遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『大獄 西郷青嵐賦』 葉室 麟  文藝春秋

2018-02-10 20:14:19 | レビュー
 2017年12月23日葉室麟さんが逝去されたと、翌24日の新聞記事で読み愕然とした。まだまだ今後も様々な作品を読めることを期待していたのに・・・・。無念という想いである。愛読している作家がまた一人、黄泉の国に旅立ってしまった。謹んで、合掌。

 著者没後に読んだのが本書である。タイトルの『大獄』は、井伊直弼が大老となって実行した安政5年(1858)9月の「安政の大獄」に由来するのだろう。それは、万延元年(1860)3月の「桜田門外の変」を果とすることになる。
 サブタイトルは、「西郷青嵐賦」である。西郷吉之助(のちの隆盛)の人生の春から夏の時代に焦点をあて、その同時代の動向とともに描きあげた歴史小説である。吉之助の20歳から36歳の人生ステージを描き出している。

 本書の冒頭は、1846年6月、琉球、那覇の港にフランス軍艦クレオパトール号とビクトリューズ号を率いるセシュー提督が入港した日の点描から始まる。慶長14年(1609)2月に薩摩の島津氏が琉球を侵攻した以降、琉球は薩摩藩の支配下にあった。琉球は薩摩藩にとって、密貿易を行う拠点でもあり、中国を含め海外の文物・情報をいち早く入手できる窓口でもあったようである。このフランス軍艦来航は、アメリカのペリー艦隊が浦賀港に姿を見せる嘉永6年(1853)6月の7年前になる。
 そして、この年6月25日に薩摩藩世子、島津斉彬、38歳が薩摩に帰国した。ストーリーはここから動き出す。斉彬の帰国は、老中阿部正弘の指示による。喫緊の課題である海防問題に関連していた。斉彬は帰国後、琉球在番の者に、フランスとの交易・通信はよいが、キリスト教の布教は禁じる命令を出し、一方海防策の指示も出す。
 薩摩藩の藩主は斉彬の父・斉興であり、いまだに家督を譲ろうしていなかった。藩主斉興のもとで、斉彬の祖祖父重豪のころにふくれあがった借財のために、破綻寸前の薩摩藩の財政を立て直したのは調所笑左衛門だったが、百姓・町人には無慈悲な役人でもあった。この調所の功績を認めつつも、斉彬はこれからの世を動かしていくうえで、適任ではないと判断していた。斉彬は「仁勇の者」を見出し、己の下で使うという考えを持っていた。斉彬が琉球館を視察に行った折りに、下問した相手が大久保利世である。斉彬から「仁勇の者」と聞き、脳裡に浮かんだのが西郷吉之助だった。利世は斉彬の下問に対し、藩内の有望な若者の名前を幾人か伝える中に、西郷の名前も加えたのだ。著者はこれを契機として描いて行く。

 このストーリーは、斉彬に西郷の名が記憶された時点から始まる。一介の薩摩藩士としての潔い生き様を思念していた西郷が、斉彬の命を受けて行動する過程で、斉彬の生き様、薩摩藩のことより天下のことを考えるという思想に共鳴し、思考次元を天下国家へと視野を広げていく方向転換、ステップアップをしていく。
 嘉永七年(1854)1月に参勤交代に随従し江戸出府することを命じられ、3月に江戸に着く。ここから、斉彬の指示を受けた西郷の行動が描かれて行く。諸藩の枢要の人物との交わりが必然化し、それが西郷の思考次元を変容させていくことになる。仁勇の資質の西郷に知の側面での磨きがかかっていく一種の開眼過程でもある。
 著者がこの西郷青嵐賦で描きたかったのは、西郷にとっての日本国とは?の開眼プロセスであり、その背景としての薩摩藩と世の中の双方の変転激動の経緯ではなかろうか。そこに様々な人間関係、政治的関係が幾筋もの流れとして交錯しつつ織り込まれていく。
 松平春嶽を鋭鋒とする福井藩と橋本左内の活動、水戸斉昭の下で活躍した藤田東湖・戸田蓬軒の時代とその後の水戸家の分裂過程、時代が引き入れた井伊直弼の大老就任とその手足となった長野主膳の暗躍。尊皇攘夷の思想と行動が台頭し始める一方で、将軍継嗣問題-紀州藩主徳川慶福か一橋慶喜か-がクローズアップされ、それが攘夷開国問題と密接不可分の関係として展開していく。斉彬・春嶽・斉昭は一橋慶喜を擁立しようと画策する。井伊直弼は慶福擁立派に加担していく立場になる。
 一介の下級藩士だった西郷吉之助が斉彬に見出されたことにより、時代の渦中に投げ込まれ、後に明治維新への主要人物群の一人となるベースづくりがここに進行形として描き込まれていく。このプロセスが読みどころとなる。一方、そこには安政の大獄で散らされて居いった人々の青嵐賦にも繋がって行く。
 また、西郷のこの人生ステージにおける薩摩藩内の事情とその動きが西郷の開眼にとって重要な要因となる側面を著者は重視していると思う。高﨑崩れ/お由羅騒動、篤姫の徳川家輿入れ問題、斉彬の突然の死などが西郷の思考と思想、信念を練り上げる要因になっていく。
 
