『鬼神伝』は、鬼の巻、神の巻、龍の巻と既に出ている。そして、鬼の巻と神の巻が合本となり『鬼神伝』として出版されているのを後で知った。さらに、鬼神伝がアニメーション映画となっていることも遅ればせながら知った次第。
そこで、取りあえず単行本として2004年1月に出版された「鬼の巻」を読み終えたので、その読後印象をまとめてみたい。
単純に言えば、中学生の天童純がひょんなことから平安時代にタイムスリップして活躍する冒険物語、一種のファンタジーである。ファンタジーであるが、歴史書に語られない歴史の裏面に光をあてていく視点がモチーフになっていると思う。単行本は漢字にほぼすべてルビが振られているので、著者の意図はこの主人公と同じ中学生に是非読んで欲しいという意図があるのではないか。勿論、小学生高学年並びに高校生以上成人までが読者として想定されていてもそれほど抵抗感はないと思う。
というのは、海神(わだつみ)が天童純にこんな問いかけをするからそう思うのだ。
”どうして桃太郎や一寸法師たちに、鬼は退治されなきゃならなかったのか?”
”どうして節分には鬼に豆をぶつけるのか?”
”どうして河童はキュウリばかり食べているのか?”
”どうして天邪鬼(あまのじゃく)やおとろしの指は三本しかないのか?”
こんな問いかけを真面目に考えてみたことがあるだろうか? 私は考えたことがなかった。海神は純に一部のヒントを与えているが、解答説明を具体的にしているわけではない。この「鬼の巻」では、純の脳裏に課題としてこの問いが残る。私を含めて、多くの人々も同じだろう。海神の代わりに、今すぐに説明して、あなたは純を納得させらることができるか? つまり、大人の読者にも投げかけられた課題と言える。
鬼の巻のストーリーの粗筋はこんな感じだ。
京都の中学校に転校してきて3ヵ月になる天童純が学校に居残りをさせられた後、帰り道で三組の武志たち、いやな奴らに出くわす。今日は節分の豆まきだと言われ、武志たちから小石を投げられる。東山付近を逃げまわった純は、不仁王寺という古ぼけた寺に逃げ込むことになる。そこで、源雲という密教僧と出会う。
純は源雲に言われ、カバンの中の日本史の教科書を取り出すと、源雲は平安時代のことを話し出す。そしして、源雲は純に問う。「もしもその場にいたとしたら、お前は、その鬼たちと戦えるかな?」「実際に、そうなったら・・・・たぶんね。」「本当か?」「本当ですよ」。こんなやりとりの中で、源雲が平安時代のあたりのページを広げる。
突然、純は白い光に包まれて、平安時代、平安京・羅城門のところにタイム・タイムスリップしてしまう。それは泊瀬の帝の御代だった。純の前に、源頼光が現れる。太政大臣の命令で、源雲が苦労した結果、天童純を頼光がここまで迎えに来たという。ここから純にとってのファンタスティックな冒険が始まるのだ。
純は頼光に連れられて内裏に入り、右大臣・藤原基良に引き合わされる。大納言・大伴宿禰からまず純が手伝ってほしいと頼まれたのは、神泉苑で雨乞いをして、日照りからの脱却、雨を降らせよということだ。
源雲は神泉苑で純に言う。純の胸には勾玉形の痣がある。そのしるしのある者は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子孫であると。鉄の箱に長らく封印されてきた「大和の雄龍霊(おろち)」が解き放たれることになる。オロチの復活! 純がそのオロチを扱えると言うのだ。源雲は純に言う。「あの雄龍霊は、天童純、おまえの下僕じゃ」と。本当なのか? この時から天童純に秘められた能力が徐々に目覚めていくという展開になる。オロチと純が一体で働くパワーが少しずつ、本格的に発揮される方向に進む。
