遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『国を蹴った男』 伊東 潤  講談社 

2015-09-05 17:36:05 | レビュー
 『決戦!関ヶ原』(講談社)という7人の作家による競作作品集がある。関ヶ原の合戦に関わった特定の武将を各作家が担当し、その武将の立場や考え方と戦機に臨む行動を描き出すという作品集である。これを読んだ時に初めて伊東潤という作家を知った。
 そこで、このおもしろいタイトルの本を手にとって読んでみる気になった。

 本書は『小説現代』に掲載された短編作品をまとめて出版されたものである。奥書には2011年1月号から2012年9月の期間に発表された作品群であることがわかる。
 6篇の作品が収録されている。「牢人大将」「戦は算術に候」「短慮なり名左衛門」「毒蛾の舞」「天に唾して」「国を蹴った男」である。

 6篇を通読し、総論として感じたのは、史実としての断片的事実の隙間に著者が独自の視点と想像力・創作力から生み出したフィクションを巧みに補填して創り上げた面白さである。さらに、いままで漠と抱いていたというか既存情報や見聞、伝聞で刷り込まれていたある種の人物イメージに、一捻りを加えられたな、という感覚を抱いたしたことが楽しかった。言い換えれば、新鮮な見方というか、切り口を突きつけられた感じを味わえたのだ。これは単に私自身の歴史的事実認識が浅く、加えて既存の歴史小説を手広く読んでいないからかもしれない。どの程度その切り口が新鮮かは、通読いただき評価してみてほしい。なかなか読ませるできばえになっていると思う。

 それでは個々の作品の印象を簡略にまとめて、ご紹介したい。

< 牢人大将 >

 中心人物は、武田家牢人衆の大将の立場になった那波藤太郎である。そして副将が五味与惣兵衛。これらの人物自体がフィクションなのかどうか、私には知識がない。
 那波藤太郎は、鎌倉幕府草創期の功臣である大江広元の子・政広を祖とし、上野国東部の那波郷に土着した那波氏の一人。北条方だったため本拠の那波城が長尾景虎の攻撃を受け、落城間近に父の宗俊が降伏するという選択をした。これに反対の藤太郎は単身で脱出し、結果的に甲斐の信玄を頼る。藤太郎の願いは「那波領を回復してほしい」こと。信玄は、「分かった」と受けるが、「すべては働き次第」と一言、付け加える。その結果、那波藤太郎は武田家の牢人衆として抱えられ、戦働きをするというストーリー。
 この小説のモチーフは、上杉輝虎(=長尾景虎)を牽制してもらう目的で北条氏康との間で信玄が国分けをしたことにより、那波領が北条方のものになるという事実に端を発している。那波領回復を本願としてきた那波藤太郎が、己の考え方を変えるのだ。武士としての生き様の方針転換である。どのように方針転換したか。そして、武田家牢人衆として、戦場でどのような戦働きをして、どう生ききったかが描かれている。

 「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」という信玄の名言がある。この短編を読み、武田の軍制に「敵方の密な城郭防衛網の奥深くに”中入り”すること・・・こうした危険な仕事ばかりを請け負う牢人部隊が組織化されて」いたということを初めて知った。その大将がこの那波藤太郎なのだ。余談だが、私には信玄のこの名言の解釈イメージが少し変わり、言葉が二重の意味合いを帯びてきた。

 この短編から、おもしろいやりとりのフレーズをご紹介しておきたい。
*無理をせねば、功は遂げられぬ。
*われらは、この砦を取れと命じられたが、守れという命は受けておらぬ。
*飯の種をなぜ教える。
*わが身分は、このままで構いませぬ。その代わり、わが功を黄金に替えていただけませぬか。
*武士たるもの、失うものが大きければ大きいほど、よき働きはできませぬ。


