著者の名前を知ったのは、釈徹宗と著者の対談をまとめた『現代霊性論』が初めてだった。多数の著書を出版されているが、私は未読。奥書を見ると、街場シリーズも沢山出ている。タイトルをあげてみると、『街場の現代思想』『街場のアメリカ論』『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』『街場の共同体論』『街場の大学論』『街場のマンガ論』『街場の読書論』『街場のメディア論』。そして、共著として『街場の憂国会議』『街場の五輪論』と、実に多分野に広がりを見せている。「街場の」というフレーズが著者本のキャッチフレーズになっている感がある。一方で、著者が受賞した著書は『私家版・ユダヤ文化論』(第6回小林秀雄賞)、『日本辺境論』(2010年新書大賞)だというのも、ちょっとおもしろいところ。
さて、私がこの街場シリーズの存在をあまり意識せず手に取ったのがこの『街場の戦争論』。特定秘密保護法、集団的自衛権行使論議-国民の大反対にかかわらず、何と国会で法改正決議がされてしまった!-という胡散臭い政治の動きの中で、本書タイトルの後半「戦争論」に惹きつけられて読んで見た。宗教家と霊性を論じている著者だったからという点がもう一つの動機にある。
読後印象は、思考と論理の展開が実に歯切れが良くて、刺激的で示唆的だったこと。その論理展開と観点の摘出並びに批判的言辞は明確で納得度が高い。マスメディアが語らない、あるいは語れないのかも知れないが、状況証拠からの論理的推論による指摘に説得力があると感じる箇所がある。マスメディアの論調にも一定の距離を置き、書かれていないことについて考えることの必要性を強く感じる書でもある。
そして、本書の内容が比較的硬質であるにもかかわらず読みやすいのは、著者が話した内容の録音をテープ起こしして、それを削除編集し加筆修正されていることに起因するようだ。
ここでいう「戦争論」は、戦争そのものについて知るという視点・立ち位置である。クラウゼヴィッツに代表されるような軍事戦略的に戦争行為、戦争を論じることではない。「まえがき」において、著者は我々が今いる現在は、「負けた先の戦争」と「これから起こる次の戦争」にはさまれた「戦争間期」なのではないかと認識して、戦争そのものを論じていく。今の時代の空気の中に禍々(まがまが)しさを感じるところから、本書の考察動機がある。そこには、先の戦争の敗戦後70年の総括をきっちりとやらないと、禍々しきものの到来を回避できないという危機感が根底にある。戦争を知るために、戦争を引き起こす政治と経済、組織の有り様を「負けた先の戦争」の歴史的背景について分析する。そして「これから起こる次の戦争」という未来に対して、その起因となる現在の政治と経済及び組織の態様に目を向けていく。現在を「二つの戦争の間に宙づりになった日本」という文脈の中で眺めてみた著者が論理思考と想像力を羽ばたかせた結果のまとめである。「少しだけのあとがき」に、副題をつけるとしたら、たぶん「想像力の使い方」だろうと著者自身が述べている。つまり、この書は、読者に今の日本の有り様に対し、想像力を働かせることへの誘いであるといえる。現状認識への刺激剤である。
本書の構成を著者の2分類でいうならば、前半の1~3章が「戦争の話」に軸足を置き、後半の4,5章が「危機的状況を生き延びる話」に関連している。この後半は戦争論の範疇とは少し視点が異なる内容に比重が移っているように思う。
章構成に沿って、読後印象などをまとめておきたい。
<第1章 過去についての想像力>
「先の負けた戦争」からの戦後70年間に、「日本人は戦争に負けることによって何を失ったのか」をきちんと数え挙げて総括もしきれていないのではないかと著者は問題提起する。決定的に失われたものをきっちりと認識しないと、失敗から学ぶことにはならないし、同じ過ちを繰り返すことにつながるということだろう。それは「戦争」の本質の理解とも関わって行く総括がなされていないという指摘なのだ。そして原理的な認識論と手法を論じ、たとえば現在のマスメディアの取材や自民党の政治家の論点のズレを例示している。本書の冒頭部分での説明からなるほどと引き込まれていく。著者の原理的認識の視点をいくつか抽出要約してみる。関連ページを付記した。
*敗戦国(つまり、日本)は、戦争の被害に対し事実上「無限責任」を負う。戦勝国なり旧植民地から「もうこれ以上の責任追及はしない」と言われて初めて責任完遂といえる。p20-24
*国際法に従う限り国家の行う戦争自体は犯罪ではなく合法的なものである。ただし、戦勝国が戦争犯罪を適用するとき恣意性がつきまとう。 p24-27
⇒この部分は、第5章のp246-247で、戦争は「どちらも正しい」から始まる点に言及している箇所と併せて読むとわかりやすい。