源頼光といえば、大江山の鬼退治。頼光の一団は天童純の手助けを得て、鬼退治に行くことが求められる。つまりこのストーリーは朝廷側と海神の一族、大江山の鬼、土蜘蛛たちとの戦いへと展開していく。その中で、純は数奇な体験を重ねていくことになる。それが「鬼退治と何か?」という問いと絡み合っていくのである。
そして、再びタイムスリップして純は現代の世界に戻れるのか・・・・・。
ちょっとお伽話的で、SF的要素がふんだんに加わり、なかなかおもしろい。たとえば、オロチの復活場面がその一つだし、貴船神社で純が鬼の少女-水葉(みずは)という名-を助け、オロチの背に乗せて「竜宮」に送り届けるという場面もそうである。この竜宮に行くことが純にとり、海神との出会いになる。それが純にとり「鬼」の意味を深堀りしていく契機にもなるという次第。そして、想像力を刺激させられる戦いが描写される場面へと展開して行くことに。
そのストーリーのプロセスで、海神が純に語りかける話の形で、重要な視点が織り込まれていく。それが上記の問題提起の解答へのヒントあるいは伏線となっていく。この部分がなかなか興味深いところでもある。
海神らが語った言葉をいくつか、抽出してみよう。それが、このストーリーのどういう文脈で語られていくか、本書を手にとって読み進めていただくとよい。
*きみがわしらの仲間だからじゃよ。きみは立派な鬼の血をついでいるのじゃ。 p189
*奴ら貴族たちはな、仏-大仏信仰を利用してこの国を、支配しようとしてるんじゃ。仏の教えを広めるなどというのは、ただ表向きの理由にすぎないのじゃ。本心は、すべての民人を自分たちに従わせたいだけなのじゃ。 p195
*鬼-自分たちに戦いをいどんでくる神が、邪魔なんだよ。 p196
*鬼はいつでも被害者じゃ。そして、ざんこくなのはいつも「人」じゃ。 p206
*「人」たちは、わしらのことを「鬼」と呼ぶようになった。 p207
*鬼も神も、同じものなんじゃよ。・・・・神も鬼も、もともとは全く変わらない。わしらも「鬼」じゃ。戦う神や民人は、みんな鬼なんじゃ。 p208-209
*戦に勝ったものだけが言葉を残せるわけじゃからのう。 p210
*文字にならなかった言葉こそが真実じゃ。そして、それが重要じゃ。そこをきちんと見きわめなくてはならない。 p211
もちろん、ファンタジックなストーリーを追いかけるだけでも、けっこう楽しい読み物になっている。中学生が直接の対象だろうと述べたが、ストーリーの語り口が平易でわかりやすくて読みやすい。
一方で、お伽話や伝説、紀記の読み方について、頭にガツンとくる良い刺激にもなってくる。真実の歴史を知るためには深読み、逆読み、批判的読み方などの必要性、必然性があることへの感覚的な受容を促される。書かれていない文字をどう読み込むか、そんな意識の大切さである。歴史を主体的に理解することが大事だよという語りかけだろう。
「神の巻」を読まなければ・・・・・。
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この作品に関連する事項をいくつかネット検索してみた。一覧にしておきたい。
源頼光 :「コトバンク」
源頼光 :ウィキペディア
頼光四天王 :「名刀幻想辞典」
藤原基良 :ウィキペディア
酒呑童子 :ウィキペディア
大江山 :ウィキペディア
日本の鬼の交流博物館 ホームページ
鬼とは何者?
3つの大江山鬼伝説の紹介
大江山の鬼、酒呑童子。 :「お話歳時記」
竜宮伝説 :「コトバンク」
龍宮 :ウィキペディア
映画「鬼神伝」 非公式サイト ← 2011年4月29日に映画が公開されていた!