< 戦は算術に候 >

 秀吉の直臣として、石田三成と長束正家がどういう機能を担ったのかがテーマとなっている。長束正家は算術に強く、戦に於ける兵站任務、つまりロジスティクスに強味を持ち、金勘定に長けた官吏である。すべてを算術で割り切れる人物。石田三成は調儀(ちょうぎ計画策定)の才に長けた官吏である。秀吉にとっては羽柴家安泰の両輪となる。
 秀吉は三成に言う。「佐吉よ、金とは、使うべき時を違えてはならぬ。・・・それを過たねば、生きた金となる。」「馬は人を背負い、荷を載せることで初めて役に立つ。・・・実は、馬を乗りこなせる者は少ない。馬を乗りこなしているように見えて、その実、馬に乗せられておるのだ」「すなわち道具は使うもので、使われてはならぬということだ」

 この作品、三成と正家の働きを描くという経緯の先に、関ヶ原の戦いにおける小早川秀秋の日和見、寝返りに光を当てていく。三成の敗因が「戦は算術に候」にあったという解釈、オチがおもしろい。何が齟齬原因か? そこに読ませどころがある。
 この経緯の切り口は、小早川秀秋という人物を考える上で、広がりを与える。事実は知らぬが・・・・。
 上掲の『決戦!関ヶ原』の競作作品の中に、「真紅の米」(冲方丁著)がある。ここに描かれた小早川秀秋像と併せて読むのもおもしろいと思う。

 もう一つ、興味深いのは、秀吉の三成に語る言葉は家臣や支配下の武将に対するものであり、豊臣家の内部に対しては、秀吉の語りとはアンビバレンツなものになっていた点を、三成の目を通して書き込んでいる点である。


< 短慮なり名左衛門 >

 この短編の主人公は、毛利名左衛門秀宏である。天文12年(1543)、越後の最有力国衆の一つ、毛利北条一族の庶家に生まれた実在の人物。毛利北条家の中では、逸材として生長し、重要人物となる。
 上杉謙信の没後、継承問題で発生した御館の乱において、最終的に景勝側に味方することで、景勝を後継者にするうえで一働きする。乱後の論功行賞に不満を抱く名左衛門は、上杉家執政の直江信綱と儒者で外交顧問の山崎秀仙に直談判をする。結果的に、春日山城内において会談中の直江信綱と秀仙を急襲し殺害した人物という史実が残る。

 この短編では、なぜ殺害に至ったかの背景を描き出すことがテーマになっている。その根底に名左衛門が謙信から感銘を受けた「羲」の精神が底流にある。
 何の恩賞にも与れぬ名左衛門のところに登場するのが、景勝の小姓から奏者となり、めきめきと頭角を現しつつあった樋口与六兼続である。
 この小説の影の主人公として、樋口与六兼続を描く局面に作品のモチーフがあるように思う。私にはこの組み立てが実に興味深い視点だった。史実としての断片的事実の隙間に潜むものがこのストーリー通りであるならば、樋口与六兼続という実在の武将のイメージを変えさせられる気がする。ポジティブイメージだけの印象をもっていたところに、ネガティブイメージが浸食してきた・・・・という思いは私だけのことかも知れないが。
 樋口与六直続とは、後の直江直続である。


< 毒蛾の舞 >

 この短編の主人公は佐久間盛政。ストーリーの舞台は、秀吉と柴田勝家が雌雄を決した賤ヶ岳の合戦である。勝家の筆頭家臣であり、名を知られた武将・佐久間盛政の戦術的突出行動が、賤ヶ岳の合戦における勝家軍の重要な敗因に上げられている。この事実の裏側に著者の想像力が羽ばたいた。ここに描き出されたた切り口、解釈は実におもしろい。この小説の延長線上で、前田利家とまつが会話するとしたら、どんなストーリー展開になるのか。この小説に触れられていない別の側面に、一歩踏み込んだ興味すら喚起される。

 毒蛾は、前田利家の内室(妻)である「まつ」をさす。舞とは、少年だった頃に盛政が目撃したシーンを起点とするように受け止めた。それ以来盛政の心の中に留まり、賤ヶ岳の合戦の直前に、まつが盛政の許に来訪し、二人が面談することにより、まつが盛政に頼み込んだ一言から「心中の舞」が再燃し始める。武将としての理性と盛政自身の思いとの葛藤の絡め方、自己納得のプロセスが興味深い。そこに「毒」がまき散らされていたという次第。

