遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『津軽双花』  葉室 麟   講談社

2018-04-27 12:34:03 | レビュー
 2016年7月に発行されたこの単行本には、タイトルとなっている『津軽双花』の他に、『決戦! ****』という作家競作シリーズに著者が発表している3つの短編『鳳凰記』、『孤狼なり』、『鷹、翔ける』が併載されている。決戦!シリーズの読後印象記は各々を既にご紹介しているので、ここでは本書タイトルの作品についてだけ、まとめてみたい。
 奥書を読むと、『津軽双花』は2015年8月~12月に毎日新聞で連載されたのが初出のようである。この時代小説は、関ヶ原の合戦の後に、津軽藩4万7000石の津軽信枚に嫁した二人の美貌の女性の心情と葛藤を描くということをテーマとしている。
 二人の女性は、それぞれ関ヶ原合戦を契機として、時代に翻弄される運命にあったともいえる。それはなぜか?

 まず津軽家の位置づけを明らかにしておこう。話は信枚の父、為信の次代から始まる。為信は津軽地方を支配していた南部氏から自立して一家を為した。天正18年(1590)の小田原合戦には、秀吉に味方し、津軽一円の領有を認められる。このとき、本領安堵に石田三成が口添えをしたのである。慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦では、家康に味方して功を上げ、その結果津軽本領を安堵されたうえ、翌年上州大館2000石を飛地として加増される。信枚には兄信建がいたが、信建は父とそりが合わなかった上に、8歳の遺児を残し、父より先に病没する。その結果、為信が信建の後を追うように亡くなると、信枚が家督を継ぐ。そして、家督問題の内紛に粛清の手段を用いてケリをつける。争いが家中に深い傷を残すが、信枚は甘受する。父が豊臣家に仕えている時には、父の命により、信枚はキリシタンの洗礼を受けた。そして、父の没後に、先を見越していち早く棄教する。「家中でのおのれの評判を顧みずに主君に報告いたす家臣は、主君が家臣たちから憎まれるのを防いでおるのだ。それゆえ、まことの忠臣であろう。憎まれてこそ忠臣とはおかしな話だな」(p23)という考えを持つ藩主である。津軽家を守る意志が強く、先を読め、天海が利け者と評価する武将である。
 三成の居城佐和山城が落ちた時点で、津軽信建は三成の息子の一人、隼人正重成をいちはやく津軽に落ち延びさせた。津軽家では、重成をかくまい、杉山源吾と名乗らせ家臣とした。そのことを天海も家康も知っている。

 そんな背景を前提に、秀吉の正室だったねね、落飾後の高台院は、慶長15年、養女にしていた辰姫を津軽信枚の正室として嫁がせた。辰姫は石田三成の娘だった。そして、高台院は津軽家の家督を継いだ信枚と石田の縁が薄い故に、津軽家の家臣となった重成のためを考慮し、信枚と石田の縁を深める意図を秘めたのだ。辰姫は津軽藩の江戸屋敷で過ごすことになる。信枚と辰姫の仲はしっくりと育まれていく。
 勿論、家康と天海は辰姫の素性も知っている。
 
 慶長18年(1613)、このストーリーのトリガーが引かれることになる。徳川家康の姪である満天姫が登場することになる。満天姫は11歳で、安芸50万石・福島正則の養嗣子、政之に嫁し、嫡男直秀を生した。正則の実子忠勝が生まれると、正則は理由を付けて正之を廃嫡し、その後幽閉した。満天姫は正之が廃嫡されると直秀を伴って実家へ戻っていたのだ。下総国関宿から江戸城に呼び出された満天姫は、天海の謀にのり、津軽信枚に嫁がざるを得なくなるのである。満天姫は天海の謀を回避するために、家康から<関ヶ原合戦図屏風>を下げ渡されることを交換条件にしていたのだ。離縁を経験した満天姫は、夫婦が生木を裂かれるように別れる苦しみを辰姫が石田三成の娘だとしても味わわせたくはないという思いを抱いていたのである。
 よもやと思っていたのに、家康は応諾した。それには、大坂攻めを想定した家康の政略が背景にあった。家康は、大坂攻めを前提にし、利け者である津軽信枚を仙台の伊達正宗への押さえとして徳川方の味方であることを外見的にも鮮明にさせたいという狙いがあったのである。「まだ戦の世は終わっていないのだ」という家康の一言が、満天姫の心を動かすことになる。
 「戦の世が終わっていないとすれば、満天姫が津軽家に嫁ぐことは泰平の世を開くための一石かもしれない。だとすると、やりがいはある」(p13)と。

