、かつての「海を渡り、外国との交流を深めた禅僧たち」には、「民族、文化の違いをも乗り越える、<大きな心>の働き」に突き動かされていたと著者は記す。著者は、今こそ「違い」を乗り越える「交流」「自由なる大きな心」の必要性を語っているのだろう。
 最初のセクションは最初の2篇以外は各エッセイに副題がついている。副題が内容を象徴している。西日本新聞に連載されたエッセイが初出のようだ。

 最後のセクションは雑誌・新聞などに発表されたエッセイを集めてある。嗚呼!と思ったのは「つくしの卵とじと題する一篇を読んだときである。末尾近くにこんな記述があった。
 「わたしはすでに還暦を過ぎ、六十五になった。それから一歩を踏み出すのか。
  遅すぎる。
  どう考えても遅すぎるのだ。それでもたどるべき道があるのだとすれば、一歩を踏み出したいという気持はある。
  できるかどうかわからないのだが、おずおずと歩き始めようとしている。」このあとに数行の文がつづく。これは、2017年1月1日発行『明日の友』225号に寄稿されたエッセイである。著者葉室麟は2017年12月23日に逝去した。
 「遅すぎる」という一文が、今読むと一層悲痛である。著者は己の命に対する予感があったのだろうか。たどるべき道を、歩き始めようとしていたのだ。愛読者としては、もっと長生きして、「たどるべき道」をもっと歩んで欲しかった。

 中央の「書物の樹海へ」は、書評としての解説文と併せて、著者自身の作家としての立ち位置や思いについて、自己を語るエッセイになっている。自己解説の類いとしてこのセクションに収められているのだろう。著者の書評解説と自己解説は、葉室文学を分析・理解するための有益な糸口になる。著者自身の読書遍歴の一端も垣間見えて、興味深い。
 ここで解説されている本の著者名を、参考に収録順に列挙しておこう。執筆依頼により書かれた解説文とはいえ、著者の読書体験が背景に浮かび上がり、その読書遍歴がうかがえておもしろい。早乙女貢、山本兼一、青山文平、安倍龍太郎、海音寺潮五郎、諸田玲子、朝井まかて、澤田瞳子という諸氏の作品が取り上げられている。
 著者は、自己解説に一端として、「シラノの純情」というエッセイで、自分の好きな人物像として、シラノ・ド・ベルジュラックを挙げている。
「ただ、自分の好きな人物像があって、いろんな話を書きながらも、語っているのは、ただひとりの人間のことではないか、と思う。
 -シラノ・ド・ベルジュラック 」(p166)
「わたしが好きなのは、恋する相手に献身の思いがありながら、決して口にすることがない。シラノの純情であり、さらには女性でありながら鬚を生やしてもたじろがずに世間と向き合うことができたシラノの従妹の凜々しさだ。
 わたしの物語の中にこのふたりは必ずいるのではないか、と思う。」(p168)
とその中で記す。葉室麟の作品群について、読み解きのキーワードになりそうである。
 また、”「伊賀の残光」解説(青山文平 新潮文庫)”の中では、
「中年から書き始めた時代小説家の作品は読むのではなく、その語りかけに耳を傾けるものではないか。」(p137)と記している。この一文、葉室作品愛読者にとっては、著者が自己解説しているとも読み解ける一文と言える。通底する観点から葉室作品に接する示唆になりそうである。

 著者は、エッセイや解説で、著者の読書遍歴から簡潔な作家論を記している箇所が散見でき、興味深いところがある。その一例だけ取り上げてご紹介してみよう。
 ”藤沢作品には、たじろがずに過去を振り返るひそやかな強さがある。 p39
 いまなお藤沢文学がひとを癒やすのは、時代の波に押し流されない「悔いるやさしさ」があるからだ、とわたしは思う。 p41 ”

 本書を読み、もうひとつ気づいたのは、著者は過去の事柄を語るエッセイの中で、常に現代を意識しているのではないか。現在と過去を対比するという視点をどこかに置いているように思う。たとえば、「ますらおぶり」というエッセイ(2015年7月28日)の末尾に
「気になるのは、いま、われわれも、<ますらをぶり>の歌を口ずさいながら、坂を上ろうとしているのではないか、ということだ。」(p81)と記している。現代、我々が抱える危なっかしさに警鐘を打っていると感じた。