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徒然に読んできた作品で、このブログを書き始めた以降に、シリーズ作品の特定の巻を含め、印象記をまとめたものです。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『神の時空 -かみのとき- 貴船の沢鬼』 講談社NOVELS
『神の時空-かみのとき- 倭の水霊』 講談社NOVELS
『神の時空-かみのとき- 鎌倉の地龍』 講談社NOVELS
『カンナ 出雲の顕在』 講談社NOVELS
『QED 伊勢の曙光』 講談社NOVELS
そこで、取りあえず単行本として2004年1月に出版された「鬼の巻」を読み終えたので、その読後印象をまとめてみたい。
単純に言えば、中学生の天童純がひょんなことから平安時代にタイムスリップして活躍する冒険物語、一種のファンタジーである。ファンタジーであるが、歴史書に語られない歴史の裏面に光をあてていく視点がモチーフになっていると思う。単行本は漢字にほぼすべてルビが振られているので、著者の意図はこの主人公と同じ中学生に是非読んで欲しいという意図があるのではないか。勿論、小学生高学年並びに高校生以上成人までが読者として想定されていてもそれほど抵抗感はないと思う。
というのは、海神(わだつみ)が天童純にこんな問いかけをするからそう思うのだ。
”どうして桃太郎や一寸法師たちに、鬼は退治されなきゃならなかったのか?”
”どうして節分には鬼に豆をぶつけるのか?”
”どうして河童はキュウリばかり食べているのか?”
”どうして天邪鬼(あまのじゃく)やおとろしの指は三本しかないのか?”
こんな問いかけを真面目に考えてみたことがあるだろうか? 私は考えたことがなかった。海神は純に一部のヒントを与えているが、解答説明を具体的にしているわけではない。この「鬼の巻」では、純の脳裏に課題としてこの問いが残る。私を含めて、多くの人々も同じだろう。海神の代わりに、今すぐに説明して、あなたは純を納得させらることができるか? つまり、大人の読者にも投げかけられた課題と言える。
鬼の巻のストーリーの粗筋はこんな感じだ。
京都の中学校に転校してきて3ヵ月になる天童純が学校に居残りをさせられた後、帰り道で三組の武志たち、いやな奴らに出くわす。今日は節分の豆まきだと言われ、武志たちから小石を投げられる。東山付近を逃げまわった純は、不仁王寺という古ぼけた寺に逃げ込むことになる。そこで、源雲という密教僧と出会う。
純は源雲に言われ、カバンの中の日本史の教科書を取り出すと、源雲は平安時代のことを話し出す。そしして、源雲は純に問う。「もしもその場にいたとしたら、お前は、その鬼たちと戦えるかな?」「実際に、そうなったら・・・・たぶんね。」「本当か?」「本当ですよ」。こんなやりとりの中で、源雲が平安時代のあたりのページを広げる。
突然、純は白い光に包まれて、平安時代、平安京・羅城門のところにタイム・タイムスリップしてしまう。それは泊瀬の帝の御代だった。純の前に、源頼光が現れる。太政大臣の命令で、源雲が苦労した結果、天童純を頼光がここまで迎えに来たという。ここから純にとってのファンタスティックな冒険が始まるのだ。
純は頼光に連れられて内裏に入り、右大臣・藤原基良に引き合わされる。大納言・大伴宿禰からまず純が手伝ってほしいと頼まれたのは、神泉苑で雨乞いをして、日照りからの脱却、雨を降らせよということだ。
源雲は神泉苑で純に言う。純の胸には勾玉形の痣がある。そのしるしのある者は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子孫であると。鉄の箱に長らく封印されてきた「大和の雄龍霊(おろち)」が解き放たれることになる。オロチの復活! 純がそのオロチを扱えると言うのだ。源雲は純に言う。「あの雄龍霊は、天童純、おまえの下僕じゃ」と。本当なのか? この時から天童純に秘められた能力が徐々に目覚めていくという展開になる。オロチと純が一体で働くパワーが少しずつ、本格的に発揮される方向に進む。