 井伊直弼の実行した「安政の大獄」と後に称される酷烈な処断の始まりは、西郷の人生のこの時期を画するクライマックスへの動因になる。それが、勤王僧月照の逃避行につながり、西郷はその逃亡に助力する。途中、月照と西郷は別行動をとり、西郷が薩摩で月照と再会することになる。だが、その再会は龍ヶ水大崎鼻沖で、月照と西郷がともに入水するという一つのクライマックスを迎える。ここで著者は西郷がなぜ海に投身するという死への道を選択したかの裏の意味を描き込んで行く。
 表向きは月照と西郷の入水行為により西郷も死んだとされた。だが、西郷は生き残る。藩からは、菊池源吾と改名して奄美大島に潜居するようにと申しわたされる。
 この小説の最後のステージは、西郷吉之助が幕府の目から逃れるための「潜居」として奄美大島で生活する時代を描く。西郷隆盛の行動については多少知ってはいたが、西郷吉之助の前半生は殆ど知らなかった。西郷が月照とともに海に入水したという点的情報を知っていたくらいである。奄美大島潜居時代がその後にあったことすら知らなかった。この小説を読んで初めて知った。
 具体的な尊皇という立場での活動から切り離され、客観的に藩と時代の動きを見つめざるを得ない立場に置かれた西郷にとって、この潜居時代は別次元において己の思考と信念を鍛える機会になった。奄美大島の人々との人間関係を含めて、その点を著者は描こうとしたのだと思う。西郷が「島妻」を娶ったのは史実であるようだ。それを踏まえてどこまで著者のフィクションが織り込まれているのか知らないが、奄美大島時代は、吉之助が島民の目線から薩摩藩政や統治を見つめる機会になったように思う。
 「吉之助と愛加那の間に長男、菊次郎が生まれたのは万延2年(1861)1月のことだった。吉之助は三十五歳で初めて子をなしたことを羞恥し、鹿児島への手紙で、-不埒のいたり と書いた」と著者は記している。私には、西郷隆盛のプライベートの側面の事実を知る機会になった。その後すぐに第二子を得ているという。

 著者はこの奄美大島時代の中でこう記している。(p312-313)
 (おいが奄美に来たとは何をすべきかを知るためじゃった)
 「この海を守らにゃいけんのじゃ」
 それは、一蔵や久光にとって思いおよばない、
 -回天 
 への道だった。

 文久2年(1862)1月15日、「坂下門外の変」が起こる。老中安藤信正が、和宮降嫁に憤る水戸浪士たちに襲撃されたのである。安藤は負傷にとどまったが幕府の権威は地に落ちた事件である。この後、吉之助は藩から召喚の報せを受ける。著者は、吉之助が笠利湾の港から船に乗るところでこのストーリーを締めくくっている。

 この小説は、西郷吉之助に光を当てながら、その裏に常に併存する形で、大久保一蔵の生き様を織り込んでいく。この無二の友という間柄で有りながら、異なる生き様をしていく有り様を描くことが、サブテーマになっているようにも思う。斉彬に吉之助の名前を伝えた大久保利世は一蔵の父である。この利世に端的に吉之助と一蔵の違いを語らせているところからストーリーが始まっていくところも興味深い。そして、最終ステージで、吉之助が愛加那に語る言葉のなかに、親友で有りながら、相容れない部分を語らせている。このセリフがたぶん明治維新後の二人の生き方の別れ道の根底にあると著者は見極めたのだろう。
 「そうじゃ。ひとを動かすのは心だけじゃ。久光様も一蔵どんも力がひとを動かすと思うちょる。だが、自分に置き換えてみればわかることじゃ。力で抑えつけられて本当に動く者はおらんとじゃ。ひとを動かすのは心だけじゃ」(p320)

 ひょっとしたら、著者は西郷の人生ステージをいくつかの独立した歴史小説として積み重ねていくという連作の構想を抱いていたのではないかと想像する。そうあって欲しかったなぁ・・・・・・と、一読者として思う。嗚呼、無念。

 ご一読ありがとうございます。


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井伊直弼の大老政治について  :「彦根城博物館」
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橋本左内  :「コトバンク」
西郷隆盛と橋本左内  :「大西郷の周辺」
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(西郷隆盛の生涯)将軍継嗣問題から西郷の入水まで  :「西郷隆盛の生涯」


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『嵯峨野花譜』  文藝春秋
『潮騒はるか』  幻冬舎
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===== 葉室 麟 作品 読後印象記一覧 ===== 更新5版(46+4冊)2017.7.26


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