 天海僧正が津軽信枚に満天姫との縁組話を持ち込むと、信枚は加増された結果の飛地である上野国大館の陣屋を整備し、正室辰姫をここに移していたのである。辰姫は江戸屋敷を出て大館に住むことで、石田三成の娘であること、信枚の正室であるとは何かなどについて思いを巡らし始める。

 満天姫は信枚に嫁ぐ前に、一度辰姫に会っておきたいと思う。そして、天海の先導で突然の如くに、大館の陣屋を訪れて二人が会することになる。ここから二人の心情次元での戦が始まっていく。
 辰姫の実兄・杉山源吾が大館に着き、天海僧正の大館来訪予定を報せる直後に、天海と満天姫が追いかけてきたかの如くに、現れる。この面談がストーリー展開の最初の山場になると共に、ある意味でそれぞれの生き様を方向づけていく契機になる。この場面、なかなか面白い展開である。

 慶長18年6月、満天姫は津軽家に輿入れする。津軽藩江戸屋敷に居住することになる。
 徳川家康の肝いりであり、満天姫が外形上は信枚の正室となる。一方、元正室の辰姫は大館の陣屋に住み続けることになる。辰姫は、信枚の正室であるという矜持を保ち続け、石田三成の娘に恥じない存在たらんとする。周りの人々は大館御前と呼ぶようになる。
 一方、信枚に嫁いだ満天姫は、初夜にいきなり大館御前を召し放ってほしいと信枚に告げるが、信枚は満天姫の願いを拒絶する。ここから二人の関係が始まって行く。
 満天姫の反応が興味深い。信枚の拒絶は、妻としては悲しいが、家康が背景に控えていることを承知で、満天姫の要求を拒絶した武士の気概を、慕わしく信ずべき御方とわかり、女子としては嬉しいというのである。そして、祝言は挙げたが、初夜の今宵から直ちに寝所を別にしてほしいと告げる。つまり、家康という大御所の権力とその存在を捨象して、己自身の存在としての関係づくりという道を歩み始めるのだ。満天姫は言う。
 「女子は臨まれてこそ夫とともに生きていけるのです。わたくしは殿に望まれる女子となる道を歩もうと思い定めました。この道を歩めば必ず殿のもとに参れると信じております」(p43)と。
 著者は、政略の道具としての婚姻関係で送り込まれた満天姫に、政略の道具であるという点は自覚した上で、自立した女性の意識で泰平の世への一石として殉じるというスタンスをここに描き出す。かつ誠の心情での夫婦の繋がりを求めるためには、茨の道を辞さない覚悟を持った女性像を満天姫にも投影していく。大館御前と呼ばれるようになった辰姫もまた、信枚の生き方を支えていくために違う意味での茨の道を歩むことになる。

 ここに二人の女性による関ヶ原の合戦が始まっていく。外形上は、家康と三成の更なる代理戦争があらためて二人の間で始まったかのようである。それは大阪城での合戦が家康の脳裡で想定されている時点が事の始まりとなっているからだ。家康が津軽藩のいわば地政学的立地を念頭に置いた布石である。関ヶ原の合戦での家康と三成の真の思いはどこにあったのかが改めて、辰姫と満天姫の関係に重ねられ、投影されていくことになる。
 そして、時の流れとして大坂の冬の陣、夏の陣が進展していくことになる。
 大坂攻めの展開には、辰姫と満天姫の出自とバックグラウンドが再び蘇り、高台院をも巻き込んで、一つの役割を担っていく。津軽藩の双花が投げ込まれ、関わって行くことになる。さらに豊臣の義は何かという視点も高台院を介して語られて行く。ここに著者葉室の歴史的視点があり、それは「決戦!」シリーズで発表された短編小説とも呼応する。