源頼光といえば、大江山の鬼退治。頼光の一団は天童純の手助けを得て、鬼退治に行くことが求められる。つまりこのストーリーは朝廷側と海神の一族、大江山の鬼、土蜘蛛たちとの戦いへと展開していく。その中で、純は数奇な体験を重ねていくことになる。それが「鬼退治と何か?」という問いと絡み合っていくのである。
そして、再びタイムスリップして純は現代の世界に戻れるのか・・・・・。
ちょっとお伽話的で、SF的要素がふんだんに加わり、なかなかおもしろい。たとえば、オロチの復活場面がその一つだし、貴船神社で純が鬼の少女-水葉(みずは)という名-を助け、オロチの背に乗せて「竜宮」に送り届けるという場面もそうである。この竜宮に行くことが純にとり、海神との出会いになる。それが純にとり「鬼」の意味を深堀りしていく契機にもなるという次第。そして、想像力を刺激させられる戦いが描写される場面へと展開して行くことに。
そのストーリーのプロセスで、海神が純に語りかける話の形で、重要な視点が織り込まれていく。それが上記の問題提起の解答へのヒントあるいは伏線となっていく。この部分がなかなか興味深いところでもある。
海神らが語った言葉をいくつか、抽出してみよう。それが、このストーリーのどういう文脈で語られていくか、本書を手にとって読み進めていただくとよい。
*きみがわしらの仲間だからじゃよ。きみは立派な鬼の血をついでいるのじゃ。 p189
*奴ら貴族たちはな、仏-大仏信仰を利用してこの国を、支配しようとしてるんじゃ。仏の教えを広めるなどというのは、ただ表向きの理由にすぎないのじゃ。本心は、すべての民人を自分たちに従わせたいだけなのじゃ。 p195
*鬼-自分たちに戦いをいどんでくる神が、邪魔なんだよ。 p196
*鬼はいつでも被害者じゃ。そして、ざんこくなのはいつも「人」じゃ。 p206
*「人」たちは、わしらのことを「鬼」と呼ぶようになった。 p207
*鬼も神も、同じものなんじゃよ。・・・・神も鬼も、もともとは全く変わらない。わしらも「鬼」じゃ。戦う神や民人は、みんな鬼なんじゃ。 p208-209
*戦に勝ったものだけが言葉を残せるわけじゃからのう。 p210
*文字にならなかった言葉こそが真実じゃ。そして、それが重要じゃ。そこをきちんと見きわめなくてはならない。 p211
もちろん、ファンタジックなストーリーを追いかけるだけでも、けっこう楽しい読み物になっている。中学生が直接の対象だろうと述べたが、ストーリーの語り口が平易でわかりやすくて読みやすい。
一方で、お伽話や伝説、紀記の読み方について、頭にガツンとくる良い刺激にもなってくる。真実の歴史を知るためには深読み、逆読み、批判的読み方などの必要性、必然性があることへの感覚的な受容を促される。書かれていない文字をどう読み込むか、そんな意識の大切さである。歴史を主体的に理解することが大事だよという語りかけだろう。
「神の巻」を読まなければ・・・・・。
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源頼光 :「コトバンク」
源頼光 :ウィキペディア
頼光四天王 :「名刀幻想辞典」
藤原基良 :ウィキペディア
酒呑童子 :ウィキペディア
大江山 :ウィキペディア
日本の鬼の交流博物館 ホームページ
鬼とは何者?
3つの大江山鬼伝説の紹介
大江山の鬼、酒呑童子。 :「お話歳時記」
竜宮伝説 :「コトバンク」
龍宮 :ウィキペディア
映画「鬼神伝」 非公式サイト ← 2011年4月29日に映画が公開されていた!
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徒然に読んできた作品で、このブログを書き始めた以降に、シリーズ作品の特定の巻を含め、印象記をまとめたものです。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『神の時空 -かみのとき- 貴船の沢鬼』 講談社NOVELS
『神の時空-かみのとき- 倭の水霊』 講談社NOVELS
『神の時空-かみのとき- 鎌倉の地龍』 講談社NOVELS
『カンナ 出雲の顕在』 講談社NOVELS
『QED 伊勢の曙光』 講談社NOVELS