*歴史に「もし、あのとき、『こちらの選択肢』を選んでいれば、日本はどうなったか?」と想像し、事実のプロセスを追うと、「弱い現実」と「強い現実」の識別ができる。そして、「必ずしもそうなる必然性のなかった現実」を実践知として学ぶことで、敗戦により失ったものを自覚し、認知できる。 p30-48
⇒著者はこの手法で、失ったものとその原因を摘出していく。この指摘は考えるべき材料となる。知的想像力の使い方として刺激的だ。
著者は、日本が「ふつうの敗戦国」になれなかった現実を分析していく。
*ドイツ、イタリア、フランスの負け方の分析を通じて、日本の負け方の問題点が見えてくる。 p49-79
⇒著者は、1944年以前に講和をしていれば大日本帝国は主権国家として負けることができた。だが、歴史の現実は、戦前と戦後を架橋する「戦争主体」を不在のまま「物事のなり行き」という曖昧さで「敗戦処理」したことを指摘している。そのため「ふつうの敗戦国」でない日本となったと。そして「今の日本は主権国家ではありません。アメリカの従属国です」(p42)という著者の認識に帰結する。「主権国家」についての著者の論述を本書を開いて読んでいただきたい。
「死者の負債の引き継ぎを拒否する主体に『喪主』の資格はありません」(p78)という記述は重い意味を内包している。
<第2章 ほんとうの日本人>
著者は、「ほんとうの日本人」とは、自立し、自分の倫理を保持し、いかなる権威にも屈服しない人間を言い、それは主権国家であってこそ存在すると論じている。
著者の論理展開から導かれる興味深い発言がいくつかある。一つ引用しておこう。
”僕が「戦後レジーム」と呼びたいのは、今の首相を二度政権の座につけたレジームそのもののことです。首相自身が端的にわれわれが脱却すべきレジームの徴候なのです。彼が今おこなっている政治活動そのものがまさしく「戦後レジームの最終形態、そのグロテスクな完成形」以外の何ものでもない。 ・・・・・・
僕が「戦後レジーム」と呼ぶのは一言にして言えば、主権のない国家が主権国家であるようにふるまっている事態そのもののことです。どうせそう呼ぶなら、それをこそ「戦後レジーム」と呼んでいただきたい。” p92-93
著者は、戦後70年間で日本の従属的環境そのものは変化していないが、従属マインドのありかたは変化したと論じ、それは「アメリカに従属的であればあるほど個人においては日々の生活が快適になる。これが従属国マインドの完成」なのだという。戦後70年の経過がこの奇形的な心理を作り上げてしまったので、「ほんとうの日本人」は現存しないのだとする。現存しないと断定すれば、著者自身も濃淡の差はあれ、「ほんとうの日本人」ではないということになる。「主権の回復」から出直すべきということなのだろう。
次の指摘はわが国の状況を端的に表すのではないか。
「重要政策が一夜にして転換したときに、『誰の干渉でもない、気が変わったのだ』と言い訳を総理大臣が平然と口にして、それを誰も咎めない。こういうことが起きる国を従属国と呼ぶのです。」(p98)
<第3章 株式会社化する日本政治>
この章の見出しが内容を明確に象徴している。株式会社は「成長に特化した経営」をめざし利益を生み出すことを目的とする組織である。仮に経営が破綻し倒産の事態になっても、株主は有限責任であり、投資した金額が失われるだけの自己責任で済む。現安倍政権は「経済成長に特化した国づくり」をめざそうとしているが、「成長に特化した国家統治」などはありえないことを論じていく。なぜなら「国民国家は無限責任組織だからです」(p157)と説明する。この論理は説得力があると思うが、詳しくは本書をお読みいただきたい。
日本の改憲派の人たちの理想は「国民国家の株式会社化」の成功事例・シンガポールだろう断じている。「シンガポールでは人民行動党という政党の事実上の一党独裁が建国以来半世紀続いています」(p139)それを維持するための様々な法規制がなされていることを例証する。独裁制は民主制の対極にある。日本政治を担う現政権は、独裁的な政体が経済活動にとり効率的だと信じ、「金」を選択肢にするという方向を目指しているのではと指摘する。
この章で論じられていることには耳を傾ける項目がいくつもある。論点を要約しご紹介する。
*緊急事態に対処できる法整備は存在しない。できるのは緊急事態に対応できる人間を育てることである。 p126-127
*憲法の主務は国家の惰性を担保することで、国のかたちを急に変え、急旋回することができないようにする安定装置である。行政府の独走を阻害する装置である。 p131-142
*自民党の改憲案は、官邸を国会、憲法より上位に立たせる統治体制を目論むものだが、アメリカに拒否された。そして特定秘密保護法、解釈憲法の路線を進めた。アメリカはこちらにOKサインを送った。そんな政治文脈が一連のプロセスから読み取れる。しかし、それはマスコミが黙して語らない側面でもある。 p142-160
⇒この政治文脈の読み方は刺激的である。ぜひご一読を!