 まつの一言とは「又左を男にしていただきたいのです」(又左とは前田利家のこと)
 盛政は問う。「その見返りに、何をいただけまするか」
 「玄蕃様のお望みのままに」「真か」「はい」

 秀吉打倒を練る盛政の戦術発想の展開の中に、まつの一言が舞を始めるというモチーフである。クレオパトラの美貌のアナロジーなのか・・・・。まつの一言、その仕掛けには裏があったというストーリー展開である。この筋立て、なかなかにおもしろい。


< 天に唾して >

 主人公は茶人・山上宗二(やまのうえそうじ)である。山上宗二の生き様、秀吉と宗二の確執がテーマになっている。
 宗二は泉州堺の薩摩屋という商家の嫡男に生まれ、家業を顧みず茶の湯に没頭する。千宗易の弟子。永禄8年(1565)、22歳で初めて茶会を主催する。そして数寄者(茶湯者)の系譜の末端に名を連ねる。
 信長が自治都市だった堺を制する。茶の湯に着目し、堺の代表的商人兼茶人の今井宗久、津田宗及、千宗易の三人を茶堂として、後に「茶の湯御政道」を始める。茶会の開催を認可制にすることで、信長は茶の湯を政治に取り込んだのだ。そして、羽柴秀吉が信長から茶の湯を許されたときに、宗二が秀吉の茶堂に割り付けられる。それが宗二の茶の湯についてのこだわり・矜持と秀吉の茶の湯に対する姿勢との確執の始まりとなる。

 信長没後、秀吉の茶堂であったことから、多額の献金を条件に再び堺を自治都市とすることを秀吉に願い出る交渉人に宗二はならされる。二つ返事で了承した秀吉は、天下が静謐となった段階で、宗二との約束を反故にする。さらに、茶堂として、宗二の師匠である千宗易を起用するに至る。秀吉は信長の茶堂の三人を己の茶堂にし、さらにその序列を宗易、宗及、宗久としたのだ。

 秀吉と宗二のやりとりがストーリー展開の起爆となる。
「わしは何かに挑むような、そなたの茶を好かんかった。そなたの茶は常に戦いであり、客に緊張を強いる。そんな茶をわしは楽しめぬ」
「さりながら、茶は楽しむだけのものではありませぬ」
「わしは茶を楽しみたいのだ。それゆえ茶堂の任を解くで、いずこへでも行くがよい」
  ・・・・・
「天下を獲ったとて、やはり心根は下郎の頃と変わらぬようですな」
「何だと!」
  ・・・・・
「天に唾して」というタイトルは、宗二が秀吉に吐いた言葉が、いずれ己の身に災いを呼ぶというところにあるのだろう。このストーリーは、宗二が身の寄り所を転変とさせ、板部岡江雪斎を介して、小田原の北条家に身を寄せることになる。江雪斎は小田原北条家重臣である。宗二は小田原の北条家に庇護されるが、秀吉の小田原城攻めが始まる。
 
 この短編、小田原に寄寓した宗二の生き様、秀吉に対立する生き様を活写していく。宗二の簡略伝という趣がある。そこには波乱万丈の宗二の人生がある。この短編の非常に興味深い展開箇所は、宗二の師匠・千宗易が宗二の生き様のターニング・ポイントで非常に重要な役割を担うというところにある。スポット的に、千利休の厳然とした生き様の一角を描いている。実に、巧妙な宗易(利休)の組み込み方である。

 この短編、秀吉所有の「紹鷗天目」と北条家所有の正本『吾妻鏡』がクライマックスを盛り上げるシンボルとなる。
 宗二に最後は凄惨である。耳と鼻を削ぎ落とし、磔刑となった。
 宗二の行為が生きたところで、話が終えられているところに、宗二の生き様への救いを感じる。