 葉室作品愛読者には、著者の作品群をより深く理解するためにも、読む意義がある一冊だと思う。

 最後に、本書から著者の思い・考えを表出していると感じたところを列挙してご紹介する。
*相手を信じることなく、憎悪と軽蔑を抱いて海を越えることはできない。 p17
*歴史とは思い出という名の記憶を積み重ねることでもある。
 歴史は客観的な事実を調べるだけでは不十分で「思い出す」ことが大切なのだ。 p23
*自らしたことを後悔する誠実さ、やさしさは現代になって失われつつあるものだ。p41
*拝者の歴史を伝えるのは、ひとのやさしさではないだろうか。 p57
*この世は夢であり、歴史もまた一夜の夢ではないか。 p61
*正直に言って、わたしも利休の美学は高い山を仰ぎ見る気がして遠く感じるばかりだ。
 黒楽茶碗の美しさがわかるかと言えば怪しいものだ。黒とい色は目立たないようでいて案外、存在を主張しすぎるように思う。 p68
*ささやかな煎茶の野点で生きる勇気をもらったわたしには、利休や織部、井伊直弼のような茶人たちがなぜ非業の死を遂げたのかがわからない。
 生きるための茶だと思うのだが、どうだろうか。  p69
*「献身の喪失」こそが、鴎外が行きた明治という時代と清張が見つめた昭和の違いなのかもしれない、と想いながら鴎外旧居を後にした。 p97
*古から危機との遭遇とその中でいかに生き抜くかは人間の課題だった。だからこそ生死の覚悟を考え抜くのが学問だった。 p111
*ひとが何かを大事にするときは、心に屈託を抱えているということだ。それは人生で失ったものか、あるいは得られなかったものか。  p130
*関ヶ原の戦いは人生の縮図であり、世界そのものなのだ。  p156

*これだけははっきりと言えると思っているのは、小市民も戦わねばならないときには戦う、ということだ。  p173
*権力者はひとびとの生活に大きな影響を与えるが、個人の人生の価値に関しては指一本ふれることはできないのだから。  p176
*自分はどのように生きているのかを見つめ直すことこそが兼好への出発なのかもしれない。  p196
*これが「西郷の心」だったのではないか、とわたしが思ったのは、「心は則ち能く物を是非して、而も又自ら其の是非を知る」という言葉だ。  p205
*歴史の解釈はすべて、事件が起きてから、なぜ起きたのかと意味づけし、合理化をするための「後知恵」に過ぎない。  p210
*ひとりの人間が「わかる」ことは限られている。だから、「考える」ことと「感じる」ことが必要なのだ。  p211
*歴史研究書を読んで、歴史がわかったと思うのは、魚屋の店頭で死んだ魚を見て、海や川の中で泳いでいた魚が「わかった」と思うようなものなのかもしれない。
 だから、死んだ魚を見て、生きて泳いでいる魚を想像し、さらに魚の気持を感じることが大切なのではないか。
 こんなところから歴史小説は書き始られるのだと思う。  p213
*ひとは生きていくことで、挫折や失敗の苦渋を味わう。
 そうなると、歴史を見つめても、もはや「勝者」の視点は持ち得ない。  p214
*ほとんどのひとが何らかの意味で敗者だからだ。「勝者」であるということは、もともと幻想に過ぎない。 p214
*権威主義に骨がらみになった埃をかぶったような歴史が真実なのではない。自らのDNAの中に息づき、笑い、泣き、怒ることができる歴史が大切なのだと考えてきた。いわゆる稗史である。そのなかにひとびとの真実があるのだから。だから歴史はエンターテインメントとして語られてよいはずだと思う。  p217-218
*「崔杼弑君」という言葉も思い出していた。・・・・・歴史小説においても、なすべきことは同じだ。太史が殺されたと聞き、竹簡を持って駆けつける史官が、歴史小説家の理想なのではないか。そのことをわたしは司馬さんから学んだと思っている。  p218

 これらの一文から思いを深めることができるし、著者の作品理解に役立つだろう。
 その一方で、これらの葉室トークがどういう文脈からでてきているかを、エッセイ・解説から読み取り、感じていただきたいと思う。

 ご一読ありがとうございます。

徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『玄鳥さりて』  新潮社
『津軽双花』  講談社
『草雲雀』  実業之日本社
『日本人の肖像』  聞き手・矢部明洋   講談社
『草笛物語』  祥伝社
『墨龍賦』 PHP
『大獄 西郷青嵐賦』   文藝春秋
『嵯峨野花譜』  文藝春秋
『潮騒はるか』  幻冬舎
『風のかたみ』  朝日新聞出版

===== 葉室 麟 作品 読後印象記一覧 ===== 更新5版(46+4冊)2017.7.26


最新の画像もっと見る

コメントを投稿