*国家の目的は「生き延びること」にある。 p161-167
これら要点についての論理展開を本書で読んでいただくと、副題が「想像力の使い方」になるという意味が第1章と併せて、より鮮明に理解できるのではないかと思う。
<第4章 働くこと、学ぶこと>
この章は「戦争論」という書名からすると、少し異質である。しいて言えば、「生き延びる」という点で「仕事」を見つめると、情報がコントロールされているという点での例示になっている。「今の就職情報産業は、就活情報をあきらかに意図的にコントロールしていると思います。一つは就活の一極集中化ということです。」(p170)つまり、都市部の就職情報だけに特化しているということへの問題指摘である。それが現代の企業側にとって有利だから・・・。つまり、マスメディアは意図的にコントロールされた情報を流す側面があるということなのだ。
書名に捕らわれなければ、この章は独立した内容としてけっこうおもしろい。「天職」という視点での仕事、著者の経験してきた武道を例にとり、無収入で弟子として修業期間を含む領域の問題を論じている。手に職(技)を身につけるという仕事に通底する局面を論じているといえる。「仕事は仕事のほうからやってくる」というパラドキシカルな見出しが、「働くこと」の意味を考えさせる。
「身体的同期能力」「身体技法について語る」という興味深いテーマに触れられていておもしろい。
<第5章 インテリジェンスとは>
イギリスにおける「ケンブリッジ・ファイブ」事件、つまり「キム・フィルビー」事件を代表的事例として例示し、諜報活動を論じ、意識的な機密漏洩が戦争リスクを引き下げるという側面を指摘する。「情報を出さない国」のほうが「情報が漏れる国」よりも外交上のトラブルを起こしやすいという逆説的な事態が起きることを論じている。この切り口から眺めた時に、「特定秘密保護法」の無益さ、無意味さを論理的に分析していて、おもしろい。著者は「日本が諜報活動ができない国」になっているのに、法律まで作るという愚かさを指摘している。
最後に、この章に触れられている重要な警鐘のなかから一つを引用しておきたい。
「今後、集団的自衛権を発動して、日本がイスラーム圏でアメリカの軍事行動に帯同した場合、日本はイスラーム過激派のテロの標的になるリスクを抱え込むことになります。そのことが高い確率で見通せるにもかかわらず、安倍首相とその周辺が前のめりに戦争にコミットしようとしているのはなぜか。
半分は安倍首相という個人のパーソナリティに起因していると思います。『戦争がしたい』という個人的な理由があるのでしょう。でも、それは個人の無意識の領域で起きている出来事ですから、われわれは関与のしようがない。けれども、そのような無意識的欲望が政策的に展開するのは、それとは違う実利的な理由があります。経済成長です。」(p247-248)
戦争は超膨大な物資を破壊のために一方的に消費しする最たるものである。戦争が経済成長と直結しているのは歴史が如実に示している。そして、それは一方で、国家の名によって組織的に膨大な一般庶民の人命を殺傷するしくみでもある。
日本は、今国会での強硬採決により、「これから起こる次の戦争」という未来を自ら引き寄せることになったのではないか。恐ろしい一歩が踏み出されたのだ。
ご一読ありがとうございます。
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。
本書に関連する事項、関心事項をいくつかネット検索してみた。一覧にしておきたい。
カール・フォン・クラウゼヴィッツ :ウィキペディア
戦争論 :ウィキペディア
集団的自衛権の問題点 :「文芸ジャンキーパラダイス」
集団的自衛権をめぐる憲法9条の解釈の変遷 :「MEDIA WATCH JAPAN」
論説 集団的自衛権容認の閣議決定の問題点 山内敏弘氏
集団的自衛権をめぐる問題 :「日本弁護士連合会」
国際政治の視点から改めて考える安保法案 植木千可子×荻上チキ
2015.09.25 Fri :「SYNODOS」
第42回<戦後レジームからの脱却> :「法学館憲法研究所」