< 国を蹴った男 >

 この短編のタイトルを素直に受け止めると、主人公は「東海一の弓取り」とたたえられ版図を駿遠三の三国に拡大した今川義元の跡を継いだ息子の治部大輔氏真(じぶのたいふうじざね)である。氏真は蹴鞠と和歌の世界に没頭し、最後は国を失い、蹴鞠の神技を嬉嬉として披露し1,700首の和歌を残して没した人物。まさに、「国を蹴った」男の人生である。武将としてでなく公家として生まれるのが適切だった人なのだろう。
 この作品の面白いのは、その蹴鞠を作る「鞠括り」の職人・五助の人生を語る形で、五助の目を通した氏真が描かれ、氏真との間に芽生えた堅い信頼関係が、五助そのものの生き様を決定づけるというストーリー展開である。
 主に五助の目を通してと言うことになるが、蹴鞠を介して二人の主人公の人生が織りなされながら描かれるというストーリー構成になっていて、興味深い。
 
 五助は、蹴鞠の宗匠・飛鳥井家御用達(ごようたし)の鞠を作る「鞠くくり 幸太夫」という名の蹴鞠工房の職人である。6歳で幸太夫に預けられ、物心がついた頃から鞠職人になるのが当然と思い込み、鞠職人の技に習熟していく。鞠括りの希少な技を磨いた五助は、職人頭を務める。幸太夫の妻は先に亡くなり、子のいない状況なので、いずれ五助が幸太夫を襲名すると周りから目されていた。だが、ある理由でその歯車が狂い出す。
 そして、五助は山科の商人・籠屋宗兵衛を通じて、駿河国今川家に行くことになる。それが今川氏真との出会いとなる。戦国時代における今川家の風雲と武将に生まれた氏真の生き方が、五助の目を通じて観察されていく。武将としてではなく、蹴鞠に生きる氏真の有り様を五助は肯定するようになる。それが五助の人生をも決定づける、氏真との信頼関係の深まりに発展していく。

 この小説の面白いのは、そこに信長と本願寺門徒の戦いの余波が、再び宗兵衛を介して及んでくることである。国を失い蹴鞠の技披露に人生を見出す氏真と、氏真のために鞠括りの技を注ぎ鞠を作る五助。二人の信頼関係を手段として利用する形で、宗兵衛が門徒の立場から、五助の妻子を人質にとったうえで、五助に信長暗殺計画に加担することを強要する展開に発展する。この異質な組み合わせがおもしろいところである。そして、そこに五助の生き様が反映するのだ。
 五助のモデルとなる人物が実在したのだろうか? 著者の創作力が横溢した結果の全くのフィクションにより史実の間隙を埋めた小説なのか? 興味深いところだ。
 
 著者の切り口の斬新さを楽しんでいただくとよいのではないだろうか。


 ご一読ありがとうございます。

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本書に出てくる事項のいくつかをネット検索してみた。一覧にまとめておきたい。
那波氏  :「戦国大名探究」
新城市設楽原歴史資料館 :「新城市」
新城市歴史資料館 
設楽原古戦場いろはかるた  設楽原をまもる会
中束正家  :ウィキペディア
あの人の人生を知ろう~石田三成  :「文芸ジャンキー・パラダイス」
毛利秀広  :ウィキペディア
御館の乱  :「ピクシブ百科事典」
御館の乱  :ウィキペディア
直江兼続の一生  :「武士の時代」(米沢市観光物産協会)
直江信綱  :ウィキペディア
山崎専柳斎・秀仙  :「Golden Cadillac」
佐久間盛政  :ウィキペディア
佐久間盛政~鬼玄蕃と恐れられた猛将 :「戦国武将列伝Ω」
まつ 加賀百万石を築く礎として力のあった藩祖・前田利家の妻 :「歴史くらぶ」
利家を…前田家を支えた良妻賢母・芳春院まつ  :「今日は何の日? 徒然日記」
山上宗二  :ウィキペディア
『山上宗二記』 における茶道理念 pdfファイル
一番弟子、山上宗二の死と利休の賜死  :「千利休フアン倶楽部」
今川氏真  :ウィキペディア
蹴鞠    :ウィキペディア
蹴鞠  蹴鞠保存会  :「AMATO-NETWORK」
蹴鞠(けまり)について :「談山神社」
下鴨神社で蹴鞠初め  :YouTube
飛鳥井家  :ウィキペディア


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『決戦! 関ヶ原』 作家7人の競作集  講談社


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