 元和5年1月1日に辰姫は大館の陣屋で男児を生む。平蔵と名づけられる。
 その年6月、新たな問題が発生する。本多正純が画策し、信枚に津軽藩の移封を投げかけてくる。それは広島の福島正則を津軽に移封することとの絡みとして出来する。ここでもまた、満天姫と辰姫が重要な役割を担っていく。
 二人の生き様は、津軽家の存続という観点で、政治の側面への関わりと戦いを余儀なくされていく。そこで双花が連携プレイを行う関係にもなる。興味深い関係である。
 この本多正純の謀に対する、対処の仕方とそのプロセスもまた、読ませどころとなっていく。

 もう一つ読ませどころがある。それは辰姫が労咳を患い、命がのこり幾ばくも無い時点で、できればもう一度満天姫に会いたいと思う辰姫の願いが叶う場面である。二人の関係が何だったかを、二人が確認しあう事になる。そして満天姫は辰姫に重大な決意を告げる。

 元和9年7月25日   辰姫没す  享年32歳
 寛永8年(1631)1月 信枚病没  享年46歳
 寛永15年      満天姫弘前にて没す 著者享年を記さず

 辰姫が没した後、満天姫が亡くなるまでには、津軽藩に様々な事が起こる。著者はその事実を記録する筆致で描いて行く。そこには満天姫が生んだ連れ子の直秀の毒死の背景も語られる。

 この小説のテーマは津軽藩に咲いた双花をはじめ、ここに登場する主な人々の信念・思いとその生き様をも描くことにあるのだろう。己の見出した道の貫徹を描くといえるのかもしれない。
 著者の得意とする領域で筆を振るった作品の一つと言える。
 歴史の事実とフィクションの切り分けは、背景を知らない私には不明である。しかし、この小説を通じて、津軽信枚に関わった二人の女性の存在と津軽信枚及び石田三成の系譜に関心を広げるトリガーとなった。勿論、あらためて徳川家康にも。

 ご一読ありがとうございます。
 

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この作品に関連する事項で関心の波紋を広げてみた。一覧にしておきたい。
津軽氏  :「戦国大名探究」
津軽家歴代藩主  pdfファイル  :「弘前観光コンベンション教会」
津軽家霊屋  :「弘前市」
津軽家 :「日本の墓」
系図で見る近現代史 第17回  :「近現代・系図ワールド」
石田三成に遺児を匿った弘前藩を徳川家康はなぜ黙認したのか?
  [謎解き歴史紀行「半島をゆく」歴史解説編]         :「サライ」
石田三成の子孫が青森にいた理由とは?現在の動向も紹介!:「ヒストリーランド」
津軽為信と石田三成の関係。関ヶ原の戦いの後の恩返しとは? :「ヒストリーランド」
『弘前市のミステリーロマンと徳川家康の実像』 :「栃木産業保建総合支援センター」
1分で知る辰姫 ~辰姫ってどんな人?~ :「辰姫と私」
杉山源吾(石田重成)が匿われた津軽の地に辰姫は源吾と来ていない :「辰姫と私」
満天姫は辰姫の生前も死後も、辰姫を認めていなかった :「辰姫と私」

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徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『草雲雀』  実業之日本社
『日本人の肖像』  聞き手・矢部明洋   講談社
『草笛物語』  祥伝社
『墨龍賦』 PHP
『大獄 西郷青嵐賦』   文藝春秋
『嵯峨野花譜』  文藝春秋
『潮騒はるか』  幻冬舎
『風のかたみ』  朝日新聞出版
===== 葉室 麟 作品 読後印象記一覧 ===== 更新5版(46+4冊)2017.7.26



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