「戦後レジームからの脱却」とはなにか :「YAHOO! ニュース」
戦後レジームからもっとも脱却できていないのは安倍総理、あなた自身です
2014.7.15 :「VIDEO NEWS」
キム・フィルビー :ウィキペディア
ブックレビュー キム・フィルビー ベン・マッキンタイアー著 :「日本経済新聞社」
「ケンブリッジ5人組」 キム・フィルビーは裏切り者か、理想主義者か
:「ロシアの声」
「インテリジェンスを読み解く30冊」(対談:佐藤優氏) :「Ryuichi Tesima」
「戦争は経済を活性化する」は本当か?~軍事ケインズ主義 :「るいネット」
アメリカはなぜ戦争をするのか--イラク戦争と軍事経済
:「科学的社会主義の視点から現代経済を考える」
戦争と経済の真実-戦争にはどのくらいの経費がかかるのか?
:「The Capital Tribune Japan」
ブッシュJrは戦争が経済を復活させると主張、巨大資本が儲かり略奪もできるが、死と破壊が伴う :「櫻井ジャーナル」
特定秘密の保護に関する法律 (平成二十五年十二月十三日法律第百八号)
「特定秘密の保護に関する法律案」に対する意見書 :「日本新聞協会」
特定秘密の保護に関する法律の廃止を求める意見書 沖縄中頭郡北谷町議会 pdfファイル
特定秘密の保護に関する法律の施行に抗議し、同法の速やかな廃止を求める声明
沖縄弁護士会
特定秘密の保護に関する法律の廃止を強く求める決議 東北弁護士会連合会
特定秘密保護法Q&A 青井未帆 / 憲法学 :「SYNODOS」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
著者の共著ですが、次の本の読後印象を掲載しています。
『現代霊性論』 内田樹・釈撤宗 講談社
さて、私がこの街場シリーズの存在をあまり意識せず手に取ったのがこの『街場の戦争論』。特定秘密保護法、集団的自衛権行使論議-国民の大反対にかかわらず、何と国会で法改正決議がされてしまった!-という胡散臭い政治の動きの中で、本書タイトルの後半「戦争論」に惹きつけられて読んで見た。宗教家と霊性を論じている著者だったからという点がもう一つの動機にある。
読後印象は、思考と論理の展開が実に歯切れが良くて、刺激的で示唆的だったこと。その論理展開と観点の摘出並びに批判的言辞は明確で納得度が高い。マスメディアが語らない、あるいは語れないのかも知れないが、状況証拠からの論理的推論による指摘に説得力があると感じる箇所がある。マスメディアの論調にも一定の距離を置き、書かれていないことについて考えることの必要性を強く感じる書でもある。
そして、本書の内容が比較的硬質であるにもかかわらず読みやすいのは、著者が話した内容の録音をテープ起こしして、それを削除編集し加筆修正されていることに起因するようだ。
ここでいう「戦争論」は、戦争そのものについて知るという視点・立ち位置である。クラウゼヴィッツに代表されるような軍事戦略的に戦争行為、戦争を論じることではない。「まえがき」において、著者は我々が今いる現在は、「負けた先の戦争」と「これから起こる次の戦争」にはさまれた「戦争間期」なのではないかと認識して、戦争そのものを論じていく。今の時代の空気の中に禍々(まがまが)しさを感じるところから、本書の考察動機がある。そこには、先の戦争の敗戦後70年の総括をきっちりとやらないと、禍々しきものの到来を回避できないという危機感が根底にある。戦争を知るために、戦争を引き起こす政治と経済、組織の有り様を「負けた先の戦争」の歴史的背景について分析する。そして「これから起こる次の戦争」という未来に対して、その起因となる現在の政治と経済及び組織の態様に目を向けていく。現在を「二つの戦争の間に宙づりになった日本」という文脈の中で眺めてみた著者が論理思考と想像力を羽ばたかせた結果のまとめである。「少しだけのあとがき」に、副題をつけるとしたら、たぶん「想像力の使い方」だろうと著者自身が述べている。つまり、この書は、読者に今の日本の有り様に対し、想像力を働かせることへの誘いであるといえる。現状認識への刺激剤である。
本書の構成を著者の2分類でいうならば、前半の1~3章が「戦争の話」に軸足を置き、後半の4,5章が「危機的状況を生き延びる話」に関連している。この後半は戦争論の範疇とは少し視点が異なる内容に比重が移っているように思う。
章構成に沿って、読後印象などをまとめておきたい。
<第1章 過去についての想像力>
「先の負けた戦争」からの戦後70年間に、「日本人は戦争に負けることによって何を失ったのか」をきちんと数え挙げて総括もしきれていないのではないかと著者は問題提起する。決定的に失われたものをきっちりと認識しないと、失敗から学ぶことにはならないし、同じ過ちを繰り返すことにつながるということだろう。それは「戦争」の本質の理解とも関わって行く総括がなされていないという指摘なのだ。そして原理的な認識論と手法を論じ、たとえば現在のマスメディアの取材や自民党の政治家の論点のズレを例示している。本書の冒頭部分での説明からなるほどと引き込まれていく。著者の原理的認識の視点をいくつか抽出要約してみる。関連ページを付記した。
*敗戦国(つまり、日本)は、戦争の被害に対し事実上「無限責任」を負う。戦勝国なり旧植民地から「もうこれ以上の責任追及はしない」と言われて初めて責任完遂といえる。p20-24
*国際法に従う限り国家の行う戦争自体は犯罪ではなく合法的なものである。ただし、戦勝国が戦争犯罪を適用するとき恣意性がつきまとう。 p24-27
⇒この部分は、第5章のp246-247で、戦争は「どちらも正しい」から始まる点に言及している箇所と併せて読むとわかりやすい。
*歴史に「もし、あのとき、『こちらの選択肢』を選んでいれば、日本はどうなったか?」と想像し、事実のプロセスを追うと、「弱い現実」と「強い現実」の識別ができる。そして、「必ずしもそうなる必然性のなかった現実」を実践知として学ぶことで、敗戦により失ったものを自覚し、認知できる。 p30-48
⇒著者はこの手法で、失ったものとその原因を摘出していく。この指摘は考えるべき材料となる。知的想像力の使い方として刺激的だ。
著者は、日本が「ふつうの敗戦国」になれなかった現実を分析していく。
*ドイツ、イタリア、フランスの負け方の分析を通じて、日本の負け方の問題点が見えてくる。 p49-79
⇒著者は、1944年以前に講和をしていれば大日本帝国は主権国家として負けることができた。だが、歴史の現実は、戦前と戦後を架橋する「戦争主体」を不在のまま「物事のなり行き」という曖昧さで「敗戦処理」したことを指摘している。そのため「ふつうの敗戦国」でない日本となったと。そして「今の日本は主権国家ではありません。アメリカの従属国です」(p42)という著者の認識に帰結する。「主権国家」についての著者の論述を本書を開いて読んでいただきたい。
「死者の負債の引き継ぎを拒否する主体に『喪主』の資格はありません」(p78)という記述は重い意味を内包している。
<第2章 ほんとうの日本人>
著者は、「ほんとうの日本人」とは、自立し、自分の倫理を保持し、いかなる権威にも屈服しない人間を言い、それは主権国家であってこそ存在すると論じている。
著者の論理展開から導かれる興味深い発言がいくつかある。一つ引用しておこう。
”僕が「戦後レジーム」と呼びたいのは、今の首相を二度政権の座につけたレジームそのもののことです。首相自身が端的にわれわれが脱却すべきレジームの徴候なのです。彼が今おこなっている政治活動そのものがまさしく「戦後レジームの最終形態、そのグロテスクな完成形」以外の何ものでもない。 ・・・・・・
僕が「戦後レジーム」と呼ぶのは一言にして言えば、主権のない国家が主権国家であるようにふるまっている事態そのもののことです。どうせそう呼ぶなら、それをこそ「戦後レジーム」と呼んでいただきたい。” p92-93
著者は、戦後70年間で日本の従属的環境そのものは変化していないが、従属マインドのありかたは変化したと論じ、それは「アメリカに従属的であればあるほど個人においては日々の生活が快適になる。これが従属国マインドの完成」なのだという。戦後70年の経過がこの奇形的な心理を作り上げてしまったので、「ほんとうの日本人」は現存しないのだとする。現存しないと断定すれば、著者自身も濃淡の差はあれ、「ほんとうの日本人」ではないということになる。「主権の回復」から出直すべきということなのだろう。
次の指摘はわが国の状況を端的に表すのではないか。
「重要政策が一夜にして転換したときに、『誰の干渉でもない、気が変わったのだ』と言い訳を総理大臣が平然と口にして、それを誰も咎めない。こういうことが起きる国を従属国と呼ぶのです。」(p98)
<第3章 株式会社化する日本政治>
この章の見出しが内容を明確に象徴している。株式会社は「成長に特化した経営」をめざし利益を生み出すことを目的とする組織である。仮に経営が破綻し倒産の事態になっても、株主は有限責任であり、投資した金額が失われるだけの自己責任で済む。現安倍政権は「経済成長に特化した国づくり」をめざそうとしているが、「成長に特化した国家統治」などはありえないことを論じていく。なぜなら「国民国家は無限責任組織だからです」(p157)と説明する。この論理は説得力があると思うが、詳しくは本書をお読みいただきたい。
日本の改憲派の人たちの理想は「国民国家の株式会社化」の成功事例・シンガポールだろう断じている。「シンガポールでは人民行動党という政党の事実上の一党独裁が建国以来半世紀続いています」(p139)それを維持するための様々な法規制がなされていることを例証する。独裁制は民主制の対極にある。日本政治を担う現政権は、独裁的な政体が経済活動にとり効率的だと信じ、「金」を選択肢にするという方向を目指しているのではと指摘する。
この章で論じられていることには耳を傾ける項目がいくつもある。論点を要約しご紹介する。
*緊急事態に対処できる法整備は存在しない。できるのは緊急事態に対応できる人間を育てることである。 p126-127
*憲法の主務は国家の惰性を担保することで、国のかたちを急に変え、急旋回することができないようにする安定装置である。行政府の独走を阻害する装置である。 p131-142
*自民党の改憲案は、官邸を国会、憲法より上位に立たせる統治体制を目論むものだが、アメリカに拒否された。そして特定秘密保護法、解釈憲法の路線を進めた。アメリカはこちらにOKサインを送った。そんな政治文脈が一連のプロセスから読み取れる。しかし、それはマスコミが黙して語らない側面でもある。 p142-160
⇒この政治文脈の読み方は刺激的である。ぜひご一読を!
*国家の目的は「生き延びること」にある。 p161-167
これら要点についての論理展開を本書で読んでいただくと、副題が「想像力の使い方」になるという意味が第1章と併せて、より鮮明に理解できるのではないかと思う。
<第4章 働くこと、学ぶこと>
この章は「戦争論」という書名からすると、少し異質である。しいて言えば、「生き延びる」という点で「仕事」を見つめると、情報がコントロールされているという点での例示になっている。「今の就職情報産業は、就活情報をあきらかに意図的にコントロールしていると思います。一つは就活の一極集中化ということです。」(p170)つまり、都市部の就職情報だけに特化しているということへの問題指摘である。それが現代の企業側にとって有利だから・・・。つまり、マスメディアは意図的にコントロールされた情報を流す側面があるということなのだ。
書名に捕らわれなければ、この章は独立した内容としてけっこうおもしろい。「天職」という視点での仕事、著者の経験してきた武道を例にとり、無収入で弟子として修業期間を含む領域の問題を論じている。手に職(技)を身につけるという仕事に通底する局面を論じているといえる。「仕事は仕事のほうからやってくる」というパラドキシカルな見出しが、「働くこと」の意味を考えさせる。
「身体的同期能力」「身体技法について語る」という興味深いテーマに触れられていておもしろい。
<第5章 インテリジェンスとは>
イギリスにおける「ケンブリッジ・ファイブ」事件、つまり「キム・フィルビー」事件を代表的事例として例示し、諜報活動を論じ、意識的な機密漏洩が戦争リスクを引き下げるという側面を指摘する。「情報を出さない国」のほうが「情報が漏れる国」よりも外交上のトラブルを起こしやすいという逆説的な事態が起きることを論じている。この切り口から眺めた時に、「特定秘密保護法」の無益さ、無意味さを論理的に分析していて、おもしろい。著者は「日本が諜報活動ができない国」になっているのに、法律まで作るという愚かさを指摘している。
最後に、この章に触れられている重要な警鐘のなかから一つを引用しておきたい。
「今後、集団的自衛権を発動して、日本がイスラーム圏でアメリカの軍事行動に帯同した場合、日本はイスラーム過激派のテロの標的になるリスクを抱え込むことになります。そのことが高い確率で見通せるにもかかわらず、安倍首相とその周辺が前のめりに戦争にコミットしようとしているのはなぜか。
半分は安倍首相という個人のパーソナリティに起因していると思います。『戦争がしたい』という個人的な理由があるのでしょう。でも、それは個人の無意識の領域で起きている出来事ですから、われわれは関与のしようがない。けれども、そのような無意識的欲望が政策的に展開するのは、それとは違う実利的な理由があります。経済成長です。」(p247-248)
戦争は超膨大な物資を破壊のために一方的に消費しする最たるものである。戦争が経済成長と直結しているのは歴史が如実に示している。そして、それは一方で、国家の名によって組織的に膨大な一般庶民の人命を殺傷するしくみでもある。
日本は、今国会での強硬採決により、「これから起こる次の戦争」という未来を自ら引き寄せることになったのではないか。恐ろしい一歩が踏み出されたのだ。
ご一読ありがとうございます。
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。
本書に関連する事項、関心事項をいくつかネット検索してみた。一覧にしておきたい。
カール・フォン・クラウゼヴィッツ :ウィキペディア
戦争論 :ウィキペディア
集団的自衛権の問題点 :「文芸ジャンキーパラダイス」
集団的自衛権をめぐる憲法9条の解釈の変遷 :「MEDIA WATCH JAPAN」
論説 集団的自衛権容認の閣議決定の問題点 山内敏弘氏
集団的自衛権をめぐる問題 :「日本弁護士連合会」
国際政治の視点から改めて考える安保法案 植木千可子×荻上チキ
2015.09.25 Fri :「SYNODOS」
第42回<戦後レジームからの脱却> :「法学館憲法研究所」
「戦後レジームからの脱却」とはなにか :「YAHOO! ニュース」
戦後レジームからもっとも脱却できていないのは安倍総理、あなた自身です
2014.7.15 :「VIDEO NEWS」
キム・フィルビー :ウィキペディア
ブックレビュー キム・フィルビー ベン・マッキンタイアー著 :「日本経済新聞社」
「ケンブリッジ5人組」 キム・フィルビーは裏切り者か、理想主義者か
:「ロシアの声」
「インテリジェンスを読み解く30冊」(対談:佐藤優氏) :「Ryuichi Tesima」
「戦争は経済を活性化する」は本当か?~軍事ケインズ主義 :「るいネット」
アメリカはなぜ戦争をするのか--イラク戦争と軍事経済
:「科学的社会主義の視点から現代経済を考える」
戦争と経済の真実-戦争にはどのくらいの経費がかかるのか?
:「The Capital Tribune Japan」
ブッシュJrは戦争が経済を復活させると主張、巨大資本が儲かり略奪もできるが、死と破壊が伴う :「櫻井ジャーナル」
特定秘密の保護に関する法律 (平成二十五年十二月十三日法律第百八号)
「特定秘密の保護に関する法律案」に対する意見書 :「日本新聞協会」
特定秘密の保護に関する法律の廃止を求める意見書 沖縄中頭郡北谷町議会 pdfファイル
特定秘密の保護に関する法律の施行に抗議し、同法の速やかな廃止を求める声明
沖縄弁護士会
特定秘密の保護に関する法律の廃止を強く求める決議 東北弁護士会連合会
特定秘密保護法Q&A 青井未帆 / 憲法学 :「SYNODOS」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
著者の共著ですが、次の本の読後印象を掲載しています。
『現代霊性論』 内田樹・釈撤宗 講談社